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01 暇つぶしついでに、小銭を稼ごうと思いました。

 遠くに入道雲が見えていた。

 まるで、天空の城のように高く積み重なるその姿は、どこか幻想的で、異世界のような印象を抱く。

 もし空を飛べるなら、真っ先にあの入道雲の上へ、駆けて行ってみたい。


 なんて言ったら、彼女は「意外と発想が幼いのね」と俺を馬鹿にした。


 雨がしとしとと降り続いていた。

 だけど、窓は開けっ放し。

 急いで閉めようとしたら、彼女は「やめて」と短く言った。

 その理由を訊けば、「雨の音を聞きたいから」と少し目を逸らす。


「感傷にでも浸りたいの?」

 俺はそう尋ねたけれど、彼女は黙り込んで、窓の外を見つめていた。

 小さな雨粒が、家の中に降り込んでいた。


 夏の夜空に、カラフルな花が咲いていた。

 遠い爆発音に応じて、彼女の瞳も色を変えていた。

 揺れる長い髪も、動かない手足も、少し赤らめた頰の色も、全てが儚く、尊いもののように感じた。




8月6日月曜日



「ねぇ、全く何にもないでしょ」


「そうですね」


 俺の隣でハンドルを握るその女性は自虐めいた、というよりいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 耳が痛くなるような蝉の音と今にも止まりそうなポンコツなエンジン音を聞きながら、俺は車窓から外を見遣る。


「田舎を見るのは初めて?」


「まぁ。テレビとかではよく見ますけどね」


「『田舎に泊まろう』とか?」


「……古いですよ、それ」


 うっそぉ! とジェネレーションギャップに打ちひしがれる隣の彼女は置いておいて、俺の目の前に広がる光景は、その会話の内容からも分かるようにTHE田舎といった雰囲気の風景だった。


 海と山のあいだに無理やり町を押し込んだような、そんな印象を抱かせるこの町の名前は、笠町。

 よく言えば豊かな自然に囲まれた、悪く言えばど田舎のその町を俺が訪れるのはこれが初めてだった。


「それにしても、ありがとうね、浅田くん。こんな田舎でのお仕事を引き受けてくれて」


「いえ、どうせ夏休み中は暇ですから」


「あれれ、可愛い彼女ちゃんとデートのご予定はないの?」


「残念ながら、未来永劫存在しそうにないですね」


 軽口には軽口を、という自己のスタンスに基づき、俺はそう言い返す。ていうか、事実なんだけどね。

 その軽快な会話のテンポが気に入ったのか、隣の彼女……逢坂あいさか怜美れみさんはにやりと笑った。

 薄く自然な化粧とカジュアルな雰囲気のスーツからにじみ出る雰囲気は、おしゃれなOLさん、という感じがある。


 俺たちの乗る車は、海岸線の道を走っていたがやがて建物の多いエリアへと突入し、その後坂を上り始める。 


 あっちぃね、と言いながら怜美さんはエアコンの設定温度を一気に最低まで落とした。


「あの、今更ですけどどうして洋館の管理なんかを依頼したんですか?」


「えーっと、ねぇ……。まぁいろいろあるのよ。着いてからのお・た・の・し・み♪」


「そうですか」


「えぇー、もうちょっとちゃんと反応しようよ~」


 少し年齢的に厳しいのでは、という疑惑を漂わせる怜美さんのぶりっ子を軽くあしらいつつ、俺はこの町に来た理由を反芻していた。


 きっかけは、一本の電話だった。

 以前登録していた人材派遣会社からかかってきたその電話の相手は、俺にある仕事を依頼したいと言った。


 その内容こそが、先ほど怜美さんが言っていた洋館の管理だ。

 いつもの管理人さんに他用ができたらしく、代わりの人材をということで俺がこの町へ来たのだ。


 ちなみに任期は1週間。しかも日当1万円というなかなかにいい条件のアルバイトだ。


「さぁて、そろそろだよ」


 背の高い木が立ち並ぶ中を進んでいく中、怜美さんはそう言った。

 よそ者の俺にはよくわからないあってないような森路を進むことしばし。俺たちの乗る車はやっとその森を抜けた。瞬間、遮るものを失った日光が、俺の目に刺さった。


 八月の鋭い日の光に目をくらませていたのも一瞬。すぐに目を開くと、そこには一軒の建物が。

 

