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フラッシュバック  作者: 水谷一志
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間章 セントラルパーク座談会

間章 セントラルパーク座談会

 一子:「ここでは読者の皆さんに、セントラルパークの住人についてもっと知って欲しいという思いから、座談会を開くわな。セントラルパークには、いろんな性格診断の人がおって、それぞれがそれぞれの思いで生活しとるわけやけど、共通しとるんは、みんな自分のことを、知って欲しいってことなんや。じゃあまずは、『エカテリーナ』のAさんからや。」

A:「エカテリーナのAです。エカテリーナというのは、私たちの性格診断の名前です。まずは私たちの性格診断の説明からいきたいと思います。『世の中の全てのことは、政治や経済などのためにある。』

私たちがやっていることは、政治や経済、学問など、俗に『高尚』と言われる領域のことです。それらのことについて考え、意見を出し合っていると楽しいです。そして、私たちは右派です。右派の説明は、物語の性格診断の所でしましたよね。そして私たちの考えの代表的なものに、『ティー』と『水上スキー』があります。ティーというのは、『自分の考えは自分の考えとして掘り下げ、相手の意見も意見として取り入れよう』という考え方です。アルファベットの、Tの図を書いてもらえれば分かるかとは思いますが、掘り下げた自分の意見をTの縦棒、裾野となる相手の意見をTの横棒になぞらえて、ティーというわけです。水上スキーというのは、『大きな目標を持ちながら、目の前の小さなことから取り組んでいこう』という考え方です。ちょうど水上スキーのように、大きな目標にロープをかけ、小さな目標という‘水面’を滑っていく、という考え方です。」

一子:「エカテリーナとおばあちゃんらには、共通点もあるんやけど、基本的に興味はないわな。おばあちゃんらからしたら、ちょっときれいごとのような気がするんや。」

A:「同情はいらないですよ。私たちの気持ちなんて。でも、本当は分かって欲しいんです。もっともっと多くの人に、自分たちのことを知って欲しい。そして、自分たちの考えを、『いいな。』って思って欲しい。こういう気持ちを、『悲劇のヒーロー』って言います。分かりやすく言えば、すねてる状態です。『さっきは立派なことを言っていたのに、いきなり何を言い出すんだ。』って思われたかもしれません。でも、人間は矛盾を抱えた生き物なんです。そして、この、悲劇のヒーローは、セントラルパークの住人ならほぼみんなが持っている気持ちなんです。」

一子:「おばあちゃんも悲劇のヒーローや。『1回見たら何されてもいい。』と一緒で、セントラルパークの住人は、弱い気持ちやなく、強い気持ち、アツい気持ちを持っとるのがええって思っとるんや。自己満足でもいい。その代わり強い気持ちを持っといて欲しい。それがセントラルパークの考え方や。」

A:「次に、ゼータについてなんですが、これは持っている人と持っていない人、両方います。ちなみに私はゼータ持ってますよ。もちろん、ティーや水上スキーなどの考え方とは相容れないですよね?ここは、場合分けです。つまり、時と場合によって、考え方を変えるということです。都合がいいと思われるかもしれませんが、これが私たち、エカテリーナの考え方です。」

一子:「次のBさんは、エカテリーナに似た、『パレット』や。早速説明お願いしよか。」

B:「はい。パレットのBです。私たちも、『世の中のこと全ては、政治や経済などのためにある』と考える点では、エカテリーナの皆さんと同じです。右派という点も同じになりますね。エカテリーナさんとの違いは、私たちは『いも虫』という考え方をすることです。いも虫の考え方では、個人が自分のハードルを超えることを重視します。そのハードルを跳び越える動きを、いも虫の体をくねらせる動きになぞらえて、いも虫と呼ぶのです。読者のみなさんには、図を書いてもらうと分かりやすいかもしれません。先ほども少し触れましたが、私たちは個人のハードルを超えることを重要視するので、個人主義の部類に入ります。もちろん、途上国のフェミニストたちとは違いますよ。私たちもセントラルパークの住人なので、自分たちの考えを他の人たちに知って欲しいです。ただ、そう思う反面、自分は自分で他人の考えを聞かずに、自分のハードルを超えることを重視したいという気持ちがあります。少し身勝手かもしれませんが、これが私たちの性格診断です。ちなみに、私たちパレットのパイオニアとして、ルターが挙げられます。ルターの創始したプロテスタントは、基本的には個人主義ですよね?学校ではそこまでしか習いませんが、実はルターはパレットだったのです。ルターは本当にかっこいい。私たちパレットは、みんなルターのことを尊敬しています。」

