現実の壁は高く※
池田宗太は自分の部屋で座り込み、打ちひしがれていた。己の弱さと彼に対して意見し、そして敵わなかった自分が情けなくて仕方がなかった。そうなったのもこの世界に始めての来た日のせいだった。
彼は正義感が強く、悪い行為は悪いと言い、それを正そうとする根っからの正義マンだった。周りの者はその行いを褒めそやし、彼を中心に人が集まった。そんなまるで勇者のような性格の彼は大層モテた。正しい行いをする彼の側には女が集まる。もちろん、顔が良かったのもあるが正義感が強いところに惹かれる所があったのだろう。そんな彼が勘違いをするのも早くはなかった。自分の行いこそが正義である。そんな妄執へと変わるのは必然であった。
そんな彼が目の前で繰り広げられる悪意ある報酬のねだり方に口を出さないはずがなかった。女の純潔を求める秋花桐生という男に声を掛け、止めようとした。それが正しい行いだと信じて。
だが、口で言っても無視をして話を聞かなかった桐生に宗太は殴りかかった。しかしそんなものを物ともしない桐生に殴り返され、宗太は気絶させられた。
それを知ったのは自分の部屋で看病をしてくれた親友の花谷優一が教えてくれたからだ。それは彼にとって屈辱であった。正しいことを正しいと言えなかった初めての出来事であり、自分がフォローもされないで放置されている現状に混乱した。
「俺は正しいはずだ。なのに、何故それがまかり通る。間違ってないんだ」
念仏のようにぶつぶつとそう繰り返す宗太はどこか不気味であった。
彼は常に正しかった。けれど、異世界に来てまでその正しさが通じるはずもない。異世界には法律もなく、また秩序も簡単に崩れてしまう。そんな世界で正しさを振りかざすにはあまりにも宗太は弱すぎた。
例え、彼が強かったとしても秋花は従わなかっただろう。いずれ気を見て逆襲を仕掛けたかもしれない。いずれにしろ、宗太の正義は異世界に来てまで正しさを維持することはできなかった。それが彼を追い詰めていた。
「俺は……俺は、どうすればいい」
ベッドに腰掛けたままの宗太は自問自答を繰り返し、そうしていつでも答えが出ないままに時間が過ぎていく。そんな所にコンコンと扉を叩く音が聞こえてきた。その音で我に返った宗太は急かすように扉を開ける。そこには親友の優一が立っていた。
「よう、宗太。いつまでうじうじしてんだよ。早く一階層に行こうぜ」
「優一……でも、俺は弱い。あいつにすら勝てないんだ」
「そんなのは強くなればいいに決まってるだろ。くよくよしている間に置いて行かれるぞ宗太」
「そう、だよな。済まない、優一」
「良いってことよ。それより早く行こうぜ。皆が待ってるからよ」
「分かった。先に行っておいてくれ」
宗太はそう言うと部屋の中に戻り、制服のブレザーを羽織り、そして机の上に置いてあったアーティファクト、聖剣エクスカリバーを手に取った。銀色の刀身が持ち主を祝福するように輝きを放つ。宗太はそんな世迷い言を心の内に浮かべながらも静かに決意を固めた。
「よし、俺は強くなるぞ。そしてシャリスティアさんを守るんだ」
宗太は始めに志した想いを言葉にしてから自分の部屋から出て行った。彼は親友の言葉一つで立ち直る程単純でもあった。
§§§
それから三人と合流した宗太は一階層へと行った。実際にゴブリンと相対して四人はその強さを実感していた。
「おらぁ!」
優一がゴブリンに向けて剣を振るう。しかし、それを持っていた棍棒で軽々と防がれてしまう。その横合いから隙を付いて同じく剣を振るった。だが、ひらりと避けられてしまう。
「くそっ、優子!」
「ファイアーボール!」
