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11 快調ついでに、お出かけしてみました。

8月9日木曜日


 目が覚めた。頭の中でカレンダーを検索し、今日が8月9日だということを知る。

 確か、今日はかつて長崎に原子爆弾が落とされた日だった気がする。俺は頭の中で亡くなった方々へささやかな黙祷をささげた。


 しかし、いつまでもそうしてはいられない。時刻はもう7時半。玲乃はとっくに起きているかもしれない。

 部屋から出て、軽快な足取りで階段を下る。そのまま彼女を起こしに行こうかと思ったが、俺は一応、一度脱衣所へ行って服を着替えた。


 そして、再び彼女の部屋の前に立ち、ドアノブに手をかけた瞬間。


 俺が力を込める前にそれはするりと回転した。そのまま扉も開く。

 その奥には少し驚きを見せる玲乃の顔が、俺の顔よりほんの少し低い位置にあった。

 つまり、彼女は車いすに乗らず、一人で立っていたのだ。


「おはよう。びっくりするじゃない、扉を開く前にちゃんとノックをして」


「あ、ごめん、すっかり忘れてた。……というか……」


「うん。今日は調子がいいみたい。さ、早く朝食を作って? せっかく歩けるのだからどこか出かけましょう」


 そう言って、彼女は部屋から出て、いつものダイニングに入っていった。


 そういえば、今日はもう、パジャマから着替えているようだった。それも、乳白色のトップスに昨日より二割増しでひらひらしてる短めのスカート。なんとなく、服装全体が明るい感じがする。


 加えて、彼女の表情はどことなく明るかった。

 自分から語りはしない彼女だが、やはり自らの脚で立てるというのはうれしいのだろう。


 いつの間にか口元を綻ばせていた自分を知りながら、俺は彼女の待つダイニングへ向かった。





 以前、彼女から聞いた話によると、こうして立って歩けるような日は一か月に一、二日あるかどうかなのだそうだ。

 その事実も相まってか、俺の前を歩く彼女の足取りはやはり弾んでいるようだ。

 

 現在時刻は9時半。朝食を食べて、ある程度身支度を整え、少しゆっくりしてから俺たちは家を出た。

 玲乃と歩くのは海岸の道。コンクリートの低い壁を左に見ながら俺たちはゆっくりと歩く。

 ふんわりと香る潮の匂いとさんざめく波の音は思っていたより心地よかった。


「うれしそうだな」


「まぁ、否定はしないわ。あなたに押してもらわなくても動けるのだもの」


「その言い方はなんとなく釈然としないが、とにかく調子が良くてなによりだ」


 本当に、普段は車いすに乗っている病人なのだろうか、と思ってしまうほど、彼女はスムーズに歩いていた。しかも、俺の言葉に応えるときは、くるりとこちらを振り向き後ろ歩きまでしてみせる。


 大丈夫だろうか、転んだりしないのか? と内心ひやひやしつつも、楽し気な彼女の姿を見れてうれしいと思う自分もいた。


 ……しかし、だ。調子の悪い日は手足がほとんど動かないと怜美さんは言っていた。なのに、目の前の彼女は何でもないように道端を歩いている。調子の良い悪いだけで、ここまでできることが変わってしまう病気など本当にあるのだろうか。


 

「どうして険しい顔をしているの? わたしの椅子を押せなくて残念?」


「いや、むしろ押さなくていいから超ラクだよ」


「……そう」


 こちらを笑うように彼女が言葉を投げかけてきたので、俺もそれに適当な言葉を投げやった。

 ……しかし、俺の言葉が何か癇に障ったのか、彼女は不機嫌に顔をそらした。


「なんだよ」


「別に。なんでもないわ。……そんなことよりほら、見えてきた」


 わざと何かをはぐらかすように彼女は遠くを指さした。

 その先を見れば、そこにはこの笠町に来る時見た長い砂浜が。

 夏の海は降り注ぐ太陽の光を反射してきらきらと輝いていた。


「どこに連れていかれるのかと思えば、海か。なんだ、泳ぐのか?」


「違うわ、その奥」


「奥?」


 彼女はそう言う彼女の目線の先を俺は追った。そして、その先にはいくつか船が繋がれた波止場があった。

 四角張ったコンクリートの海際にいくつもの船が並べられ、それを囲うようにまた高いコンクリート塀が海に立っている。

 

