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短編・異世界トリップもの

騎士は聖女の名を求む

作者: 多軌トヲル

 


 視線の先にあるものは鉄格子。閉じ込めるための檻だ。

 その格子の間から、窓越しに空が見えた。冬の空気の澄んだ、綺麗な空色が広がる。切り取られた小さな空。

 前はその下にいたのに、いつの間にかこんな狭い場所に閉じ込められている。


 ぼんやりと、その空を流れる雲の動きを追う。大きな雲が千切れていって、また、千切れた雲が集まる。同じものは二つとない。日の光を反射した白が、眩しい。

 薄暗い檻の中の身としては、目眩がしてくる。

 眩しさに目を瞬かせて、彼女は思う。


 そういえば、最近空色に会っていないな……と。



■□■□■



 外に出ればすぐに冷たくなる手。今では季節はすっかり冬だ。その手を軽く擦ったり、息を吐きかけたりしたがあまりあたたかさを感じない。

 そんな実りのない行為をしていれば、ラフルの視界を上から下へと何かが通っていった。顔を上げてみれば、辺りにチラチラと白い物が落ちていく。朝方から妙な空模様だと思っていれば、やはり雪が降ってきた。

 手を出して受け止めれば、冷たい自分の手の上でもすぐに形をなくして溶けていく。


 傍の子供たちに雪だ雪だと喜ばれるが、溶けてしまえば厄介ものだ。服は濡れるし、地面が乾く前に冷え込めば凍りつく。

 雪も水ももとは同じだろうに、なぜこうも違うのか。

 濡れた手から水を払っている間にも、ラフルの体に雪は落ちてくる。


 体にかかった雪を簡単に払って、城の騎士寮に入る。自分の部屋に向かうために動かした足を、ラフルは止めた。

 廊下の窓から、外へと視線を動かす。ここからでは見ることができない位置にある部屋。

 城の膿がたまる場所。政治犯や王家や派閥争いで邪魔になった者たちが押し込まれる、牢屋。


 彼女が、その牢屋に入ってから数ヶ月が経った。

 本来ならとっくに処分が下されているだろうに、対処に困った上の連中により、未だ保留という形で彼女はあそこに居る。

 教会からの圧力が強い、というのも原因の一つだ。教会側は彼女の即時解放を要請しているが、これで言う通りに彼女を解放しようものなら、教会はこれ幸いと彼女を聖女として祀りあげるだろう。


