18 様子見ついでに、『何か』を喚びました。
緩やかな坂道を車いすを押して歩いた。
行きは静かだった森の間も、今はやけに五月蠅い。頭に響くような蝉の声が気色悪かった。
「どうして、あんなこと言ったんだ」
その『あんなこと』が具体的に何なのかは口に出すのも憚られた。
「……なぜ、鈴菜をあんな風に突き放したか、って言いたいの?」
「あぁ。お前が嘘をついて、あいつが苦しんだのは本当なんだろ。なのに……」
罪を償うどころか、玲乃は鈴菜を挑発してみせた。
もし、玲乃が一言でも謝罪の言葉を口に出していれば。きっと二人の関係はこのような終わり方を迎えなかったのだろうに。
「あなたにはわからないかもしれないけど……ただの意地よ」
「意地?」
「えぇ。あそこでわたしが謝ってたら……もしかしたらこんなお互いに気持ちの悪い別れにはならなかったでしょうね」
「ならなんで……!」
「許されちゃいけないの」
つい立ち止まり、声に力がこもる俺。しかし、彼女はやはり冷淡にそう言ってのけた。
「そんな中途半端な謝罪の言葉でも、きっとあの子はわたしのことを許すわ。私と違って鈴菜は……優しいから」
は? 何言ってんだこいつは。
優しい? 自分をついさっき平手打ちした相手を優しい、だと?
思わず声に出して反論しそうになるが、その前に玲乃は言葉を続ける。
「わたしは、許されちゃいけない。そんな簡易的な許しで安らぎを得てはいけない。わたしが犯した罪は、そんな些細なものじゃないの」
玲乃は、もう俺に話してなどいなかった。
ただ、自分の罪を自分自身へ知らしめるための言葉。それを一言一言小さく紡いでいく。
「わたしはとりかえしのつかないことをした。しかもそれを後悔なんて全くしていない。あの自分の行動はあの場での唯一の正解だったと疑わないわ」
そう、断言する根拠が分からない。
しかし、今はなにがわからないか、ということはわかる。
彼女がどうして鈴菜に罪を着せたのか。どうしてここまでの信念をもって、彼女へ謝ることをしなかったのか。
それらを当てはめていったとき、全てはこの疑問へとつながっていた。
「……どうして、お前はその時大怪我を負ってたんだ」
その問いに対して、彼女が息をのむのが俺にも分かった。
やはり、何かある。
俺はその確信をもって、彼女の言葉を待った。しかし、返ってきた言葉は非情。
「それは、話せないわ。特に……」
ふいに振り向いた瞳が、こちらをまっすぐに見据える。
「あなただけには」
その時、時間が止まった気がした。
なにかが、繋がった。それが何を表しているのかもわからない自分の中のピースが、全て色を持った。そして、互いに凹凸が噛み合っていく。
……わかりそうで、わからない。それが何なのか、何が起きていたのか、俺は知っている――
絡脈も、整合性もないその思考。それをひたすらに繰り返し続ける。
しかし、時間切れだとでもいうように、彼女は笑った。
「とにかく、そんなに気にすることではないわ。あなたの任期も、明後日で終わるのだし」
「そんな問題じゃないだろ……」
「意外ね。あなたは人情とかくだらないなんて宣う人種と思っていたのだけれど」
正面へ再び体の向きを戻し、彼女はくすりと笑った。
その後、俺たちは一言も言葉を交わさず、森の洋館まで戻った。
□
時計を見遣る。
現在の時間は11時過ぎ。
もうこんな時間になっていたのか……と思いながら、背中に感じるベッドの感触を確かめる。
これでこのベッドに寝るのも5回目、か。恐ろしいほど早いときの流れに辟易しつつも、今日の出来事を反芻していく。
あの公園の出来事の後、洋館まで俺たちは帰ってきた。
しかし、玲乃は夕食を要らないという言葉を残したのち、部屋に引きこもってしまった。
そこから出てこないことを考えると、もう寝ているのかもしれない。
その少し後、怜美さんも来たが、鈴菜という女の子に会ったとだけ伝えると、何かを察したように「今日はもう帰るよ」と洋館を去って行ってしまった。
そして、そのまま俺はすべきこともすべて忘れてベッドに寝転んだ。