一子:「確かに、パレットはみんなルターのことが好きやな。ここで、ルターみたいな故人を、セントラルパークの住人がどう思うかについて、説明しとくわな。ところで、読者のみなさんは、故人についてどう思う?歴史上の人物とかやったら、そんなに関心はないかもしれんな。でも、それが身内やったら、法事なんかで、故人を偲ぶことがあるかもしれん。前置きはそれくらいにして、セントラルパークの住人が、故人をどう思うかについては、『右派』と、『イタコ』の2種類があるんや。

セントラルパークの住人はみんな、このどちらかに当てはまる。まず、右派の考え方から説明するわな。右派は、故人と今生きとる人々を、同列に扱うんや。つまり、生きとる人も死んだ人も、同じ友達、ってことやな。これは『ノート』の考え方を理解せんと分かりにくいんやけど、ノートの説明は、本編のお楽しみや。ここでは単に、『右派は、死んだ人も生きた人もみんな同じ、セントラルパークの友達として扱う。』とだけ覚えてくれとったらええわ。もちろん、身内や歴史上の人物とかいった分け方はせえへん。みんな同じや。ちょっと読者のみなさんには、理解できひん考え方かもしれんな。次に、イタコなんやけど、これは、『故人と対話するときは、イタコがするように、故人を呼び出して対話する』という考え方や。右派みたいに、故人と生きた人を同列には扱わへんけど、故人と対話したいと思ったら、イタコの要領で呼び出す、っていう考え方やな。もちろんホンマに霊を呼び出すわけやないで。あくまで、ノートを読むだけや。それで、この2つの考え方に共通することは、『故人を、生きた人間として扱う』ということや。セントラルパークの人間は、死んだ人間とも対話したい。そうでないと、寂しいんや。あと、自分が死んだ後も、みんなの中に、自分の存在が残っといて欲しい、とも考えるんや。」

B:「説明ありがとうございます。ルターが、まさしくそれに当てはまりますね。次に、ゼータに関してですが、もちろん持っている人と持っていない人がいます。ちなみに、私はゼータ持ってますよ。あと、悲劇のヒーローも持っています。」

一子:「パレットにもセントラルパークの住人としての仲間意識はあるけど、個人主義には納得がいかんな。さあ、次の性格診断や。」

C:「『ヴィクトリア』のCです。私たちのキャッチフレーズは、『世の中のこと全ては、モテるためにある』です。『モテるためにある』とは何とも低レベルだと思われるかもしれませんが、私たちは真剣なんです。説明続けますね。私たちはエカテリーナやパレットの方々とは違い、俗に『サブカルチャー』と呼ばれる領域について考えています。サブカルチャーにもいろいろあって、例えば音楽やファッションや芝居、アイドルなどです。この点については前にも説明がありましたね。そして、それらの考え全てが、モテるためにあるのです。『~のために』ですから私たちも右派です。そして私たちは、一応フェミニストです。と言っても、高浜家を中心とした、タクシーやロミオのフェミニストとは違います。1番の違いは、女性の人権などには興味がなく、ただモテるための対象として女性がいる、と考えていることです。それで本当にフェミニストなのか?という疑問がとんできそうですが、これが私たちの考え方です。ちなみに、私たちは、『射影』しやすい領域だけでなく、射影しにくい領域、例えば『学校生活について』なども考えていますよ。これも、立派なサブカルチャーですよね?あと、射影については後で一子さんから説明があります。元々、モテるということ自体、射影しにくいものなのです。」