「なんでまた波止場なんか……」


「行ってみればわかるわ」


 そう言う彼女の足取りはほんの少しだけ早くなった。加えて、その表情も少しうれしそうな気もする。

 一体、何をしようというのだろうか。


 砂浜を横目に見ながら歩くことしばし。

 いくら田舎と言えど、中高生はやはり遊びたい盛り。様々な男女が和気あいあいと水辺で戯れていた。

 ……別に、羨ましくないです。


 そんなことはさておき、俺たちは何事もなく波止場へとたどり着いた。足元に広がるコンクリートのせいか、どことなくここら一帯は気温が高いようにも感じる。


「それで、なにやるんだよ」


「波止場に来たのならやることは決まっているでしょう?」


「そうか? 波止場って言っても釣りとか、あとは船に乗るぐらいしか……」


「その通りよ」


 波止場にポツンと立ち尽くす二人組。そのうちの俺じゃないほうがこちらを振り向き、眼を輝かせた。


「船に乗りましょう」


「はぁ?」


 そう言うや否や、彼女はてくてくと水際まで歩いていく。

 その後、立ち止まってしばらく品定めをするかのように目の前の船を見回していたが、「これね」とつぶやくと、彼女はその船に乗り移った。


 陸地に取り残される、俺。


「どうしたの? 早く乗りなさい」


「え、いや、それお前の船なのか?」


「いいえ。わたしが船なんて持っていると思うの?」


「うん、大体把握したからとりあえず戻ってこい」


 ついにこの「自暴女」が本領を発揮しだしたか……。

 俺は思わずこめかみに手を当てる。


 出会ったあの一日目からなんとなくわかっていたのだ。この逢坂玲乃という人間が、ヒトの話を聞かないことは。


「お前、本気で言ってるのか?」


「えぇ、もちろん。問題はないでしょ、盗むのではなく借りるだけなのだから」


「いや、だめだろ。というかその前に鍵が――」


「鍵ならここにあるわ」


 そう言うと、彼女は不敵な笑みを浮かべて指先でカギをくるくると回した。

 おい、どこから出した。どこから持ってきた。


「わかってるのか? お前、犯罪だぞ? 見つかったらどうなることか……」


「大丈夫よ」


「はぁ? なんで?」


 全く意味がわからない。しかし、彼女はこちらの困惑を知りもせず、言葉を紡ぐ。


「ばれなきゃ犯罪じゃないのよ?」


「……もしもし、警察でしょうか?」


 気が付いたらポケットのスマホを取り出していた。

 というか、なんなのこの子。にやりと笑ったかと思ったらとんでもない言葉が飛んできたんですが。


「……冗談に決まっているでしょう?」


 彼女はどこか恥ずかしがるような仕草を見せた後、んんっ、と咳ばらいをした。心なしか、耳が赤いような気がする。

 つまり、今のは彼女なりのジョーク、みたいなものなのだろうか。もしかしたら、久々に体の調子が良くて舞い上がっている、という可能性もあるな。


「母さんの知人の船なのよ。前に頼んでいたの」


「乗せてくれ、ってか?」


「そう。素敵なのよ、なかなかにね」


 そうして、彼女は控えめに笑った。

 素敵、というからにはなにかあるのだろう。


 ただの二文字。たった三音節しかないそんな言葉なのに、彼女の口から出るとなんだか期待させられる。

 さぁ、真夏のクルージングといきましょうか。





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