 だから、牢屋に居させられている。と言う方が正しいのかも知れない。

 彼女は、王家と教会の勢力争いのとばっちりをくらったと言っても過言ではない。本人の知らぬ間に、政治の駆け引きの材料にされているのだから。

 教会の勢力の中には、過激な思想を持っている信者も少なくない。それを殺ぐために、利用する王家。誘き寄せるための餌にした。


 噂では、牢屋の辺りはわざと警備を薄くまでしているらしい。

 これで一騒ぎが起きたなら、教会勢力を削り、なおかつ処分に困った彼女を騒ぎに乗じて始末するつもりなのだろう。

 虎視眈々と王家の影響力を落とそうと画策する教会と、それを利用し力を持ちすぎた教会を貶めようとする王家。


 それを、当事者である彼女は知らない。何も知らずに、ただあの寒い牢屋で何ヶ月も過している。

 だが、彼女は愚かではない。聡くはないが、この状況に何かしらの考えを持っているはずだ。

 いつになったら動き出すのだろうか。最近、総隊長が教会のじれったい動きに愚痴をこぼしていた。


 名前すら知らない彼女は、あの狭い鉄格子の中で、何を思って過しているのだろうか? そう思うと、ラフルの足が自然と牢屋に向かう。

 自分以外には恐らく、囮としてしか思われていない彼女。そんな彼女の様子を見に行く自分は、変わっているらしい。けれど、興味があるのだ。

 異界から、突如としてやってきた彼女に。


 彼女に無駄な興味と感情は持つな、そう隊長に釘を刺された。

 だけど無理だと、ラフルは思う。この世界とは違う常識、価値観、知識を持つ彼女との会話は、この上なく楽しいのだから。

 暗い牢屋の中と外、鉄格子越しでの異質な邂逅が、ラフルには新鮮だった。


 城の中でも社交の場でも、自分に利のある家か、派閥は敵対してはいないか。社交辞令の裏に隠された言葉を読み取り、足をすくわれぬように常に気を張る。

 ある意味で見えない鉄格子に囲まれた場所は、牢屋と同じだ。

 だからこそ、罪人でもなければ裏もない、彼女との逢瀬はある種の癒しとなっていた。


 お互いの知識をすり合わせていく短い時間が、ラフルにとっては面白かった。城勤めで神経を張りつづけることに疲れたラフルには。

 今更、一歩引けなどと言われても出来はしない。


 見張り番の騎士に、またコイツかという目で見られながら、ラフルは静かに牢屋へ続く部屋の扉を開けた。

 女の罪人が入れられる牢に向かう。一番端の、他の罪人からは離された牢。静かに牢へと近付けば、彼女は嵌め殺しの窓から、外を眺めていた。

 ガラス越しに落ちていく白い色。


 彼女は大きく息を吐くと、仰向けに倒れた。お世辞でも快適な寝心地とはいえない床。硬くて冷たい石造りの床。冬場、特に冷え込む夜には、ひたすら寒さに耐えるしかない。

 中には冬を越すことなく、この鉄格子の向こうで息絶える罪人もいる。もっとも処分する手間が省けたと、上の連中はのたまうが。

 途中から、わざと足音を立てて歩き、彼女の牢の前に立つ。



「随分と辛気くさいため息だな」



 つとめて軽くそう言えば、彼女が目を開いた。そろりと、気だるげにラフルに視線を向ける。

 ここに入った直後から、ラフルがずっと見てきたその目。



「空色さんじゃん。どうしたの?」

「君はまた、そう言う……」

「冗談だよ。で、ラフルさんはまたサボり?」



 彼女はわざとなのか、ラフルのことをよく空色と呼ぶ。ここに来てから変わらないが、最近は特にその頻度が上がっている気がする。

 以前、理由を聞いてみたらなんのことはない。牢屋の中で自分の瞳を見ると、空の下にいるように思えるから。だそうだ。

 少しだけ、彼女の表情が柔らかくなる。些細な表情の変化は、恐らくラフルにしか分からないのだろう。牢に入った人間に関わる人物は最小限だ。王家の人間も城の関係者も、当人に深く関わることはない。


 まるで、腫れ物に触れるようだ。ラフルは思う。

 異界から来た黒い髪に瞳を持った彼女は、二百年前にこの国を救ったと言う、救国の聖女の再来と言われた。だが今現在、危機的状況下ではない国においては、不要な代物で。むしろその存在が、いらぬ内乱を引き起こすきっかけになりかねない。

