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紅魔館の大事変  作者: 狐林
7/7

    其の五


   【5】




 入門した先で待ち構えていたのは、西洋式庭園。

 色鮮やかな植栽が、大小不一の花壇で咲き誇る。無論、噴水や湖、池こそは設けられていないが、それにしても壮麗な前庭である。

 柑橘類の果汁が撒き散らしてあるような色気と香り。箱馬車に描かれた油彩は不愉快に感じられた霊夢でも、つい嘆息せずにはいられなかった。魔境の苑地、甘美な異界――。

 ――そこに控える吸血鬼の紅い本城。紅魔館。

 黄昏の土地に建つその邸宅は、住居というより、あるいは時空のひずみを凌駕し、別次元より幻想郷へと出現した由々しき巨人を連想させた。さながら、建物の象徴たる大掛かりな丸時計が前頭部で、正門とは些かずれた方向の――落陽の度合からして面しているのは朔北か――雄壮たる森林を見渡しているよう。

 魔法で動けなくされた、悲哀の巨人。『動』をさらわれ『静』でいることを義務づけられた、異郷に迷い込みし未知なる人。化石された怪物。可愛そうな不具者……。

 ともすると後ろ暗い云い回しになるのはきっと、森閑とした立地条件、じき夜を迎えようとする時刻のゆえばかりではない。紅魔館という優美な居城が、紅の館ならではの風趣、魅力を兼ねる裏、一種悲壮感を具体化したかのような無情を感じさせる不協和音に、霊夢はそういった負の情操を沸かせたのである。

 

 位置取りの都合、紅魔館の左翼――館から見れば右か。東方に直面した塔――、時計台を掲揚した本館らしき建造物(北方に対して聳立する)は通観できるのだが。その本館でさえ、右半身は物陰にあって見受けられず、全体像を看取しようにも真正面に移動しないことには成し得ない。建物のバランスから推理するに、左翼の塔からすれば線対称に相当する紅魔館の右翼にも、同等の規模である塔、もしくは高閣が建立されているに違いないのだが、ここからは一望できないのだ。

 

 緋色の魔処、紅魔館。その中枢である部分は、大略にいわば底面を等脚台形とした四角柱を模した造形となっていた。

 奥まるぶんだけ外壁は尻窄まりしている。壁面は赤黒く、ごつごつとした素材が用いられていた。壁の全面に貼られているのは煉瓦(れんが)だろうか。

 高さは如何ほどだろう。身震いするほど巨大な形質であるが、壁へ等間隔に引かれた黒線と、それらに作用して外部へと出っ張る造りとが階層の切り替わりを報せているのだとすると、出っ張りは四本、すなわち五階建てであることが判明する。とすると、屋上の時計台込みで二十メートルはくだらない勘定になる。

 本館より幾らか背丈の劣る左翼の塔の端には、縦一列に小さな楕円形の窓(……まど? いや、あれは窓じゃない。あれは……)が並んでいた。頂上には円錐屋根と、古めかしいというべきか、空漠と思い描いた古城には在り来たりの定番が拵えてある。――これが巨人の“左腕”。で、本館は“胴体”。

 

 住居というより、あるいは――。時空のひずみにつかえた、超弩級の人型。

 “左手のひら”を地肌に押しつけ、地表から抜け出そうと遥か太古より足掻いているのだが、千古不易の最果て……そう、今の幻想郷の形態に至るまで脱出は功を奏せず、年月を経て錆びれ、ひとつの凝結体に成り果てた気の毒な大巨人。魂の抜け殻を思わせる、そのくせ不思議と濃艶な……。妖しい家。


「では、私はこれにてお役御免」


 そう誰へともなく告げてから紅美鈴は門を出、外から門扉を封鎖してしまった。

 一声すら発さず歩を進め出した妖精が、直線に敷かれた板石を通るのを見習って、客員は続いた。小奇麗に整った庭木、前栽のあちこちから芳しい香りが立ち込める。フルーツの美味しい要素だけで構成したような、贅沢な香りである。

