第9章 命より大事なノート
第9章 命より大事なノート
インターネットを一通り見た一志は、気分転換に、テレビをつけた。すると、F1のカナダグランプリの中継が、目にとまった。一志は、特にF1が好きというわけではないが、スポーツ観戦は好きな方なので、少しの間、F1を見ようと決めた。そして、レースに見入っているうちに、背後から大きな声が聞こえた。
「みんな気にしてない!」
2008年6月8日、夜。一志は、後ろから聞こえた大きな声と共に、覚醒状態に入った。そして、後ろを振り返り、声の主を確かめようとした。すると、そこに立っていたのは…かの有名な、ミハエル・シューマッハではないか!
「はじめまして、一志さん。ミハエル・シューマッハです。F1、見てくださっているのですね。」
どうやらシューマッハは、勝手に一志の下宿先に、上がってきたらしい。
「ミハエル・シューマッハって、あの、元F1ドライバーのですか?」
「その通りです。今日はあなたに、ノートについて話すために来ました。その前に、少しあなたを試させてください。この状況で、普通に話をして大丈夫だと思いますか?」
一志は、突然のシューマッハの登場に戸惑ったが、既にセントラルパークについての知識を得ているため、それほど狼狽してはいない。そして一志は、そんな自分に少し驚きながらも、シューマッハの問いかけに対して、必死で答えを探そうとした。
「でも、シューマッハさんは偉大なドライバーだから、普通に話をする、というか、友達のように話をすることには違和感があります。」
「じゃあ、私はスーパースターだから、へりくだって話をしなければならない、ということですね?」
「ただ、『スーパースター』だからへりくだる、というのは違う気がします。いくらスーパースターでも、同じ人間なので、話し始めたら、普通に話をしたいと思います。」
一志とシューマッハのやり取りを聞きながら、一子が一志の下宿先へ入ってきた。そして、感心した様子で、一子は語り始めた。
「さすが一志やな。これもロミオの『狙う』や。まず、シューマッハさんは有名人やから、へりくだってしゃべらなあかん。このことを、ロミオの用語では、『手形』って言うんや。この名前は、ハリウッドスター達の手形がいっぱい刻まれてある、グローマンズ・チャイニーズ・シアターから来とる。一志も、スターの手形が並んであるの、テレビで見たことあるやろ?ちなみに、この『手形』の対象は、芸能人や、スポーツ選手や。それと、例えば政治家とか、大企業の経営者とかも、一旦へりくだらなあかん。このことは、ロミオの用語では、『名刺』って言うんや。
話を元に戻すな。手形の存在を察知して、正しい判断をしたことは見事や。それに、一志はセントラルパークの建前の世界に、とりこまれてない。かっこええな。というのは、たとえ手形があっても、同じ人間としてしゃべるんやから、いつまでもへりくだるんはおかしいって、ロミオの人間は考えるんや。そやから、へりくだるんは1回でええ。これが手形や名刺の特徴や。さっきおばあちゃんが、かっこええ、って言った理由は、セントラルパークの建前の世界だけ見とると、どうしても、シューマッハさんみたいなスーパースター、といった類の人間を、雲の上のように見てまう傾向があるんや。それにとりこまれてないから、かっこええ。ちなみに、この、スーパースターを雲の上の人間みたいに見る見方を、『選民思想』って言うんや。この、『選民思想』はユダヤ教の言葉やけど、ここでは、『テレビに出る人間は、特別な選ばれた人間である』っていうぐらいの意味合いやな。それで、一志は、普通の手形で、選民思想ではなかったな。」
一志は、一子の言葉で、シューマッハの問いかけに、自分がそつなく答えたことを知り、ホッとした。その後、シューマッハが語り始めた。
「ではノートの話を…と言いたい所ですが、先に私の性格診断を話しておきましょう。『世の中のこと全てのものは、F1のためにある。』」
一志は、聞き覚えのあるセリフを、再度聞くことになった。そして、この一言で、シューマッハもセントラルパーク側の人間であることを知り、少し身構えた。
「私はいわゆる巨峰のゾンビです。小さな頃から私は不安定で、いろんなことをしてきましたが、ある日、『世の中全てのことは、F1のためにある。』と思うことで、心のスイッチが入り、安定することができました。それからは何をする時でも、F1のため、というように考え、努力も人一倍しました。その結果、一志さんも知っての通り、自分で言うのも何ですが、ここまでの地位に上ることができました。それで、私は右派なので、セントラルパークでないと寂しいです。ちなみに私の故郷のドイツも先進国で、日本と同じセントラルパークです。それと、ゼータは…申し訳ないですが持っています。ただ、一志さんは、かっこいい。一志さんのためなら、足を洗ってもいいと、今では考えています。それに、やはりシバトラですね…。」
