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12 航海ついでに、後悔……はしませんでした。

「んで、どうやって海に出るんだよ」


「さぁ。あなたに任せるわ」


 いやいやいや、任せられても。

 俺と「自暴女」(本日は調子が良い)は、波止場に停泊している船の一つに立ち尽くしていた。

 高校生の男女一組が乗っただけでかなりぎりぎりの広さになるほどの船……というかボートだが、動かしかたがよくわからない。


「とりあえず、エンジンを点ければいけないわね」


 そう言って、俺の正面に向かい合うようにして座っていた彼女は立ち上がった。縦長の細長いボートは、それにともないゆらゆらと揺れる。


「おい、何やって――」


 そのままこちらに一歩二歩と歩み寄った彼女は、俺の方へ体を傾けてきた。

 垂れた髪を耳にかけながら、彼女の顔がこちらへと接近する。そのしぐさに、思わずどきりとしてしまった。


 体と体が接近するか否かといった距離感。そこで彼女の体は停止した。そしてそのまま正面、つまり俺の後方へ腕を伸ばし、何かを引っ張る。

 直後、けたたましい爆発音というか、……うん、エンジン音だ。それが静かだった波止場に鳴り響いた。


「どうやったんだ?」


「簡単よ。船外機のエンジンをかけただけ。停泊用のひもにつけてあった鍵はもう外したし、すぐに出航できるわよ」


「……つまり、俺に操縦しろと?」


 一仕事を終え、自分の定位置に戻った彼女は、当然のように俺へ語り掛けた。

 ちょっと後ろに目をやれば、船の後方に黒く角ばったものがくっついている。これがこの船の動力なのだろう。それからはおそらく操縦用であろう長い棒が伸びていた。


「できないの?」


「……なんだかその言い方は腹立つな。普通出来ないだろ」


 へぇ、結局あなたもその程度なのね、みたいな目で彼女はこちらを見てきた。

 被害妄想かもしれないが、無駄にプライドの高い俺氏にはそう見えた。


 だから、俺は意地を張るしかない。


 玲乃は諦めるように少し伏し目がちに、ゆっくり言葉を紡いだ。


「まぁいいわ。最初から無理だとは思っていたの。無理言ってごめんなさい」


「――できる」


「え?」


 きっと玲乃はダメ元……というか、彼女の言う『素敵なもの』を見れる確率が低いのをわかっていて、ここまで来たのだろう。波止場までくれば、もしかしたら、って。


 これも俺の単なる妄想かもしれないけれど、彼女がわざわざ鍵まで借りていたというのは、その『素敵なもの』を本当に見たいって彼女は思っていたということじゃないだろうか。それに、なんだか今日は機嫌がよかったのもそれが理由かもしれない。


 だったら、管理人としてその願いを叶えてやるべき――なんてお人よしぶってみるのも悪くない、か。


「船の操縦ぐらい余裕だっての。舐めんな」


「……なに? さっきと言っていることがまるでかみ合わないのだけれど」


「気にしたら負けだぞ」


 真顔でぴしゃりと言い放つ俺。それに彼女はこめかみを抑えながら「そう」と呟いた。あー、呆れられてしまった感じですかね。


 しかーし。


 俺は心の中で大きく言い放った。そして、それに続いてもう一言、意識の中で叫ぶ。


 どうせ聞いているんだろう?

 『初歩的な船の操縦技術』を対価として得るなら、何を『犠牲』にすればいい?


