赤き竜の話
「あの、桜さん。前から思っていたのですがどうして侍女が着る服を着ているのでしょうか?」
そんな問いから俺達の夕餉は始まった。目の前にいるのはエルフ族がよく食べると言う米とそれに合わせて作られた野菜の炒め物だ。
食文化が日本に似ていることに驚きつつも俺は食べていたのだがエルフィールがそんな問いをしてきてどう答えたものかと互いに顔を見合わせた。正直答えようが無かったからだ。
「答えにくいのでしたら別に答えなくとも……」
「ああ、いや、違うんだ。確かに答えにくいんだが説明が難しいと言った方が正しいんだ」
「まぁいつの間にか着せられてたんだよねぇ。ねぇもしかして桐生の願望が如実に現れた結果かもね」
「それは……ありえるな。えーと、まぁ成り行きという奴だな。端的に言えば神様に無理やり着せられたんだよ。サプライズとか言われてな」
「はぁ……神様、ですか。この世で神と言えば龍神さまですか? そう言えば人族が神になったと言う話も聞いたことがありますね」
「そっちの神様だ。俺達はそいつらを倒す旅をしてるんだよ。最近始めたばかりだけどな」
そう言って俺は白米を口の中に放り込む。日本人のソウルフードである白米だが最近は洋食とかが入ってきたせいで食べられる回数も減ってきていると聞く。こんなにうまい物を何故食べるのを控えるのか理解に苦しむ。人それぞれ食べたい物がある結界なのだろうが日本人として白米だけは忘れてはダメだろう。
今となって詮無いことか、と俺は白米を食べながらそう思った。
「桐生殿は荒唐無稽を成そうと言うのですな。神を倒せるならば、我が里にいる赤竜もついでに倒して欲しいものです」
「お父様!?」
「おっと、失礼。長いことこういった状況が続いていると愚痴を言いたくもなる」
「赤竜ってそんなに強いの?」
「ええ、強いなんてものではありません。この森は一瞬で灰燼と化すでしょう」
エルフの里の長ラハールドは箸を置いて語り始めた。
「あれは確か私が子供の頃でした。それまでは人族が時折来たとはいえ、平和に暮らしていたのです。ですが、突如としてミッシェルなる者が現れてこう言ったのです」
『私は神の使徒ミッシェル。これよりこの地を封印する。エルフの子を捧げよ。さすれば滅びからは救ってやる』
「それは本当に突然でした。ミッシェルと名乗った使徒は赤竜を召喚し、世界樹を人質にエルフの子供を順に喰らっていきました。その様はそれはもう悲惨でしたな。今思えば私もよく生きていたものです。それから使徒が去り、定期的にエルフの子供を喰らって魔力をその身に取り込んでいた赤竜でしたがある日、エルフの少女だけを贄にするように言ってきました。エルフの女性は総じて魔力が高いですからね。私達はそれでも犠牲が減るならと承諾してしまった。これがエルフの数が減る原因となったのは皮肉なものです。子を産む未来の母を生け贄にしたのですから当然の報いでしょうな。それから村にはほとんどのエルフの少女が消え、今はもうエルフィールただ一人しかいなくなりました。今日明日にはエルフィールにも声が掛かるでしょう。私はその前に逃げるように言ったのですが」
「……俺達に出会ってしまった訳か」
ラハールドは無言で頷き、エルフィールはどこか申し訳無さそうに顔を暗くした。
なるほど、その絶望に瀕した状況も村人の顔が暗い理由も理解した。禄でもない話であるのは分かったがそれでも俺はこう思った。まだ顔が暗くなるだけの余裕がある、と。
「まぁ俺達がここに来たのは俺達の意思だ。それは何も言わねえよ。ただあんたらは諦めるのが早すぎるんじゃないか?」
「それは……どういう意味ですかな?」
「あんたらは赤竜を倒すために何をした? 小細工は弄したか? 大胆に攻めてみたか? あるいは助けを求めたか? ありとあらゆる手段をもって対応したなら諦めればいい。だが、そうじゃないなら諦めるのは早すぎるだろ」
