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猫が消える夜

作者: 白野こねこ

 ある嵐の夜。

 子猫の僕は、立派な洋館に引き取られることになりました。


 この洋館は少し古びていますが、部屋がいくつもあって広々としています。

 とても探検のしがいがある、お屋敷のようです。


 館の中には僕以外にも、五匹の先輩猫がいました。

 来たばかりの僕は、全員の名前すら知りません。


 挨拶をしようとしたら、今夜開かれる会合まで待てとのこと。

 その名も猫夜会議。


 よくわかりませんが、僕も初めて参加することになりました。


 会合場所に指定されていた布団に潜り込むと、先輩猫たちの目がランランと輝いています。

 ちょっと怖いです。逃げ出したくなるのを必死にこらえました。


 五匹の先輩猫が揃うと、まずは新入りの僕のために自己紹介をすることになりました。

 でもこんな暗がりで一度に紹介されても、誰が誰だかわからないのではと、僕はとても心配でした。


「白猫だからシロ」

「黒猫だからクロ」

「三毛猫だからミケ」

「ぶち猫だからブチ」

「ハチ割れ模様だからハチ」


 僕の心配は無駄に終わったようです。

 この家の主人は名前を考えるのが、あまり上手ではないのかもしれません。

 なんのひねりもない名前のおかげで、案外すぐに覚えられそうです。


 そういえば僕の名前も「クツシタ」でした。

 もちろん足の先だけ白い靴下を履いたような模様があったからです。


 でも呼びにくいからといって「クツ」とか「シタ」だけで呼ばれることも多いので、どれが本当の名前かよくわかりません。


 簡単な自己紹介が終わるとシロさんが話しかけてきました。

「別に覚えなくても大丈夫だよ。どうせすぐにみんないなくなるから」


 僕はまだ子供だったので、その言葉の意味がよくわかっていませんでした。

 あんなことが待ち受けているとも知らずに、深く考えていなかったのです。


「自己紹介も終わったことだし、今日はこの館に伝わる猫隠しのお話をしようか」

 クロさんがニヤリと笑います。


「月に一度、猫が消える夜があるんだ」


 消えるという言葉を聞いて、僕はなんだか怖くなりました。

 あったかい布団の中にいるはずなのに、背中のあたりがぞわりとします。


 もらわれていくときに、そんな恐ろしい話があるなんて聞いてませんでした。話が違うというやつです。

 でもそんなことを言い出せるような雰囲気ではありません。


 遠くの部屋で扉がガタガタと音を立てています。

 叩きつける強い雨が、突然降り出したような音も聞こえます。


「一匹ずつ、いつの間にか消えていく。なんの前触れもなく突然に……」


 一瞬だけ布団の中に光が差し込み、皆、光の眩しさに目を細めます。

 同時に風が流れました。石鹸のような匂いがふわりと漂います。


 再び暗闇が訪れ、目をこらすと、さっきまで五匹いたはずの猫が四匹になっていました。

 先ほどまで話をしていたクロさんの姿が見当たりません。


「一匹減ってるような……」

 と僕が言っても、


「なんのことだい」

 とミケさんは取り合ってくれません。


 今度はハチさんが話を続けます。

「猫が消える時は、必ず石鹸の香りがするらしいんだ」


 僕はさきほど嗅いだ匂いを思い出しました。

 確かにクロさんが消える直前、石鹸のような香りがしていたのです。


「さっき石鹸の香りがしました。ほら、今も……」

 そう言って僕は隣を見ましたが、そこにハチさんの姿はありませんでした。


 目の前には三匹しかいません。また一匹減っているのです。

 いったい、いつの間に。

 僕の尻尾は、恐怖でブワッと広がります。


「やっぱり減ってますよ」

 と僕が言っても、


「なんのことだい」

 とミケさんは、やはり取り合ってくれません。


 いなくなったハチさんの代わりに、ブチさんが話を続けます。

「消えた猫は、その後どうなるか……わかるかい?」


 僕は首をぶんぶんと横に振ります。見当もつきません。

 恐ろしすぎて考えたくもありません。


 その時、遠くで物を落としたような激しい音がしました。


 飛び上がりそうになるほど、僕は驚きました。

 情けないぐらいに耳を伏せて、尻尾を股の間に巻き込んで震えています。


「何をそんなに怯えているんだ?」