「シューマッハさんも、ゼータ側の人間なのですね。がっかりしました。ただ、これから、大事な説明がありそうなので、話だけは聞きたいと思います。それと、さっきから気になっていたのですが、日本語、上手ですね。」
「それは、『言語ツール』を使ってしゃべっているからです。言語ツールの説明は後ほど。今日は、ロミオやタクシーなど、途上国の人間と、私たちセントラルパークの住人の、ノートに対する考え方の違いについて説明したいと思います。」
一志は、シューマッハの説明に、真剣に聞き入った。
「まず、途上国の人間のノートは、簡単に言うと、『生きた証』と、『回覧板』です。自分の生きた証を、しっかりと残しておきたい。これが途上国の人間の考え方で、その記録がノートです。そして、人のノートを読む時は、ちょうど、回覧板が回ってくるのを読むようにして読みます。この辺りは、一志さんなら想像つきますよね?」
「はい、分かります。自分もノートを持つなら、そういう風になると思います。セントラルパークの人は、違う考え方なんですか?」
「全く違いますね。セントラルパークの住人にとってノートは、『体の一部』です。」
「体の一部ですか。確かに途上国の人間の考え方とは、違う気がしますね。説明、続きお願いします。」
「はい。セントラルパークの人間は、ファインダーを使ってノートを読む、ということは前にも説明がありましたね。そして、私たちにとって、この、ノートを読む時間こそが、真の意味で、『人と会う』ということなのです。もちろん、直接人と会って、話をすることも大事なことですが、それ以上に、私たちセントラルパークの人間は、ノートを読むことを、1番のコミュニケーションと考えます。詳しく説明すると、ファインダーで、特定の人の顔を目の前に貼りつけ、その人のノートを読んでいる時、ファインダーの『顔』こそがその人の本当の顔になり、ノートがその人の『体の一部』になるというわけです。そして、その人の顔と、体の一部がそこに存在していますから、その人と、『会う』ということが実現するわけです。そして、直接人と会って、話をすることを重視する、ロミオやタクシーなどのフェミニストとは、この点でコミュニケーションの方法が違います。」
「おばあちゃんもシューマッハさんの説明と同じ考えや。それで、その説明の続きなんやけど、セントラルパークでは、『家で何をやってきたか』ということが重要視されるんや。どういうことかというと、セントラルパークの住人は、直接人と会って話をするコミュニケーションよりも、『ノートを読む』コミュニケーションを重視する。それを発展させて、外に出る時も、常にファインダーで見とかなあかん、っていう風な考えを持っとるんや。つまり、ノートを読む状態にできるだけ近い状態を、人前でも保つ、ってことやな。それで、人と直接話をして、友達を作り、仲間を増やしていく、っていう、一般的にイメージしやすい、フェミニストのコミュニケーションの方法より、ノートを読む時間を重視して、人前に出る時も、ノートに準じたファインダーで、人の顔を見て、『人と会う』っていうコミュニケーションの方法を大事にするんや。それで、前にも触れた、『決められた通りに』の話になるわけや。セントラルパークの住人は、この、ファインダーで造られた世界から出ることを嫌うんや。その結果、いわゆるアドリブを嫌う、ってことになる。何でかっていうと、アドリブは、人と直接会っとる時に使うもので、ノートを読んどる時に出てくるもんやないやろ?それに対して、決められた通りに動く、っていうのは、ノートを読む時、またそれに近い、1人でファインダーで見て考えごとをしとる時に出てきたもんを、人前で実行する、ってことや。言いかえれば、家でやってきたことを、そのまま実行するってことやな。つまり、ノートを読んどる状態に近い状態が保たれる。ここまで説明すれば分かると思うけど、セントラルパークの住人にとって、アドリブは、セントラルパークの世界から出ることや。つまり、ファインダーとか、それに準じたコミュニケーションの否定やな。だから、アドリブばっかりの人を見たら、『家で何やっとるんや?』って訊きたくなる。そんな考えのセントラルパークの住人が、『決められた通りやらんでいい』って言う言葉を聞いて、怒るのも無理ないやろ?もちろん、一志はそんなつもりで言うたんやないけど、その言葉は、ノートを読んで、1人で考える時間をコミュニケーションの基本とする、セントラルパークを否定する言葉なんや。」
