24 絶望ついでに、巻き戻しました。
目が覚めた。
視界に広がるのはのっぺりとした白い天井。
そこで、俺は自分が横たわっていることに気づいた。
周りを見る限り、ここは――病院?
どこもかしこも痛む体に鞭打って、俺は起き上がった。
俺のベッドの近くにも、何人かの人が横たわっていた。
足を引きずりながら部屋を出る。
なんだか視界が狭い。よくわからないまま手を左目に当てると、そこには眼帯のようなものが付けられていた。
「ちょっと君! まだ動いちゃ――」
「すみません、どけてください」
体を支えようとしてきた看護師を俺は突き飛ばした。
大体、どんな状況かはわかる。ここに来る前の記憶だってしっかりある。
だから、俺にはいかなきゃいけない場所があった。
それがどこかはわからない。存在するのかもわからない。だけど。
「浅田……くん? 浅田くん! 大丈夫なの!?」
怜美さんだった。
赤いランプが灯る部屋の前で、彼女はうなだれていた。
しかし、こちらを見るなり駆け寄ってくる。
「俺は大丈夫です。玲乃は――?」
大丈夫なわけない。全身が悲鳴を上げて、頭もふらふらする。
だけど、そんなの関係ない。
「玲乃は、いま治療中。だけど……」
怜美さんは言葉を濁す。そうか、あんまり状況は思わしくないらしい。
なぜだろう。なぜか俺は、頭の中がスッキリとして、空恐ろしいくらい冷静だった。
赤ランプが消え、治療室の扉が開いた。
「玲乃は――!」
出てきた医師らしき男に怜美さんは詰め寄る。
しかし、「残念ながら……」なんてほざきながらそいつは首を横に振った。
冷えていた頭がさらに冷めていくのを感じた。
頭の芯が凍りそうなほど、冷たい。だけど、今何をしなければいけないかはわかる。
「そう、ですか……」
音もなく怜美さんは崩れ落ちた。
俺はそれを見届けてから反転し、歩き始める。
「すみません」
通りかかった看護師を呼び止めた。
「屋上って、空いてますか?」
「え? 地震の影響でエレベーターは使えないけど、階段なら――」
「ありがとうございます」
そこまで聞いたらもう後は必要ない。
やはりその看護師も俺を止めようとしたが、思いっきり睨みつけたら動きが止まった。
階段を上っていく。
もう足だけでは体を支えることもできなくなり、這うようにして一つ一つの段差を超えていった。
やがて、階段がなくなる。
一つの扉が眼前に現れ、そこを開けると外の空気が中へ一気に流れ込んできた。
空はまだ暗い。
屋上だ。
周りはすべてフェンスで囲まれている。しかし、あのくらいならよじ登れるはず。
2メートル近くあるフェンスに手をかけ、足をかけ、重い身体を引きずって乗り越える。
そして、建物の縁とフェンスの間に俺は立つ。
「……いるんだろ?」
『もちろん。声をかけてくれるのを待ってたよ』
ふわふわと目の前に光の玉が浮かんでいた。
それから響く声は、いつもに増してどこか嬉し気だ。
『あの子を助けたいんだね?』
「あぁ」
玲乃はもう死んだ。
それくらいわかる。そして、こいつの『交換の機会』を使えば彼女を助けられるかもしれない。
『わかった。なら、君は何を『犠牲』にして、何を『対価』として得るんだい?』
「その前に一つ、聞かせてくれ」
俺は淡々と『何か』に問う。
「俺と、あいつの命の価値は……等しいか?」
『ふふっ』
笑った。
「何が可笑しい」
『いや、だってね。ボクはてっきり、君が「俺が死ぬからあいつを生き返らせてくれ」って言うと思ってたんだよ』
確かに、俺もそういう考えが頭をよぎった。しかし、そんな選択を俺はしない。
そして、その理由は決して、玲乃を悲しませたくないから、なんてものじゃない。
『君の考えている通り、彼女と君の命の価値はまったく違う。釣り合わないんだよ。君の命なんかじゃあの子の命には』
そう言い切って、『何か』はふふふっと再度笑った。
そりゃあそうだ。俺なんて言う小さな人間が、玲乃っていう高スペックで顔もよくて、なおかつ優しい、なんて上位種に敵うわけない。
あいつが、どんなにすごい奴だったかは怜美さんから聞いた。
『ふぅ、じゃあ、君はどうするんだい? 何と彼女の命を交換する?』
「馬鹿か。俺なんかが何を集めてもあいつの命なんて救えねぇよ」
『へぇ。なら諦めるの?』
「なわけない。絶対助ける」
あいつに恩なんてない。いや、仕事とはいえ俺があいつに売った恩はかなりあると思う。
まぁ、それもただの傲慢か。
ただ一つ、言えることがある。俺は、あいつを助けたい。だから俺は、玲乃を、あの「自暴女」を助ける。
「俺が『犠牲』にするのは今ここにある俺の命だ」
『うん、それで?』
「そして、俺は『対価』として、お前に俺の時間を巻き戻してもらう」
それが、俺の結論。
足りない俺の、必死でかき集めた一つだけの活路。
『何か』は、面白そうにへぇ、と呟いた。
『いつまで時間を巻き戻すんだい?』
「あの花火大会が終わった直後までだ」
『えっと、じゃあちょうど1時間、時間を巻き戻すんだね』
あの地震から、ちょうど一時間経っているらしい。
この期に及んでこいつが嘘を吐くとは思えない。
俺は黙って頷いた。
『わかったよ。君の勇気に称賛を送らせてもらう』
『何か』がまた笑った。
その笑いが何を示しているのかは、聞いた瞬間すぐにわかった。
愚かな俺のことを、嘲ているんだろ?
いくらでも嗤ってくれて構わない。誰に何を言われようと知ったことじゃない。
だけど、俺は――絶対にあいつを助けてみせる。
「ありがとな」
『礼には及ばないさ。仕事をしただけだからね。――――いってらっしゃい』
「あぁ」
そして俺は、病院の屋上から体を投げ出した。
浅田唯なんていう矮小な存在の命が溶けていくのを感じる。
あぁ、こんな簡単に消えてしまうものなのか。なんて思いつつも、まぁいいさと後悔はしない。
だってこれは、俺が本心から望んだことであって、誰かに強制されたことではない。
なら、本望じゃないか。
――そして俺は死に、同時に世界は一時間前へと巻き戻った。