 そう言ったシロさんの隣に、ブチさんの姿はありませんでした。


 最初は五匹いたはずが、今はもう二匹しかいません。

 どう考えても変です。やはり石鹸の香りがしています。


「おかしいですよ。皆さんどこかに消えてしまいました」

 そばにいたシロさんに抱きついて、震えるような声で鳴く僕を、シロさんは不思議そうに見ています。


「何を言っているんだ。初めから僕たちだけしかいなかったじゃないか」

「え?」


 振り返ると、さっきまでいたはずのミケさんもいなくなっています。


「嘘だ」

「だから言っただろ、どうせすぐにみんないなくなるって」

 シロさんは笑っています。


 もう誰も信じられない。

 僕は怖くなって布団から逃げ出そうとして、シロさんに背を向けました。


「ぎにゃぁぁーっ」

 背後から断末魔のような悲鳴が聞こえて、振り返るとシロさんの姿も見えません。


 本当に誰もいなくなってしまいました。

 僕はいったいどうすれば。

 どうしてこんな恐ろしい館にもらわれてしまったのでしょうか。


 帰りたい。お母さんのところに帰りたい。

 僕はにゃーにゃーと泣き出しました。


 その時、ものすごい力で布団から引きずり出されました。


「次はお前だ……」

「ぎにゃぁぁぁーーっ」


      ※


「こらー逃げるな!」


 僕は今、泡だらけになっています。

 必死に主人の手から逃げようとしたけれど、失敗に終わりました。


「もうすぐ終わるから。頼むよ、もうちょっとだけ、大人しくしてくれよ」


 シャワーで泡を洗い流されました。

 息ができずに苦しくて暴れてしまいます。


 恐怖のお湯攻めが終わると、今度はタオルでもみくちゃにされます。

 ある程度濡れていた水分が取れたと思ったら、次は熱風攻めが始まりました。

 ごごーっという音はかなりうるさいですが、ポカポカしてきて思ったより悪くないなと感じました。


 主人に抱っこされてお風呂を出ると、リビングには先ほどいなくなったはずの先輩がみんな揃っていました。

 全員、無事でホッとしました。


 消えたのではなくお風呂に入れられていただけのようです。

 みんな僕と同じように石鹸の匂いをさせています。


「はい、お待たせー。今日は頑張ったから、カリカリじゃなくてしっとり系な。おっと、ちびっこのクツシタは、こっちのミルクだから間違えんなよ」


 主人が出してきたご飯をみんなで食べます。

 怖い思いをした後だから、いつもより格別に美味しいです。


 僕たちが食べている姿を見ている主人も、なんだか幸せそうです。


「先生、気が済みましたか。早く仕事してください」

「いやだよぉぉー、まだこいつらと一緒にいーたーいぃぃー」


 主人は必死に抵抗していましたが、別の大人に無理やり連れて行かれて、奥の部屋に消えました。


 僕が驚いているとクロさんが話しかけてきます。

「うちの主人は漫画家さんなんだ。今日も修羅場みたいだな」


 漫画家というのも修羅場のことも、なんのことだか僕にはわかりませんでしたが、大変そうなのは伝わりました。


「締め切り前でスランプになると、必ず俺たちを風呂にいれてリフレッシュするんだ。とばっちりにもほどがあるぜ」

 ブチさんが迷惑そうな顔をしています。


「だから俺たちは、もうそろそろだなって思ったら、布団に隠れるんだ。まぁ結局つかまるから効果はないんだけどね」

 ミケさんが苦笑いをしました。


「俺たちを洗いたくてウズウズしてるとき以外は、すんげぇ優しい人だから安心しろ。ご飯もいいやつくれるしな」

 ハチさんが口からご飯をこぼしながら言います。


「先にいってくださいよ。本当に殺されるのかと思って怖かったんですから」


 僕がそう言うと、先輩たちが笑っています。

 どうやら僕がまだ子供だからって、みんなにからかわれていたようです。


「でも、そのおかげで恐怖のシャワータイムを乗りきれただろ」

 シロさんが悪戯っ子っぽいウインクをします。


「それは……そうですけど」

 先輩たちなりの歓迎の仕方だったのかもしれません。


「ってわけで、ようこそ我が家へ。クツシタ」

 初めてきちんと先輩に名前を呼んでもらえました。


 ようやく僕はこの家の家族になれたようです。






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