第十話
目を覚まして周りを見渡すと、すっかり暗くなっていた。お腹は空いていないけれど、喉の渇きは相変わらずだ。
確か俺は『発作』を起こして、渇きを我慢できそうになかったためギルに意識を落としてもらったはず……。今は渇きはまだ存在を主張しているが、理性が失われていない。こんなことは前例がない。前例と言っても、過去三回しかないのだが。
横を見ると弟、ギルが眠っていた。その顔には涙の痕がある。……泣いたのか。ギルが泣くなんて珍しい。少し沸点は低いが、どちらかというと落ち着いた考え方をするし弱みを見せることを酷く嫌う。そんな彼がこんなにも感情をあらわにするなんて何があったのだろう?
涙の痕に手を伸ばそうとして、出来ないことを思い出した。『発作』のため手足を縛られていたのである。
「…起きたのですか」
ユズリハさんが声をかけてきた。
「一日、経ってますか?」
「いえ、あなたが倒れてからそんなに時間は経過していません」
話すと、下唇に犬歯が僅かに当たる。そのせいで少し話しにくい。
何故、一日も過ぎていないのに渇望を抑えることができているのだろう。常にユズリハさんの露出している首筋に視線は吸い寄せられるし、縄を解かれたら襲いかからない自信なんてない。しかし、こうやって理性を失わずに会話ができているのだ。
「『発作』とやらになると、瞳が緋になるのですね」
「なってr……ます、か?」
「ええ」
「…何で、泣いた痕があるの、…ですか」
「…はい?」
「あいつは……強くて脆い。弱みを見せることを酷く嫌うから、ほんとに辛いときに感情をあらわにすることを良しとしない……そんなギルが涙を流した。何が、あったの。まさかとは思うけど……ギルに何かしたわけじゃないよね」
つい敬語を忘れるほど、ギルが心配だった。そんなに表には出せないけれど、弟は可愛くて仕方ない。
「何もないとは言いませんが……泣かせた訳ではありませんよ」
後ろから声がかかる。さきほどまでいなかったナノハ…さんだ。……いつ戻ってきていたのだろうか?全く気配を感じなかった。今は特に感覚が鋭敏になっているのに、大した技量である。ギルとの手合わせで分かってはいたが。
「どういうこと?」
聞けば、俺が突然『発作』を起こした理由諸々を求めたところ、ギルが泣き出してしまった、ということだった。
「誰にも話せずに抱え込むのが、辛かったようですよ」
「……その眼で睨むのを止めなさい、わざとではないのは理解していますがかなり人外な雰囲気が漂いますから」
「ユズリハ…さんが言えることじゃないと思……います」
「あの、無理して敬語を話さなくても良いですよ? 私と姉様の話し方は癖なので」
「話をそらされたような……。というか、ほんとに敬語で話さなくても?」
「良いと言っているのだから良いのです。素直に受け入れなさい」
「……ハイ」
この人の圧力は、細くて小柄な身体から発せられるとは思えないほど重くてキツい。
あっさりと圧力の前に陥落した俺の返事に、ナノハ…さんーーナノハでいいんだっけ? がくすりと微笑を漏らす。口元に手を添えていて、なんだか上品な印象を受ける。
「さすが双子ですね、返事の仕方が瓜二つです」
「…そ、そう」
顔が似ていると言われるのは常だが、言動についてはあまり言われたことがなかった。だからか、少し答えるのは難しかった。
そういえば、喉の渇きがあまり気にならない。乾いているのには変わらないし、衝動も依然としてそこにあるけれど、話の内容に集中できるほどの状態なんて。
それとーーーー。
「血の、香り」
ナノハから血液の鉄臭い香りがする。腕にはそこそこ大きい切り傷ができていた。
「あぁ、これですか?」
首を傾げてこちらに問いかける彼女。
「不思議だと思いませんか? 気を失う前まで堪えることが苦しかったのにも関わらず、今こうして話ができていること……。そう、思いませんか?」
それは思う。あんなにも辛かったのに寝るだけで軽減するなんて、有り得ない。
「ナノハは、自分で傷をつけてあなたに血を飲ませたんです」
……………。
「はあっ!?」