 深い森の奥にぽつりと一軒だけ建つ不思議な雰囲気の洋館。一文で表せと言われたなら、目の前の建物を誰もがそう体現するのではないだろうか。


 クリーム色の外壁に緩やかな三角屋根。二階部分には小さなバルコニーもついており、そこには椅子とテーブルが見えた。窓には両開きの雨戸がついており、いかにもな西洋建築の雰囲気を醸し出している。


「ここが……」


「そ。ここが浅田君に今日から一週間管理してもらう家。町の人はみんな、『森の洋館』って呼んでるね」


 はっきり言って、驚いた。まさかこんな森の中に本格的な西洋館があるとは思っていなかった。

 それも、よくゲームや映画の世界で見るホラーな洋館とは違う。清潔感と自然さに満ちた洋館だ。


 何も言わず車を降りる怜美さんに続いて、後ろからリュックを取った後俺も扉を開いた。

 よく管理されている芝生を足の下に感じつつ、俺はその洋館まで歩く。


 途中、建物の横に小さな家庭菜園が見えた。


「さ、入って入って」


 怜美さんはポケットから鍵を取り出すとかちゃりと錠を開け、扉を開いた。

 笑って俺を招く彼女に「ありがとうございます」と小さく言ってその建物へ足を踏み入れる。


「れのー! 帰ったよ~」


 建物の中にそんな声を響かせながら、怜美さんは靴を脱ぎ、廊下を歩いて行った。

 れの? もしかして家の中にまだ誰かいるのだろうか。


 そんな疑問を抱きつつ、俺も靴を脱いだ。というか、洋館なのに靴は脱ぐんだな。


 早歩きで怜美さんに追いつくと、彼女はこちらを確認した後、玄関入ってすぐの扉を開いた。

 そして、いつだかアニメで見た執事のように俺をその奥へ招く。先には入れ、ということだろうか。


 まぁ、別に嫌がる理由もない。少しのためらいを感じながらも俺はその部屋の中に足を踏み入れた。


「母さん? 遅かったのね。それで、話してた管理人さんは――」


 部屋に入るや否や、そんな言葉がこちらに投げかけられた。

 その内容は理解できる。多分、その声の主は俺をその母さんだと勘違いして声をかけたのだろう。


 しかし。

 俺はそこにいた少女が自分と同じ人間であることは、すぐには理解できなかった。

 

 椅子に座って、大きな窓から外を見つめる横顔に、俺は心を射抜かれた気がした。

 ただ一目、いや一瞬見ただけ。なのに、俺はその整った鼻梁に、くりくりとした瞳に、薄桃色の唇に、魅了されたと確信したのだ。


 黒く長い髪は、まるで絹糸のように艶やかで、肌は白磁のように脆そう。

 線の細いその体は、まるで人形のようにバランスがとれている。というか、顔ちっちゃい。


 さらに彼女がまとうのは淡い水色のワンピースだ。洋風のその恰好がきれいな黒髪と不思議とマッチしているのは不思議としか言いようがない。


「――あなたは、どなたかしら?」


 体は全く動かさないまま、彼女はこちらに首だけを向けて、そう問うた。

 それに答えようとするが、俺の口はまるで縫い付けられたかのように動かない。


「いいわ、わかった。あなた、新しい管理人さんでしょう?」


「……あ、えっと……多分そう」


「やっぱりね。わたしは逢坂あいさか玲乃れの。一週間よろしく」


 そう言って、彼女は微笑む――のかと思ったが、彼女の表情は大して変わらなかった。

 しかし、名を名乗られたのなら、名乗り返すのが礼儀だろう。


「俺は、浅田唯。よろしく。っていうか、よろしくって?」


「え? 何も聞いていないの?」


 れの、と名乗った彼女はそして小首を傾げた。

 何も……って、何のことだろう。


 よろしく、と彼女は言ったのだから、もしかして彼女も俺と一緒にここの管理を任された一人なのかもしれない。

 そう自分の中で仮定を立て、俺は次の彼女の言葉を待った。


「聞いていないようだから、わたしから言うわ」


 そこで彼女は言葉を切った。それに続く言葉は、きっと俺にとっても彼女にとっても、重要なことなのだろうという予感が頭を貫く。

 そして、彼女の言葉はいい意味でも悪い意味でも、俺の予感を裏切らなかった。


「あなたには今日から一週間、この家と――わたしの体を管理してもらいます」


「……はい?」


 そうして『森の洋館』の中、俺と彼女の不可思議な一週間は始まったのだった。




 

 

 

今夜は連続投稿です。

一気に次話もどうぞ……。

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