第九話
《ギルside》
黒い疾風が横に駆け抜けていった先を見やると、兄さんはうずくまっていて、ユズリハ…さんは尻もちをついた状態だった。
ナノハ…さんは兄さんに今にも飛びかかりそうな雰囲気を醸し出していて、僕は慌てて彼女の前に立ちはだかった。
「ダメっ!! 今の兄さんは飢えた獣のような状態なんだからっ!!」
ちらりと兄さんの様子を伺うと、いつもの翠眼が緋色に染まりかけているのが分かった。それは間違いなく『発作』の症状の一つ。
前回の『発作』で分かっているのは、三つだ。力が僕並に強くなることと、目の色が変化すること。もう一つはーーーー血を、欲すること。
僕は力ずくで兄さんを止めなければならないし、兄さんも僕が『発作』を起こした場合止めなければならない。
「……っギルっ、はやくっ……!」
「…分かってる!」
前回僕は手刀で兄さんの意識を落とそうとして、失敗した。なら、今度は直接頭に衝撃を与えるまでである。
右腕を振りかぶって、大剣の柄を彼の後頭部に叩きつけた。それはもう、全力で。
しかし、兄さんが意識を失う気配なし。つい叫んでしまう。
「えっ!? 兄さんいつもの軟弱さはどーしたの!?」
「うっ…さい……!」
まるで親の仇であるかのように睨まれる。僕たちに親なんていないも同然だけど。緋の瞳で見つめられるとなんか戦慄が走る。
『発作』から時間が経てば経つほど理性は失われていく。睨まれるというのは、まだ兄さんに理性が残っている証拠。必死にかき集めていっぱいいっぱいなのだろうと予想するのは容易い。
「ってことで、せいっ!」
さらにもう一度振り下ろす。はやくブラックアウトさせてあげるのが一番である。
倒れた兄さんの手と足を拘束する。およそ一日続く『発作』で誰かを襲わないために。
「あ、あの」
声をかけられて、すっかり二人を忘れていたことに気づいた。なんとか誤魔化せないかと頭の中をフル回転させる。
「わ、ごめんなさい!! えっと、これは〜その〜」
「ひとつ残らず説明しなさい。今すぐに」
「……ハイ」
ずいっと詰め寄られて鼓動が跳ねる。初めて会ったときに一目惚れしているこちらからすれば心臓に悪いことこの上ない!!
ユズリハ…さんのその小柄な身体から発せられる圧力に抵抗することなど不可能だった。何故にこんなにも抗い難いのだろうか……。
とはいえ、話せることなんてほとんどない。僕たちは、僕たち自身のことを知らない。
『発作』とは何か。何故力が増すのか。瞳が緋に染まる理由とは。初めての『発作』から少しも背が伸びていないことと関係があるのか。血を求めるのは何故なのか。自分は、何者なのか……!
それを知るために、冒険者という職業を選んだ。知っているのは僕たち双子と、世話になったいた孤児院の院長のみ。
「血なんて、ちっとも美味しくなんかないよ。なのに身体は欲しい欲しいって訴えかけるんだ。結局動物を狩ってその血で凌いだ。吐きそうになるのを堪えて」
「なんで他の子たちと僕たちは違うのかなぁ? 人間じゃないなら一体なんだと言うんだろ?」
「こんな『発作』が度々起きるのに、王国に臣下として仕えられるわけないじゃん……」
洗いざらい、吐き出した。苦しかった。辛かった。悲しかった。本当は、誰かに打ち明けたかったのかもしれない。心にしまっておくには、耐えきれない大きさだった。
二人は、黙って聞いていた。順序だってめちゃくちゃで、ただ溜め込んでいた感情を吐き出しただけとしか言えない内容だったにも関わらず、黙って聞いていてくれた。
「こんなことを聞いてしまったら、放っておくことなどできなくなるではないですか」
「姉様が吐き出させたのでしょうに……。とりあえず、ギルベルト君は休んでください。疲れたでしょう?」
「一度同行を受け入れ、訳ありな話まで聞いたのです。ここで見捨てたりなどしません」
信じられる。そう思った。僕の直感はよく当たる。
「ありがと……」
お言葉に甘えて、休ませてもらうことにする。孤児院では、年長者の言うことには素直に従うのが良いと言われていた。兄さんの隣に横たわると、その瞼を閉じた。