優一が剣を引くのと同時に放たれる火の玉。魔女の杖の効果による火魔法ファイアーボールはゴブリン目掛けて直撃した。ドンとデカい音立てて爆発音が鳴り響く。
「やったか!」
宗太が声を張り上げてゴブリンがいる場所を凝視する。やがてしばらくすると煙が晴れ、そこには煤を被ったゴブリンがいるだけであった。
それに驚く四人にゴブリンは走り出した。慌てて走りを押さえようと動くが不意を付かれ、また力強い走りを前に押し止める力がない宗太と優一は為す術なく、ゴブリンを後ろへ通してしまう。
「しまった! 優子! 花蜂!」
宗太が後ろにいた二人に声を掛けるも既に花蜂を庇った優子とゴブリンが戦闘を始めていた。これは明らかに前衛のミスだ。痛みを恐れるあまり、体を張ることをしなかった。それが致命的なミスを生んだ。
本来後衛とは完全に後ろからのみ攻撃する遠距離ユニットを指す。現実であれば短剣やショートソードなどの副装備を念の為に用意するのだが彼らにはその副装備がなかった。
重量のある攻撃を杖でどうにか受け止めていくも、徐々に追いつめられていく優子に宗太が急いで戻っていく。だが、後もう少しの所でゴブリンの腕が優子の持つ魔女の杖を弾き飛ばし、腕を振り上げた。
「優子ぉぉおお!」
宗太の悲痛の叫びが虚しく一階層フロアに鳴り響く。ゴブリンの腕が遂に振り下ろされる直前、静かでありながら落ち着いた声が四人の耳に確かに聞こえてきた。
「兵装解放」
その声が聞こえた直後、ドカンという銃声が鳴り、ゴブリンの左足から血飛沫が舞い、バランスをくずして後ろへと倒れる。更に体勢を崩したゴブリンの脳天へと追撃の銃弾が撃ち込まれる。
そんな二発の銃弾で呆気なく絶命したゴブリンが魔石へと変わると四人は思い思いに緊張を解いた。声が聞こえてきた方へ四人が振り向くとそこにはあきれ顔をした桐生と弓を背負った桜の姿があった。
「何やってんだお前ら?」
「お前には関係ないだろ」
宗太は助けられた屈辱にうち震え、そう小さく呟いた。宗太にとって桐生に助けられるというのはあまりにも屈辱的であったのだ。一も二もなく、拒絶する有り様はまるで我が儘を言う子供のようであった。
そんな素っ気なく突き飛ばした言葉を吐いた宗太に桐生が何か言おうとする前に優子が話を被せてきた。
「おま」
「ねぇ秋花くん。さっきのは銃撃だったの?」
言葉を遮られた事に優子を睨んで文句を示すも桐生は優子の問いに答えた。
「まぁな。わざわざ手の内を見せてやる必要もなかったんだが目の前で人が死ぬのはごめんだからな」
「それは……ありがとう」
優子は素直にお礼を言う。例え、それが嫌みだったとしてもそれは彼自身の優しさであると理解していたからだ。この中で優子のみが桐生の中にある本性を読み取っていたのだ。それが間違いだと知らずに。
「まぁあれだ。せっかく助かった命だ。大事に使えよ」
桐生はそれだけ言うと去っていった。
その言葉は四人にとってあまりにも重すぎる言葉であった。実際に死にかけた優子が一番分かっていることかもしれない。死がこんなにも簡単に訪れるというのは現代日本で生きる人にとってあまりにも命が軽すぎる状態であったのだ。
優子は桐生の言葉を反芻し、優一は何も語らずにうつむいたまま、宗太は屈辱に震え、幸江はそんな宗太を心配そうに見つめる。
四者四様のあり方であったがそれぞれに深く考えるきっかけとなった出来事であった。生きる為に引き籠もるか、再び立ち上がり足掻くか。二つしかない選択肢を突き付けられた四人は誰からともなく立ち上がり、そして最下層フロアへと戻っていった。
後に残ったのは何薄く紫色に染まる床に落ちるゴブリンの魔石だけであった。