 中途、曲がり角と直進とで二又道になっており、そこを屈折して霊夢らは進む。曲がるや否や、棒杭に蔦が好き放題に絡んで佇むトンネルに足を踏み入れた。


「しかしまあ、こうも堂々と構内を散歩できる日がくるなんて、夢にも思ってなかったぜ」


 木漏れ陽に顔を濡らした魔理沙は、たいへん満悦したふうに視線を巡らせた。


「手厚い歓迎で、ゆっくりと観光を楽しんでいる余裕なかったものね」


「そうそう、手厚い歓迎。ああ、下手すりゃそん時、私と霊夢でここら一帯ぶっ壊しちまってるんだよな。若気の至りだぜ」


「良心が痛むわ」


「嘘こけい。――でも、だとするとこの庭、修繕したばかりってことになるのかな。出来立てほやほや、みたいな」


「なら、結果オーライじゃないの。こうして……美しく生まれ変われたのだし」


 霊夢は、ぽつぽつと自粛気味に開く花弁へそっと指を遊ばし、幼子のふっくらとした頬に触れるような手つきでそれをいじる。


(なんて滑らかな肌触りなんだろう……)


「――本当に、綺麗なところ」


 トンネルを通過すれば、建物にぐんと接近していたことに気付かされる。

 壁肌の大部分を赤煉瓦が覆い、随処で燦然に輝くルビー硝子もまた赤を基調とした物品である。紅魔館の名に恥じぬ、では語弊があるかもしれないが、この規模と意匠はどうだろう。怖気を振るう心地すら覚えた。

 外壁と並び連なる植え込みには、無数の薔薇果が見られる。そしてこれが自明の理であるかのように、実は赤い。

 奉公精が選んだ通り道の他に、拓けた通道はふたつある。紅魔館の近間に、横長の植え込みをあわいに臨んだ細道がひとつ。それと植木、庭石を挟んだ対岸に位置する、等長の芝生がひとつの計二通りである。

 けだしその芝草道は、若木を剪定する際に使用する道なのだろう。長々とした持ち手の剪定鋏(せんていばさみ)など、園芸用具がぽつんとワン・セット置き忘れられている。それら用具が、あまりに甘美な庭園には相応しくないものだから、いっそ滑稽で――。

 と――。

 霊夢の心に生じた隙間が(これは……)でろでろと割裂し――。おぞましい幽谷が顔を覗かせる。

 押し寄せる、“紅”い濁流(……どこから? どうして……)。

 ゆるがせにした心へ流入する(凶悪な……)厭な映像……。

 倒壊する無数の塔。大音響の木魂する暗がり。鼓膜を啄みかねない甲高く、鋭く研ぎ澄まされた(……邪悪な)笑い声――。


(強烈な映像……)

 

 ああ……赤い。

 空が、地が、赤い……。


 ……ち。

 赤い……。真っ赤……。


……ち。――じわり。

あかく、もっと“紅”く……。


 次々コマ送りされるモノクロの単色画には、水で薄めた絵具をぶちまけたような痕があり……。傷んだレコードのように、脈絡なくぶつりと途切れては再生するを繰り返していたのだが。

 前触れもなく、ぶっつり――。それきり。

 停電に見舞われたテレビさながら、画面は瞬時に暗転する。


(どうして……)

(……なにが? なにが“トラウマを刺激した”……?)


 迷走する意識の焦点が合う。我に返る。

 まただ……。また、白昼夢が……紙を炙ったように訪来して、現実を蝕んで……。


 正常化した視界が捉えたのは、陽射しの降り注ぐ庭。夕暮れの頃。――平穏な現実。

 

 “なにが引き金になったのか”――大事にならぬよう、静かに目線を降下させると霊夢は回顧してみるが、しかし解明には至らない。ただ、送迎馬車に乗車中、類同した発作に襲われたとしか云い切れなかった。

 その節は、小悪魔の発言に起爆剤が仕込まれていた。スカーレット姉妹がうち、“妹”の名を訊いたのである。そうだ。悪夢の根源を耳にして、悪魔がざわめき、地獄の権化が(フランドール……)精神面を破壊しにかかったのだ(……スカーレット)。

 ならば、庭園を進んでから、私は……。彼女の暴虐と直結するような“何か”を、無意識のうちに目にしていたと……? そんなことがあり得るのか。こんなにも美しい眺めのどこに、まるで正反対の、闇黒の住民を思い出させるものが――。

 

「なにを!」


 いきなり発せられた怒号に驚き、霊夢はその音源へと目線を投げた。


「なんてことを」


 チルノが手に持った木の実――薔薇果を睨み、奉公精がヒステリックに叫ぶ。

 霊夢は戸惑った。ここにくるまで、くしゃみの一つもせず塞ぎ込んでいた彼女が声を荒げたことに。それも、能面のような顔から一転、憤怒相を露わにしての叫び声で。

 