一子:「ヴィクトリアは一応フェミニストに分類されるんやけど、高浜家を中心とした、タクシーやロミオのフェミニストからは『破門』されとるんや。まあ、女性をモテるための対象としてしか見てないし、人権なんかは考えてないし、当然やな。

それで、話の途中やけど、射影について説明するわな。教科書で習う射影の意味は、『物体に光を当ててその影を映すこと』や。それで、Cさんが言っとる射影の意味は、政治なら政治、経済なら経済って、人間を1つのジャンルで捉えて、それを考える人物として見る、っていうことや。例えばスポーツ選手やったら、そのスポーツをやっている『人物』として特定の人を見て、大企業の社長やったら、ビジネスマンとして、その人物を見るんや。つまり、人間をある特定の事柄について考える、『職人』として見る、ってことやな。それで、それ以外のことは、その、中心に決めたジャンルの副産物として見る、ってことや。それを、人間に光を当てて、その影を見る、そしてその影が、いわゆる『1つのことを考える人物』として映る、っていう意味で、射影って言うんや。まぁ簡潔に言ったら、人間の全てを1つに集約して、その影を見る、って感じやな。」

C:「再び私が説明しますね。射影なんですが、例えば高尚な領域、政治なら政治、学問なら学問を考えてください。『政治について考えている人物』、『学問について考えている人物』…しっくりきますよね。また、サブカルチャーを見てみても、『ファッションについて考えている人物』、『音楽について考えている人物』…しっくりきますね。でも、考えてみてください。『学校生活について考えている人物』…しっくりこないですよね。これが射影の特徴です。射影は、1つのジャンルとして確立されているものなら大丈夫です。しかし、『ジャンル』とは言えない、例えば『学校生活』などは射影しにくいのです。そして、セントラルパークの住人のほとんどは、射影して見て欲しい、という願いを持っています。そして、射影しにくいものと出会った時どうするか…。場合分けです。つまり、都合よく考え方を変え、無理矢理射影します。そして、私たちヴィクトリアの場合は、この、『無理矢理射影をする』行為が多い、ということです。ちなみに、射影しにくいものは、他にもあります。これは後で物語のカギとなってくる部分なので、よく覚えておいてくださいね。また、『~の人物』と聞いたら、男性と女性、どちらを先に思い浮かべますか?男性ですよね。そう、女性は男性に比べ、射影しにくいのです。このことも、セントラルパークの住人が『女は家』と考える根拠の1つになっています。

ヴィクトリアの説明に戻りますね。55年体制に関しては、ヴィクトリアは基本的に賛成です。なぜなら、女の子をレイプすることも、ヴィクトリアの醍醐味の1つだからです。もちろん本当にするわけじゃないですよ。考えるだけです。この場合のレイプは、世間の読者が一般的に考えるレイプと同じです。ゼータとは全然違うのですが、55年体制を利用して考えていると楽しいです。この体制がなくなったら、考えることもできなくなりそうですからね。フェミニスト失格かもしれませんが、人間は身勝手な生き物なんです。最後に私たちは、『ヴァーチャルボーイ』を持っています。ゼータを使って見る、ファインダーを使って見る、というように、私たちはヴァーチャルボーイを使って見て、その上で考えを進めます。」

一子:「レイプがあるから55年体制に賛成って、呆れた考えやろ。人のことは言えんけど、フェミニストから破門されて当然やな。次は、本編でも少し出てきたけど、ゾンビの説明や。」

D:「ゾンビのDです。エカテリーナさんのティーや水上スキー、パレットさんのいも虫のような私たちの考え方は、『クレーター』です。クレーターは、月に開いた穴のことですよね?その穴のように、私たちの心にも穴が開きます。その開いた穴を埋めるようにして、物事を考えていると楽しいです。つまり、満たされない、心の穴を埋める、ということですね。あと、満たそうとするのは、物事だけではありません。人間関係においても、満たされない穴を埋めようとします。つまり、ベッタリとくっついた人間関係が良いということになりますね。」