 技術、なんていう形のないものを『対価』として得られるのかはわからないが、試してみる価値はあるだろう。

 目を瞑って、意識をそれへ集中する。そうすれば、すぐに返答はあった。


『あぁ、聞いているとも。それにしても女の子と二人でクルージングなんて……なかなかに優雅じゃないか。羨ましい』


 あー、そういうのいいから。早くしてくれ。


 『何か』にそう言いながらも俺は内心安心していた。

 本の交換、花の命の交換、あの二つの交換を経て、この交換の機会というものが自分へ本当に与えられているのだということは信じ切っていた。しかし、心の中で念じるだけで応答が必ず来るということに関してはまだ確証がなかったのだ。


『まったく、ちょっとはボクのたわ言に付き合ってくれてもいいだろうに。……まぁいい。『初歩的な船の操縦技術』だね? その対価として見合うもので君の手元にあるものとしたら……うん、その『腕時計』ぐらいが妥当かな』


 腕時計?

 『何か』が提示したその条件を聞き、俺は目を開け手首に巻かれた時計を見遣る。


 恐らくはだれにでも安物ではないとわかるはずの重厚感ある時計。それは俺が一人暮らしを始めるときに、父から餞別としてもらったものだった。


『その時計となら、操縦技術を交換してやってもいいよ』


 わかった。じゃあ頼む。


 俺が心の中でささやくと、『何か』は、はーい、と軽薄そうな調子でそれに応えた。

 直後、自分の手首を見遣るといつの間にか腕時計は消えていた。


「……? ぼーっとしてどうかしたの?」


「あ、いや、何でもない。さて、そろそろ出発しようか」


「本当に大丈夫なの? 船の免許なんて持ってるわけもないし……」


 あー、確かに。

 玲乃に痛い点を突かれて俺は少したじろぐ。例え技術自体はあっても免許がなければそれは犯罪……


「って、あれ?」


 気付いたら、何も入れていないはずの右ポケットに小さなふくらみが。

 明らかにさっきはなかったその中を手探ると、中から一枚のカードが出てきた。

 その表面には『小型船舶操縦許可証』と。


「免許所、あった……じゃなくて、持ってたんだよ、うん。ちょっと昔に取ったんだ」


「……へぇ、なんだか怪しいけれど、免許証があるならとりあえず安心だわ。……苦し紛れ、とはこのことを言うのね」


 前半は呆れるような微笑をこぼしながら、そして、後半はその呆れに寂しさのようなものをにじませて彼女は呟いた。

 瞬間、潮風が吹いて彼女の髪がなびく。


「とにかく出発しましょ。恐らく、少しは手間取るでしょうし」


「手間取る?」


 彼女の言ったその言葉は気になったが、残念ながら詳しくは教えてくれなかったので仕方なく船を出す。

 夏の日差しがさんさんと降り注ぐ中、一隻の船が波止場を出航した。




 ……そして、その3時間後。


「……おい、いい加減説明しろよ」


 俺たち、というか俺はあてもなく海をさまよっていた。

 波止場を出航してからどこに行くのかと玲乃に尋ねると、彼女は「とりあえず、この一帯の海を進んでくれるかしら」と言ったのでとりあえずふらふらと海の上を進んでいるわけだが……


 玲乃のやつ、まったく俺に説明もしないんだぞ? いったいどこに連れていかれるのやらとどぎまぎしていた俺の心などいぞ知らず、彼女はただひたすらに海面を見つめている。


「説明なんていらないわ。見ればすぐにわかるのだし」


「だから、何をわかるのかって俺は訊いてんだよ。もしかしてあれか? 行きたいところとかはなくて、ただ海の上を漂ってたいだけなのか?」


「そうではないわ」


 出航してからというもの、海面ばかり見つめてこちらには見向きもしなかった彼女が俺の目をまっすぐ見つめていた。

 その目には、強い意志がこもっているように思える。


「ったく、わかったよ。このままさまよってればいいんだろ?」


 我知らず、ため息が漏れた。

 この「自暴女」の管理人生活はもう4日目なのだが、いまだに彼女についてはわからない部分が多い。


 妙に意地っ張りだとか、人を嘲るときものすごく楽しそうな顔をするとか、意外と照れ屋だとか、そこそこわかっているつもりでも、ふとした瞬間にわからない、とそう感じることがある。