「なるほど。考え方は僕とは全然違うけど、軽率な発言やったわ。ごめんな、おばあちゃん。」
一志は、自分の発言を、少し反省した。
「分かってくれたらええで。それで、セントラルパークでは、決められた通りに動かんことを、『汚れる』っていうんや。つまり、過去のノートに書いてなかったり、フリータイムであらかじめ決めてなかったりすることをした時に、『汚れる』っていう言葉を使うんや。セントラルパークの過激派の中には、汚れるくらいやったら、死んだ方がマシや、っていう考えの人もおるんやで。」
「それはちょっと行き過ぎやな…。」
「そうですね。でもそれぐらい、セントラルパークの人間は、汚れることを嫌います。そういえば、高浜家の人間で、1人だけ許せない人がいますね。名前は高浜宗藩って言って、江戸時代後半の人物です。江戸時代は、セントラルパークができたての頃で、フェミニストにとっては不遇の時代なんですが、宗藩の生きていた、江戸時代後半は、フェミニストが力を盛り返した時代でした。」
「あんなもん、phoenixや!フェミニストも、あんな奴に感謝なんかしてへん!」
シューマッハの言葉に一子が素早く反応し、激昂した。
「そうですね。フェニックスっていうのは、性格診断のことで、基本的な考え方は、『人にどう思われてもいい。それで、この世界がどうなってもいい。』といったものです。宗藩は、まさしくこの考え方を地で行くような人物でした。あと、もちろんこのフェニックスは性周です。」
「おばあちゃんらがなんでこんなに言うかっていうと、宗藩は、フェニックスにふさわしい、って言ったらええんか分からんけど、めちゃくちゃなことをしたからなんや。例えば、通称『蓄音器』や。これは、人のノートに書いてあることを全部消して、その内容を全部レコーダーに録音して、ノートの代わりにする、っていう内容のことや。それとこれは、ノートが体の一部で、ノートを読むことが、1番大事なコミュニケーションである、セントラルパークの住人にとって、殺されるほどつらいことなんや。他にも、男版のゼータを勝手に作って、フリータイムで考えたりもしとったな。とにかく、やることがめちゃくちゃな奴やった。」
「それに、宗藩はフェミニストであったかどうかも怪しいですね。なぜなら、宗藩は、生涯誰とも仲良くならず、仲間であるはずのフェミニストに対しても、悪態をついていたからです。私が思うに、宗藩は単に、この世界をめちゃくちゃにしたかっただけなんだと思います。」
「確かにフェミニストの害になるようなことはせんかったけど、たまたま気が向かんかっただけや。ホンマに、高浜家の人間とは思えんような、めちゃくちゃな奴や。」
「なるほど。そんな人もおったんやな。」
一志は、自分の親戚である高浜家に、みんなから嫌われるような人物がいたと知り、少し暗い気持ちになった。
「話がそれましたね。最後に、『言語ツール』についてだけ説明しておきますね。私はドイツ語が母国語ですが、今日は日本語をしゃべっています。こういうことができるのは、私が、言語ツールを使ってしゃべっているからです。この、言語ツールというのは、簡単に言えば、各言語同士の早見表のようなものです。私はドイツ人なので、ドイツ語の早見表を例に説明しますね。言語ツールには、例えば単語なら、日本語の『犬』、ドイツ語の『Hund』、また『猫』、ドイツ語の『Katze』など、ドイツ語と日本語の単語が、早見表のように書かれています。それ以外にも、言語ツールには、文法の早見表などもあります。私たちセントラルパークの人間、いや途上国の人間も含めて、ノートを持った全ての人間は、この、言語ツールを元に、外国語をしゃべっているのです。」
「1つ疑問に思うのですが、その、言語ツールは、僕が高校などで使っていた、単語帳と変わらない気がするのですが…。僕は、単語帳を何度使っても、英語などの単語を記憶するのは難しかったことを覚えています。でもシューマッハさんは、完璧に日本語を話されていますよね?言語ツールで、相当勉強されたのでしょうか?」