一子:「ちょっとここでおばあちゃんが説明するわな。ゾンビの特徴は、イレギュラーに、クレーターっていう穴が開くっていうことや。その穴を埋めるようにして、ゾンビは生活する。これは物事においても、人間関係においてもそうや。だから、突然ファッションに興味を持ったら、それについて気の済むまで、穴が埋まるまでずっと考える。人間関係でも特定の人間に執着したりする。これがゾンビの特徴や。まあゾンビを一言で表したら、『本心と邪心』やな。つまり、ええ奴やけど、ちょっと邪心、悪い部分もある、って感じやな。」

D:「再びDが説明します。私たちは、クレーターで物事を考えるわけですが、その結果、自分の心を埋めるだけでなく、ある一定の結果を出す時があります。それを、穴から外に出て、実を作る、という意味で、『ぶどう』と言います。そして、さらに優れたゾンビのことを、『巨峰』って言います。みんなからは、本心と邪心と言われているゾンビですが、巨峰は多くの人から尊敬されます。」

一子:「そうやな。巨峰は普通にかっこええし、自分の性格のハンデを乗り越えた、って思うわな。」

D:「説明続けますね。実はこの、セントラルパークを考え出した家康も、ゾンビでした。基本的に不安定で寂しがり屋のゾンビにとって、セントラルパークは画期的な生活システムなのです。ちなみに家康は、ゼータも持っていました。ゼータを持っているかは、ゾンビの中でも人それぞれなのですが、セントラルパークに反対するゾンビはいません。ただ、55年体制に関しては、ゾンビは事なかれ主義が多いので、ゼータを持っていなくても、反対とは恐くて言えないのです。

あと、例えばエカテリーナさんは高尚な領域、ヴィクトリアさんはサブカルチャーというように、ゾンビは最初から考える範囲が決まっているというわけではありません。ゾンビは最初は不安定で、いろいろな方向に考えが行くのですが、そのうち、ある1つの領域に、例えば政治なら政治、ファッションならファッションなどに傾倒します。まあ何人かの人は何にも傾倒しないですけどね。そうやって、自分の生きる道を見つけ出していくのが、ゾンビなのです。そのことについてはもう少し詳しく説明したいのですが、その前に、『右派・左派』の説明をしないといけないですよね?」

一子:「その通りや。じゃあ右派・左派の説明行くで。右派は、『全ては何々のためにある』っていう考え方やったな。次に、左派なんやけど、これは『息苦しい、自分だけの力で人生を切り開きたい。』って考え方や。とは言っても、途上国の人間と勘違いしたらあかんで。左派の人間も、セントラルパークやないと寂しい、それにいろいろと考えるのが楽しいんや。でも自分だけの力で物事を切り開きたい、全ては~のためにあるって考え方は息苦しいんや。ここは矛盾する考え方やから、場合分けやな。ただ、左派の人間は途上国の人間の気持ちも、少しは分かるってことや。ちなみに、セントラルパークの人間は、まあ途上国の人間もそうやけど、考えがいろんな方向に行くわな。それら全てが、例えばファッションやったらファッションのためにある、っていうのが右派や。左派は、ファッションに帰ってくる、って考え方や。ちなみにおばあちゃんは、帰ってくる、って前に言ったな。でも、『自分だけの力で人生を切り開きたい』って考えは持ってない。これはちょっと一匹狼やな。こういう考え方を、中道って言うんや。これも、本編でちょっと説明したな。」