「私達に抗え、とそう言うのですね桐生さんは」
「エルフィール。お前さんが一番理解しているはずだ。死にたくないのは誰だって同じだ。自分の命を諦めれる奴は余程の馬鹿か真にそれで何かを拾える奴だけだよ」
命は一つしかない。だからこそ、人は抗うのだ。運命という壁にぶち当たり、それを壊そうともがき、苦しみ、そして抗うのだ。それができないのであれば諦めるしかない。そこまで到達していないのにも関わらず、諦めるのは早すぎる。強さを言い訳にして逃げているだけだ。
それでもなお、抗わなければ、救われることなどない。命が惜しいなら時には命を賭ける必要もある。長い時があったならそれに見合う策を労せるはずなのだ。
「まぁ部外者の俺が口を出す事じゃなかったな。悪い、飯を不味くして」
「いえ、あなたの言うことは正しい。久しく忘れていました。我が父も似た事を言っておりました」
「そうかい。立派な親父さんだったんだろうな」
「ええ、赤竜と戦い、果てましたがそれでも私は一時も忘れたことがありませんよ」
「お父様……」
エルフィールの父を憂う声が聞こえてくる。それっきり会話は起こらなかった。黙々とご飯を食べた後、俺達は与えられた部屋へと戻り、寝転がった。胸の内に一つの思いをくすぶらせながらそれを口に出す。それはどうしようもなく現実的な問題であった。
「赤竜を倒す、か」
「できるの?」
するりと俺の胸の内に滑り込んで体を預けてきた桜にそう言われて俺はどちらともつかない返事をする。
「できるかもしれないし、できないかもしれない。それこそ、神のみぞ知るという奴だろうな」
「桐生ならできそうだけどな。ぱぱっと倒せばいいだけでしょ?」
「普通に考えてみてくれ。竜という超常生物を人が倒せるわけがないだろ?」
「それを言ったら神も倒せないでしょ?」
「まぁな。だからまぁ人外にでもなれば倒せるかもな。かくいう俺が人外な訳なんだが」
「じゃあ倒せるじゃん」
「おいおい。俺は対価を貰わないと動かないぞ。お人好しじゃないんだ。慈善事業ならよそ様にやらせるさ」
「私の時はタダだったのに?」
「あれは俺にも利益があったからだ。そもそも元凶は桜だからな? 対価はもう貰っているが」
「私の体?」
「桜のすべてだ。逃げれられないと言っただろ?」
「そう言う意味だったの?」
「それもあるというだけの話だ。俺の愛は桜が思ってるよりも深いという話でもあるがな」
俺はそれだけ言って気恥ずかしくなったので桜に背を向けて寝転がった。後ろから桜の笑い声が聞こえてくるが無視だ。可愛く体をすり寄ってくるが無視だ。
「愛されてるなぁ私。じゃあもっと桐生を愛してあげないとね」
「どんな風に?」
野暮なことを聞いたと思って俺は言葉を撤回しようとしたら桜は分かってるよ、みたいな生易しい目でこちらを見てきた。本当に桜には叶わないかもしれない。いや、自分でボロを出しただけなのだが。
「もう少ししてからね。人の家でするほど野暮じゃないでしょ?」
「それもそうだ。しばらくは、そうだな。桜を抱き枕にすることで我慢しておくよ」
さりげなく桜を抱き寄せてきゅっと抱き締める。その小さな体から暖かさが伝わり、それが俺の心を暖めていく。たった一つの拠り所は何よりも安心する居場所だ。俺の居場所は桜の隣であり、桜もまた俺の隣であると思っている。桜の匂いがほんのりとするのを感じて心の奥が疼くのが分かった。
「桐生?」
「なんだ桜」
「エッチ」
「生理現象だ。我慢しろ」
俺はそれだけ言うと今度こそ目を閉じてゆっくりと眠ることにした。小さな体から伝わる体温に心地よさを感じながらクスクスと笑う桜を抱き締めて。
「いつかちゃんと愛してね」
そんな声が、聞こえた気がした。