「あ、え……」


 奉公精が、目を白黒させるチルノにぐいぐい詰め寄る。霊夢と魔理沙はその迫力にたじろぎ、藤原妹紅と上白沢慧音も突拍子ないことに事の経過を見守るばかり。

 萎縮するチルノと向かい合い、氷の妖精が握りしめた薔薇果を忌まわしげに睨みまわすと、

 

「何故、妄りにこのような悪ふざけを!」


 怒鳴り声を反復した。

 華奢な肢体がびくりと跳ねる。気圧されたのか罪悪感からか、植木からむしった実を決まりが悪そうに手中で転がすチルノは、面伏せたきり凍りついてしまう。

 

「お客様とはいえ、紅魔館の所有物を破壊する権利をお持ちになっているわけではありません。いわずもがな栽培物でも、所有権は紅魔館にあります。それを、お客様は身勝手に手折られて、なんのおつもりか」


「……ごめん、なさい」


 蚊の鳴くような声で謝辞を口にし、チルノは壊れた「紅魔館の所有物」を差し出した。その表情からは途方もない怯えが滲み出ている。

 

 どうなんだろう、これは。奉公精を怖がるチルノが、霊夢には不憫に思えてならない。

 彼女は、道端で拾った丸石をプレゼントしたあの感覚で、庭に生る実にも手を出したのではないだろうか――。いや、そうに違いない。小柄な妖怪兎への贈り物を入手しようとする、邪念のじゃの字もない童心に衝き動かされただけに違いない。

 疎外感……。チルノは、それに頭を悩ましていたのかもしれない。

 霊夢と魔理沙が取り留めのない話題で陽気づくように、妹紅と慧音、兎耳の二人組も各個で親しくしているものだから、彼女からしてみれば決して居心地の良い列席ではなかった。そんなだから、話し掛けやすそうな風体をした件の妖怪兎と親睦を深めようという気になり、余所目に見るとやや押しつけがましくも感じる行動を起こしていたのだろう。

 と、自分が情けをかける立場でないことを承知しつつも、霊夢には、ある一定の同情心を捨ておくことができなかった。奉公精の怒りを静める手立てはないか逡巡する。

 

「ご帰宅なされても、いっこうに構いませんよ。止めはしません」


 チルノが差し出した薔薇果を袖にしたどころかにべもない捨て台詞を残し、怒る妖精はさかろうとした。「いいすぎじゃないか」と霊夢は反駁すべく前に出る。が、柄にもなく我が身以外を匿おうとする巫女に先駆け、奉公精の肩を背後から捕まえる者がいた。


「過度な風当たりは、見聞する側を不快にさせます」


 上白沢慧音である。かと思えば、魔理沙と妹紅も凛乎として彼女の脇を固めるように立ち、苦情の色を滲ませている。


「まだ子供の過失ですもの。大目に見てあげてください」


 奉公精は眉を顰め、納得しあぐねるふうに口を半開いた。


「――はあ」


「それに帰れとは、貴方の一存で云えた台詞じゃないですよね。私には、そちらこそ礼儀に反する態度をとっているよう感ぜられるのですが」


 語り調子は穏和な慧音であるが、声にはどこか切れ味の鋭い含みがあった。獣の牙歯を異種とする、なお鋭利な日本刀のよう。いわば、彼女の言葉には相手方の意向をすっぱり斬って、己の下した決断で切り口を補強してしまうような支配能力がある。

 奉公精はちらっと目を逸らし、身をよじって慧音の拘束を振り切った。いままでの論争など露知らずといった、淀みない歩調で案内を再開する。彼女の目指す先に、幾本もの植栽林が円陣を組んでそびえる地帯が視認できた。

 

 あの、なみなみならぬ憤然ぶり、なんだかとっても(……ひっかかる)――。霊夢は、奉公精の怒りを、その胸中を探ろうとした。まさしく云わんかたなし、どこか釈然としないのである。

 

「あらあら。もう、泣かないの」


 慧音が屈んで、涙ぐむ妖精の目頭をハンカチでさすった。

 よほどびっくりしたと見え、チルノはなんら抵抗もせず彼女の面倒見を甘受する。そこに妹紅も加わった。年下をあやすのに熟達しているようには見受けられないが、精根人見知りの霊夢よりかは幾分腕が立つのだろう。「泣くな。溶解しちますぞ」と氷肌の右頬を、餅でも伸ばすように摘まんでは明朗な笑顔を浮かべた。