D:「再びDが説明します。ゾンビの人間は、右派、左派のどちらかに傾倒します。そして、最終的に『ジェイソン』、『ゲルマン』、『ジプシー』の3種類のどれかになるのです。ジェイソンは右派、ゲルマン、ジプシーは左派です。ちなみに、それらのどれにもなっていないゾンビを、『マッピー』って言います。ジェイソンについては以前に説明がありましたね。次にゲルマンなんですが。左派なので、『自分だけの力で、人生を切り開きたい』って考え方はもちろん持っています。それに加えて、『生きれるんだったら生きよう』っていう考え方がゲルマンの基本的なコンセプトです。与えられた命で、これからも人生は続いていく。だったら前向きに生きよう、というような考え方です。次に、ジプシーなんですが、これを説明する前に、『オオカミ』についての説明が必要ですね。」

一子:「あれ、オオカミかいな。オオカミなんか説明いらん!って言いたいところやけど、まあ、持ちつ持たれつや。じゃあ説明行こか。」

E:「オオカミのEです。私たちオオカミは、いも虫の考え方を持っています。この点はパレットと一緒ですね。そして、左派です。自分だけの力で、人生を切り開きたい、という考え方を、私たちは持っています。だから、途上国の気持ちは分かります。でも、セントラルパークじゃないと、寂しいです。それに、いろいろ考えていたら、楽しいです。」

一子:「同情はいらん!こんな奴ら、セントラルパークから破門や!」

D:「まあまあ、落ち着いてください。Eさん、説明続けてください。」

E:「同情はいりません。私たちの気持ちなんて。私たちも、みなさんと同じく、悲劇のヒーローを持っています。そして、ここからが大事なところなんですが、私たちは、『自殺願望』を持っています。『こんな世界に生まれて、生きていても楽しいことなんて何一つない。死にたい。』そんな気持ちを、私たちオオカミは持っています。

以前一子さんから、ブルースの説明を受けられたと思いますが、そこでの、『自殺する』とは意味が全然違います。他のみんなの『自殺する』は、寂しいからそうしたい、ってことですよね?私たちオオカミは、『寂しい』ではなく、『生きてて何も楽しいことはない』とう空虚な気持ちから、自殺願望を持っています。」

一子:「おばあちゃんらのブルースと、オオカミの考え方なんかを一緒にされたくないわ。それに、セントラルパークやないと寂しいっていうんは、どう説明するんや?」

E:「そこは場合分けです。」

一子:「都合悪くなったらすぐ場合分けか。まあ、人のことは言えんけどな。じゃあ、説明続けてもらおか。」

E:「そして、私たちの多くは、ゼータを持っています。だって、こんなつまらない人生、やることぐらいしか楽しみがないじゃないですか。そういうような考え方を、私たちオオカミは持っています。もちろん、ゼータを持っていない人もいます。そういう人でも、さっき言ったような理由で、性行為に走る人が多いです。なんとなく、イメージつきますよね?」

D:「ここで、ジプシーについて説明しますね。ジプシーは、ゾンビの中で、オオカミと同じ、自殺願望を持った人のことを言います。ジプシーは…。救ってあげたい、そう思いますね。」

E:「ちなみに最近では、オオカミの中でも、ゲルマンのように、自殺願望を捨て、『生きれるんだったら生きよう』という考え方を持つ人もいます。そういった人たちのことを、『ペガサス』って言います。」

一子:「ともかく、おばあちゃんの態度で分かる通り、オオカミは、セントラルパークの住人からは嫌われとるんや。ジプシーは…、おばあちゃんも救ってあげたい、やな。ゲルマンは、『救われた。趣味悪い。』や。ペガサスは…、まあ勝手にしろって感じやな。以上でとりあえず、座談会は終了したいと思うんやけど…。何か言い残したことはないか?」

E:「待ってください。1つ言い忘れてました。私たちは、パレットと同じいも虫なので、個人主義の部類に入ります。だから、自分の考えを他の人たちに知って欲しい反面、自分は自分で他人の考えを聞かずに、自分のハードルを超えることを重視したい、という気持ちを持っています。」

一子:「あれ、オオカミで締めかいな。どこまでも身勝手やな。とりあえず、これで座談会終了や。」


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