ひたすらに考え続けて、もう4時間は経つ。
しかし、その末に得たことも、出た答えも、どれだけかき集めようと一つも出なかった。
何を思ったのか知らないが、俺はベッドから起き上がり、立ち上がった。
……そうだな、玲乃の様子でも見に行ってみようか。
なんとなくそんな風に思った俺は、部屋を出て、階段を下った。
玲乃の部屋の前に来ると、なにやら小さな音が聞こえてきた。
外からじゃよく聞こえない。……なんだか悪いことをしている気もするが、こちらには病人の様子を見に行く、という大義名分がある。
そぉ、っと扉を開けて、中を覗いた。
すると、先ほどはよく聞こえなかったその音がよく聞こえてきた。
「――ごめんなさい」
「えっ……」
ただの謝罪の言葉……ではなかった。彼女は、ひたすらに何かへ謝りながら、すすり泣いていたのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……全部、わたしが、悪いの……だから……」
無意識のうちに、扉を閉めていた。そしてそのまま扉に背を預けて、床へへたり込む。
……あの「自暴女」が泣いていた。
それだけの事実で俺の心は大きな傷を負っていた。
あの強くて、わがままで、ひとりよがりの玲乃が、泣いていた。……いや、その彼女に対するイメージも俺の傲慢か。ただ、俺がそうと決めつけていただけなのかもしれない。
玲乃。
彼女は悔やんでいたのだ。自分が、佐々木鈴菜という一人の女の子の人生を狂わせてしまったことを。
だけど、そんな感情を持った上で、本人に謝罪するという選択肢を取らなかった。そこにはきっと、俺のような部外者ではわかりきれない苦悩があったのだろう。
わからない。
すべてがなんだかバラバラで、理解しきれない。
……だけど、これだけは言える。彼女に……いや、彼女たちに、苦しんでほしくない。
「なぁ、どうせ今もいるんだろ?」
廊下に座り込んだまま、俺は口を開いた。
あの『何か』。あいつなら、きっと、何とかしてくれる。何かしらの選択肢を俺へ与えてくれる。
その確信が、俺に言葉を紡がせた。
『もちろん。いつだってボクは君のそばにいるよ』
「気色悪い冗談はやめてくれ。……用件は、わかるか?」
どうせこの『何か』は俺たちのことをずっと見ているのだ。なら、俺が望んでいることもきっと理解しているはず。
『あぁ、わかるよ。君は、『玲乃の嘘を無かったことにしたい』とでも思っているのだろう?』
「そのとおりだ」
玲乃の嘘――つまり、彼女たちが話していたその時に、玲乃が犯した罪。自分が怪我を負った原因を罪のない鈴菜にかぶせたという事実を無くす――というのが俺の結論だ。
その嘘さえなければ、彼女たちはいまのような関係に陥ることなんてなかったのだろう。
「その願いを叶えるにはどうすればいい。俺が払える『犠牲』ならなんだって払う。だから――」
『残念だけど、君が言っていることは実現できないね』
『何か』は、ただ淡々と言ってのけた。お前の願いは叶えられない。あきらめろ、とそう言った。
「は――? いや、なんで」
『ボクが与えている交換の機会は、『犠牲』を払って『対価』を得る、っていう機会だ。なのに、君はその事実を『消してくれ』なんてボクに言っている。これは、君がどれだけ犠牲を払おうと僕には実現できないよ』
「つまり……事実を消す、なんていうことは『対価』として得ることができない……?」
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
唯一、玲乃を助けられるかもしれない手段、それが失われてしまった――。
俺にはどうしようもできない。玲乃を助けることはできない。
その事実が頭の中をぐるぐるとまわり、自責の念へと形を変えていく。
しかし、そんな俺に『何か』はそう囁いた。
『ははっ、まぁそうだね。……ただし、色々と抜け道はあるものだよ。この世界にはね』
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