「肝心なことを説明していませんでしたね。一志さんは驚かれるかもしれませんが、この言語ツールを使えば、外国語の習得はそれほど困難なことではありません。なぜなら、クリアに近い状態で見た物は、なかなか覚えられませんが、ファインダーを使って見た物は、容易に記憶できるからです。それに、言語ツールは、いわゆる市販の単語帳とは違い、ファインダーで見た時に、記憶しやすいように作られています。具体的には、全て手書きで書かれています。ファインダーで記憶する際には、印刷されたものより、手書きの方が、より適しているのです。あと、もちろんノートの方も、全て手書きです。その他にも、例えばページの形状など、ファインダーで覚えやすいように、言語ツールは工夫されて作られています。
こういった理由で、私たちは、何かを覚えないといけない時には、ファインダーを使います。これは途上国の人間も一緒です。まあ、セントラルパークにいれば、毎日、それ以外にもファインダーを用いますがね。ちなみに、一志さんはいい顔をしないと思いますが、記憶力を高める効果は、ゼータにもあります。」
「なるほど。ゼータの件は、嫌な話ですね…。それと、僕はファインダーを失っているので、記憶力の増加は期待できない、ということですね?」
「そうですね。ファインダーを失った一志さんには、言語ツールの習得は難しいかもしれません。でもその分、頭の回転は、ボディーガードになったことで速くなっていますよね。」
「自分で言うのも何ですが、確かにそうかもしれません。」
一志は今までに、複雑な暗算をしたことなどを思い出して、こう言った。
「あと、もう1つなんですが、世界各国に、これほどの言葉があるのは、なぜだか分かりますか?」
「えっ、言葉って、自然にできたものではないのですか?これも、出されてるんですか?」
「その通りです。実は、世界各国の言葉は、それぞれの性格診断の人たちが、自分たちがしゃべるのに最も適したものとして、出されているのです。つまり、ある言葉は、ある性格診断を表す、ということになります。しかし、各性格診断の人たちが、自分たちのしゃべりたい言語をバラバラにしゃべっていては、国の統一性が保てません。だから、持ちつ持たれつで、各性格診断の言葉を、それぞれの国に割り振ってあるのです。そして、その国に生まれた人は、基本的に、その国以外の言葉を使うことを禁止されています。もちろん、外国語として使うのは別ですよ。つまり、他の国の言葉を、たとえその言葉が自分に合っていたとしても、母国語として使うことは、原則禁止です。」
「そうなんですか。そんなこと、初めて聞きました。僕は一応大学では文学部なので、興味深いです。」
「なるほど。興味を持ってもらえましたね。では今から、主な性格診断の、主な言語を紹介しますね。その前に、一応言っておきますが、言語の分類はあくまでも一般的なもので、全ての人が当てはまるわけではありません。だから、参考程度に聞いてもらえればと思います。まず、暴走族ですが、彼らの主な言語は、中国語です。」
「なるほど。確かにそんなイメージがありますね。」
「もちろん暴走族にもいろんな種類があって、それぞれ微妙に違うのですが、ここでは割愛しますね。次に、マフィアの主な言語は、イタリア語です。」
一志は、説明に真剣に聞き入った。
「そして、私たちセントラルパークの人間の言語は、主に2つあります。それは、韓国語と、関西弁です。これは、明治時代の京都、というイメージから来ています。明治時代の京都で、関西弁をしゃべりながら物事を考える、これがセントラルパークの人間の理想です。もちろん、韓国語も忘れてはいけませんね。関西弁と韓国語の内定も、微妙に違うのですが、ここでは割愛します。ちなみに、私も関西弁が好きなので、一志さんや一子さんは、うらやましいです。」
「なるほど。そうなんですか。僕は関西弁は好きでも嫌いでもないですが…。」
「あと、一志さんの言語についても言っておかないといけません。一志さんの性格診断である、ソリューションの言語は、意外に思われるかもしれませんが、アラビア語です。一志さんは、アラビア語を話す、ラスベガスのショップ店員で内定です。」
一志は、シューマッハの説明に、少し驚いた。まさか自分に1番合った言語が、アラビア語とは思わなかったからだ。
「最後になりますが、今日はこうやって、一志さんと初めて話すことができて、楽しかったです。また、どこかでお会いできればと思います。」
こう言ったシューマッハは、笑顔でその場を去った。
次の瞬間、一志の覚醒状態は終わった。いつものことであるが、一志の部屋はサウナのように蒸し暑く、我に返った一志は、覚醒状態の時には感じなかった、その暑さをひしひしと感じた。そして、一志は早速、ネットで、世界各地の言語について調べ始めた。多少の知的好奇心のある一志にとって、性格診断に合った言語の話は、やはり魅力的であったようだ。
2週間ぶりです。(仕事が忙しかったので…。)