 今こうして、闇雲に船を進ませている理由だって……

 その時。ふいに彼女が目を見開いた。


「見つけたっ! 右舷30度! 全速前進!」


「うげん? なにいって――」


「だ、か、ら、あっちに進めと言っているの! 早くっ!」


 急に元気になった「自暴女」に言われるがまま、俺は舵を取る。

 彼女が真剣に見つめるその先を俺も見てみるが、なにがあるのかよくわからない。


 しかし。


 それがわかるのはほんの数秒後だった。


 何となく海面に違和感を感じ、俺はそれを見下ろしてみた。

 きらきらと太陽の光を反射して、波がきらめく。そして、その揺れる水面から尾びれが……


「……イルカだ」


 本当にすぐそこ。船から手を伸ばせば触れるのではないかという距離にイルカが泳いでいたのだ。

 俺は反射的に船のエンジンを止めて、船体を漂わせる。


「思ったよりリアクションが薄いわね」


 ちょっと不機嫌さを含んだような声が聞こえた。そちらに目をやれば、少し怒ったように、……いや、どちらかというと不安げにこちらを見ている。


「いや、野生のイルカなんて初めて見るけど……」


「まぁ、そこまでインパクトがある動物ではないけれど、もうちょっとないの、こう……?」


 玲乃の顔が不安げから悲しみに満ちた表情へ変わっていく。

 その時、ふいに海面からひょこりとイルカが顔を出した。器用に尾びれで体勢を保ち、玲乃を見つめている。


 その灰色でつるつるな生物から見つめられていることに気づいた瞬間、玲乃の頬がふっと緩んだ。


「……まったく、どうしてこうも……ね。あなたもそう思わない?」


 彼女はイルカにそう語り掛けながら手を伸ばす。

 するとそれに、イルカはまるで甘えるように頬(に当たると思われる部分)をすりすりとした。くりくりとした黒い瞳が細められ、なんともかわいらしい。


「もしかして、よくこうやってイルカに会いに来ているのか?」


「こんな体よ? そんな高い頻度では来れないわ」


「……あぁ、そうか」


 つまり、こうやって船に乗ってイルカを見に来るのは彼女の楽しみ、ということなのだろうか。

 

「ほら、あの人にも撫でてもらって」


 玲乃は再びイルカに向き直り、そのあと俺に目配せをする。もしかして、俺もイルカと戯れるなどという貴重な体験をさせてもらえるのだろうか。


「なに? 目つきが怖いから嫌だ? まぁ、そこは否定しないけど、そんなに悪い奴じゃないわよ」


「おい、イルカと会話するふりして俺をディスるな」


「冗談よ。ほら、手を伸ばして」


 なんだかかなり巧妙なディスり方を発掘したような気がするが、今は気にせず、彼女の言う通りに船の外へ手を出す。

 すると、すぐさまそこへイルカがやってきて、まるで鳥がくちばしで物を突っつくように俺の手のひらをつんつんとタッチした。


 そのチェック(?)で俺を安全だと判断したのだろうか。そいつはさっき玲乃にしていたように、俺の手に肌をすりすりしてきた。感触は……そうだな、つるっつるで弾力を持ったお皿、みたいな感じ。


「どう?」


「あぁ、悪くない」


 俺は継続してイルカの肌をすりすりとしてやる。すると、そいつは気持ちよさげにきゅー……と鳴いた。

 愛いやつめ。


 そうして、時間はゆったりと過ぎていった。

 イルカと戯れ、玲乃と軽口を言い合い、たまに、遠くの入道雲を見上げる。

 そんななんでもない時間がとても心地よくて、もう陸には戻りたくない、なんて思ってしまった。


 目の前の彼女もそう思っていたのだろうか。

 玲乃のその表情は、まるで別れまでの時間を慈しむかのような――空恐ろしく、寂しい微笑を湛えていた。

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