 だから皆、彼女に近付かない。表向きには敵国の間者として、牢屋に入る彼女には。



「サボりではなく適切な休憩、と言ってほしいな」



 彼女と同じ冷たい床に腰を下ろし、ラフルは微かに声色を変えて言う。



「ラフルさん、上手いこと言うね」



 牢屋と言う陰気な空気の場所で、彼女は軽く笑う。

 全く知らない場所で、理由を知ることなく牢屋に閉じ込められ何ヶ月も過す。なのに何故、彼女は笑うことができるのか。

 もし、だれも彼女に近付かなければ、どうなっていたのだろう。


 ……きっと彼女は、誰にも知られることなく、静かに、緩やかに壊れて逝く。



「なに辛気くさい顔してるの。ラフルさんがそんな顔する必要ないでしょ」



 ゆっくりとその体を起こして、彼女はラフルに手を伸ばす。頬に添えられた手は、完全に冷え切っていた。

 与えられた服は、今では薄汚れていた。小柄な彼女には大きな、白い服の袖から出された腕は、こんなにも細い。



「ラフルさんは国を護る騎士でしょ。私はラフルさんたちが護る国を揺るがす、厄介物の異世界人。私情挟んじゃだめだよ。三番隊、副隊長のラフルさん」



 やはり彼女は愚かではない。外のことが、自分がどう扱われるのか分からないと不安だろうと、ラフルが会話の中に紛れ込ませた情報。それを彼女はきちんと読み取っていた。

 だからといって、国に忠誠を誓う、剣を捧げた騎士である自分が、出来ることなどないのだ。それを分かっているからこそ、彼女は言った。


 罪人ではないが牢の中にいる彼女に、こんなことを言われるとは……。これでは、騎士失格だ。

 添えられた彼女の手を、ラフルは握った。ラフルの手もあたたかいわけではないが、少しでも暖が取れればと強く握る。



「寒く、ないか?」

「さっきまで寒かったけど、今は寒くないよ」



 鉄格子越しに差し出された手。目の前のこの鉄を、剣で切って出してやることも自分には出来るのに。

 自分と彼女の距離はないといってもいいのに。なのになぜ、こんなにも距離を感じるのだろうか。



「ここから出たいか?」



 絶対に、騎士であるラフルが言ってはいけない言葉。それが口からするりと出てきた。城の中の誰かが今の言葉を聞いていたら、処分は免れない。

 それでも、彼女をここから出したいと思っている自分がいる。



「……今のは聞かなかったことにする。ラフルさん、あなた私をここから出した日には、騎士をクビになるだけじゃ済まないでしょ? だから、情は持つな」

「――っ」



 握っていた手に、鈍い痛みが走る。

 分かる。彼女が自分の手に爪を立てたんだ。



「行き着く先の予想は大体出来てるから。どうせ出たところで、この世界で私に行ける場所なんてない。知識は得ても、どうすれば生きていけるのか、正直自信がないんだ」



 そう、意志の強い瞳で彼女は言う。なんだよ、その、死期を悟った、覚悟を決めたかのような言葉は。

 どんなに格好悪くても、足掻いて生き延びようと思わないのか。



「雪、降ってきたんだね。私の住んでたところだと、あんまり降らなかったんだ」



 薄い笑みを浮かべながら、彼女が口を開く。

 その表情は、日にひに疲労の影が色濃く出ている。



「そうなのか。この降りならば、積もるだろう」



 だとしたら、今夜の牢屋はかなり寒いだろう。ラフルは、ちらりと鉄格子の向こう側に視線を向けた。床に放り出すようにある、一枚の布が目に入る。

 あんな薄い毛布一枚で耐え凌ぐのか……。



「ラフルさんの肩も軽く濡れてるしね」

「帰ってくるときに降られた。はしゃぐのは子供だけだ」

「あはは。それはどこの世界でも変わらないんだ」



 笑っているその顔が、無理をしているようにしか見えなかったのは、自分の気のせいだろうか。

 外の世界から隔離された、寒い牢屋。精神的にも、体力的にも辛くなっているハズだ。



「もう少し、強気になって文句を言えば、多少なりとも待遇が変わっていたかもしれないぞ」

「状況把握してない中でそれやったら、私の心象最悪になるでしょが」



 握った手をそのままに呟いたラフルの言葉に、彼女は笑いながら答えた。


+++++


 昼間よりはっきりと出てくる白い息。それは、今が夜だからなのかも知れない。周りの暗さに混じることのない色。

 あれから止むことなく、雪は深々と降り積もる。二色のコントラストを見せながら深くなっていく闇。

 不寝番の騎士にそれなりの数枚の硬貨を渡して鍵を受け取り、硬い鉄の扉を開けてもらう。鈍い音を立てる扉に、近くの罪人がわずかに目を開いてラフルを見た。探るような視線を気にせず、ラフルは肩に乗せていた毛布を一度担ぎ直して中に入る。



「なにやってるの、空色さん」

「だから……」

「ラフルさん?」

「そう。言い直すなら、最初から言え」



 牢屋の隅で、毛布に包まる彼女の姿が見えた。入った瞬間、自分でも寒いと思った。そんな中に、彼女はいるのだ。

 受け取った鍵を使って、手早く開ける。



「あの、ちょっとラフルさん?」

「なんだ?」

「なんだ? じゃなくって何? 毛布の差し入れ?」

「違う」



 鍵はかけずに扉を閉めて、訝しがる彼女の側に行く。

 持ってきていた毛布の一枚を自分の身体にかけて、隣に座る。そして彼女の身体に腕を回して、膝の上に乗せた。

 びくりと驚きはしたものの、彼女は抵抗はしなかった。



「えーと、あえて聞こうか。何がしたいのでしょうか? ラフルさん」

「見ればわかるだろう」

「いや、わかんないって」



 小声でなにやら言っているが気にせず、ラフルはもう一枚を彼女の体にかけた。

 毛布が体にきちんとかかっているのを確認して、ラフルは彼女の体を抱きしめる。昼間握った手と同じで、冷え切った体。



「これなら、寒くはないだろう?」

「……そうだね。風邪引いたって知らないよ」

「君が今の今まで風邪を引いていないのだから、問題ない」

「……バカな人」



 表情を柔らかくして、彼女はラフルに体を預ける。

 少しでも早く暖まれと、回したこの腕に力を込める。



「今日は労せず寝れそう」

「ああ。安心して眠るといい」

「お休み」

「鍵はかかってないぞ」

「私、城の間取り知らないんだけど?」



 悪戯っぽく返す彼女の言葉に、ラフルは真顔で考え込む。確かに、城は複雑な作りだ。しかもここは城の奥に位置する。



「では次は、城の間取りの話をしよう」

「……ラフルさんさぁ」



 こんなところで死を選ぶな。周りからどんな目で見られようが、必死になって生きろ。

 ここから出て、生き方を知らぬと言うなら、私が全て教えていく。自信がないというのなら、私がその不安を取りのぞく。だから、生きてほしい。

 半眼になってラフルを見る彼女は、かすかに笑うと目を閉じた。ラフルの腕の中で、安心しきった表情を見せる。



「……君の、君の名前を教えてほしい」



 そう、ラフルが問いかけても、彼女は答えない。それきり口を噤んでしまった。

 果たしてそれは、眠っているのか? それとも、あえて黙っているのか?

 痛いくらいの沈黙が辺りを包み込んだ時、



「芹沢結花。こっちだと、ユカ・セリザワ」

「ユカ、か。響きの綺麗な名前だな」

「ありがと」



 少しずつ温かくなっていく手と身体。

 この手が、自分の触れられない所に行ったとき……冷たくなっているのだろうか?


 それから数日後、過激思想の教会信者たちが聖女を返せと暴動を起こした。

 血眼になって彼らが捜した聖女の姿は、終ぞ見つけることができなかった。


 除隊した一人の騎士が、この騒動の中ひっそりと故郷に帰っていった。

 その元騎士が連れていた妻が黒目黒髪だったのを、入国管理の騎士だけが知っている。


.

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[一言] 幸せになってほしいと、ただひたすらそう願ってしまいました。 ラルフ、頼んだよっ!!
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