 微妙な距離感を意識する妖怪兎らは、その慰めを袖手傍観していた。手伝おうとする気質はあるのだが、なにを手伝うべきかが見出せずもどかしそうにしている背高の鈴仙に比べ、小さい方は、未だにチルノを用心する目つきのままである。

 『用心深い』というより、『内向的な』に拠った骨柄なのだろうか。霊夢の黒目には、その小柄な妖怪兎はチルノを拒絶しているというより、畏怖の念をかなぐり捨てる踏ん切りがつかないだけのように映る。


「どう思った? エリイだかってメイドの対応」


 魔理沙の問いに、霊夢は澄まし顔でわざと何でもないように答える。


「気に食わなかった」


「――私も」


「それと、どことなく変だった」


「へん、つうと?」


「……分かんない」


「ふうん。へん、ねえ。――霊夢の勘は当てになるからな。どうだ、思った通りに話してみてくれよ」


 友人も内心穏やかでないことが、彼女の口端から零れる苦笑から伝わってくる。しかし「思った通りに話してみて」と云われてもそれを思い、それを感じた霊夢自身ですら本体を解析しかねているのだ、断らざるを得ない。

 

「ぼやっとした印象だったから、分からない。……気のせいかもしれない」


「――そっか」


「とかくむかついたのよ、私は」


 ――お嬢様は、皆様との親密な関係を築かれたいのでしょう。

 漠然と渦を巻いていた霊夢の猜疑心が、小悪魔の言い分を分解し査定しようとする。


 ――せめてもの罪滅ぼしと云いましょうか、謝罪がしたいんです。なにも、それはレミリアお嬢様に絞った意向ではなく……。

 ……一のミスに十の叱咤で応えることが、親密な関係を築こうとする主催スタッフの対応、謝罪の形式だとでも?


 霊夢は、奉公精の歩み去った植栽林地帯に目を馳せた。そこには彼女の後姿さえない。団体客を誘導する任務は放棄したのか、もしくは別に事情があって(――たとえば、邸主から“そういう執りもちをしろ”と教え込まれているとか)先を急いだのか。

 

 どうせなら本当に帰ってやろうか、と霊夢は紅魔館を見上げながら思案する。頭痛も回復の兆しがない。神社に引き揚げ、ぺたんこの布団でひと眠りしたい気分だ。

 まして、この外泊を企画したのは好意によるものなのか、それさえも疑わしい。さぞかし上等な個室に部屋割りはされているのだろうが、歓迎されぬ身位で一晩も紅魔館で寝泊りするくらいなら、隙間風との根競べが日課となる、古びた自室での就眠を選択したい。さすればどれだけ落ち着けるだろう……。安らげるだろう……。

 

(……あ!)

(ああ……しまった)

 

 霊夢は愕然とした。

 帰ろうにも――。そうだ、帰れないじゃないかと頭を痛める。

 

 特別企画を運営する徒輩が手配した馬車に頼らないとすれば、文字通り飛んで帰るしかない。まさか帰路を走破するわけにもゆくまい、飛ぶしか途はない。

 しかし、日頃の不規則な生活習慣の跳ね返り、トラウマ再発の波状攻撃で霊夢の精力はすっかり萎靡していた。この状態で飛べたにしても、バランスは取れないし、全身にずっしりのし掛かる重圧も大きい。不慮の事故を巻き起こさないとも限らない。移動手段が『飛行』ではリスクが大きすぎる。かといって、山道を歩くのにも莫大な体力を要す。そのうえ太陽まで沈んでしまえば遭難は確定的だ。

 

 酒があれば見境なく呷っているところである。

 いよいよ嘆かわしくなる……。馬車に乗り込んだ時点で霊夢はもう、後戻りする途をむざむざ廃棄してしまっていたのだから。――陸の孤島に閉じこめられた、というのも、あながち的外れな形容ではないだろう。


「行きましょう。このままじゃ置いてかれるわ」


 鼻先は魔理沙に向いているが、霊夢は場の全員へと呼びかけたつもりだった。


「訂正。もう、置いてかれてたわね。――早く彼女を追いましょう」


 彼女が癖でこぼした皮肉。誰一人として、それへ気の利いた返しをする者はいない。















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