22 出発ついでに疑りました。
全然まだ日は傾いてないし、言ってしまうと太陽はほんと明るく大地を照らしている。
しかし、森の洋館の「自暴女」はすでに花火大会に向けて支度を始めていた。
「なぁ、さすがにまだ早くないか?」
現在時刻は午後3時。花火大会の開始が8時らしいからいくら何でも早い。
「開始に遅れでもしたらどうするの。というか唯も掃除なんてしてないで準備しなさい」
そう言われてもなぁ……。俺は、おそらく最後になるのであろう洋館の掃除を行っていた。
ただの掃除ではない。年末ばりの大掃除である。
いや、だって玲乃は掃除なんてできないし、かといって怜美さんが丁寧に掃除をするとは思えない。
まぁ、俺がここに来たときもそこそこ綺麗だったが、一週間世話になったお礼としてきれいにしておきたい。立つ鳥跡を濁さずってやつだ。
「あんまり早く行っても待たなきゃいけないだろ」
「遅れるよりましよ」
この問答をさっきからずっと続けている気がする。
まぁ、いろいろ言っても俺が動かなきゃ彼女は展望台までいけないだろうし、結局は待つんだろうけどさ。
「というか、ワンピースなんだな」
「どうして?」
「いや、花火大会だから浴衣でも着るのかな、って思ってたから」
というか、少し期待していたまである。
こいつ、性格は少し……いやかなりわがままなところがあるが、見た目は清楚な黒髪美少女だ。
浴衣が似合わないわけがない。
まぁ、この白いワンピースもすごく夏っぽくて似合ってるんだが。
「なんであんな面倒くさいもの着なきゃいけないの」
「あー、なんかそんなこと言うんだろうな、って思ってた」
いかにもこいつらしい理由だ。
「というか、わたし前から思っていたのだけれど、どうして花火『大会』なのかしらね」
「いや、どうでもいいだろ」
「考えてもみて。別に花火師同士が競ってるわけでもないでしょう?」
「別にいいじゃないか、そういうもの、ってことで」
「大会……もしかして、何かしらを競う場、としての意味ではなくて大きな会、花火を楽しむ大きな会、という意味なのかしら」
うん、こちらの話は聞いちゃいない。
しかもまた自己完結しちゃってるし。さすがは「自暴女」。
そんな感じで時は流れる。
管理人の任期最終日だからと言って玲乃の俺に対する様子は大して変わらなかった。
まぁ、そんなもんか。
□
「行くわよ」
「わかってるって」
洋館の玄関で、俺たちはそんな言葉を交わしていた。
少し軋む扉を開けて外へ出る。
かなり日は傾いてきたし、今からその展望台に上ればちょうどいい時間になるだろう。
車いすに乗る玲乃は、ワクワクしている……というより緊張して強張っている、という印象を受ける。
「道案内よろしく」
「道なりに上っていくだけよ」
洋館を出て、森の中の道を行く。
いつもは下へ下る交差点を今日は上へ。
「毎年行くのか? その展望台は」
「いいえ、今年で……二度目かしら。かなり前に一度行ったの」
へぇ。それが懐かしくなって、今年は展望台で見よう、ってことだろうか。
なんだかそんなことを聞いてしまうとどんな景色が待っているのか楽しみになってしまう。
だけど、なんだろう。
洋館を出てからの彼女はどこか様子がおかしい。
緊張? なんで花火を見に行くのに緊張しなきゃいけないんだ。
花火大会、楽しみじゃなかったのか?
まぁしかし、本人に直接尋ねてもまともな答えは返ってこないだろう。
森の中は、薄い橙色に包まれていた。
頭上の木々の隙間から、太陽の光が差し込み、いくつもの柱ができている。
光といっても斜陽なので、その数はそこまで多くはないが。
だが、それはそれで風情がある。
「どのくらいかかるんだ?」
「このスピードだと、30分ぐらいはかかるかしら」
意外と遠い……。
こいつはただ座っているだけだから楽だろうけど、30分も坂道を車いすを押して……というのはなかなかにハードだ。
そこでふと、昨夜怜美さんが言っていたことを思い出した。
「そういえば、玲乃。お前が俺を選んだんだって?」
もう少し言い方なかったのかよ! と言ってから思うが、口に出してしまったものはしょうがない。
「え? ……母さんね。なんでそんな余計なことをいうのかしら……」
「それで? なんで俺なんだよ」
まーた、変な訊き方してしまった。
これで、「ひ、一目惚れだから……」とか返されたらどうするんだよ、俺。
まぁ、玲乃に限ってそんなことはないだろうけど。
「ただの偶然よ。――と言っても信じないでしょうね」
「まぁ、な」
いや、黙ってそうなのかー、と信じたほうがいいのかもしれない。
だけど、彼女の言い方からして何らかの意図があったことはもう間違いないだろう。
「唯には話すわ。だけど、展望台でね」
「は? なんで」
俺の問いに彼女は答えなかった。
静かな森の中を進んでいく。
車いすの彼女はその途中からこくりこくりと船を漕ぎ始めた。
こいつ……人に押させておきながら寝てやがる……!
ほんの少し、いや、本心ではかなりイラッときたが、病人に怒鳴り散らすわけにもいかない。
それに、こんな森の中で大声出すのもきっと恥ずかしい。
「はぁ……自由だなぁ」
思わず口に出して呆れる。
わがままで、自由。だけど、こいつはほかの誰よりも不自由なんだ。
体のことだけじゃない。人との付き合い方。自分自身の許し方。こいつはそれが分かっていない。
不自由……いや、どちらかというと不器用か。
脳裏に浮かぶのはあの日の公園。
玲乃をぶった鈴菜……それと、玲乃の表情。
ぶたれたほうも、ぶったほうも、どちらも同じくらい、辛そうな表情をしていた。
……今はもう忘れよう。
今日が過ぎれば彼女たちとの関係は絶たれる。俺は所詮部外者なのだ。
そう心の中で言い聞かせながらも、そこはかとない不安が俺の中で渦巻いていた。
気付いたら、展望台がそこにあった。




