其の四
【4】
談笑にのめり込んでいた霊夢らは、怪訝そうに、団体から切り離れた小隊を振り向きざまに見詰める小悪魔の許へと足早に合流した。
「これ、あげる」
拾った丸石を差し出すチルノ。ところが、差し出されたその少女――見た目は童子の兎耳を生やした妖怪――はぎろりと氷の妖精を睨むだけで、それを手に取ろうとはしない。
「あげる」
さらに前進するチルノから逃げるよう、もう一匹の妖怪兎を隔てた立位置へちんちくりんの身を隠した。
疑問符が幾つも浮いているのが手に取るばかりのチルノ。いきなり盾にされた身分の妖怪は、戸惑ったようにそんな彼女を見張ると「おほん」と咳払いを一つ落とす。
「まあ、なんて綺麗な石なのかしら。お嬢ちゃんが拾ったの?」
どことなくやりづらそうな声調で云って、丸石を受け取った。と、チルノの満面は歓喜でぱあっと気色ばみ、照れてもじもじと胴体をよじらせる。
「うん。あたいが見つけたの」
「素敵ねえ。特に……この、かどっちょとか」
「うん! また見つけたらプレゼントしたげる。やくそくする」
チルノの屈託ない笑顔に曖昧な笑みを返すと、
「よかったね。お姉ちゃんがプレゼントだよって」
半身を覗かして、チルノを吟味するように睨んでいた少女に向き直り石を手渡した。あからさまに迷惑そうな表情をしているが、対照的に無垢なる妖精のそれは、天候の云々とは別個に、本質的にどこまでも照り輝いていた。
その様子に、微笑ましげに見惚れていた上白沢慧音。
「壮絶ね」
抑揚の乏しい声色が、彼女の関心を霊夢に引き寄せさせる。
「吸血鬼の家庭教師。それも教え子がフランドール……。壮絶っていうか、絶句もんだわ」
毒をない交ぜにした言葉を吐くと、
「あら。そうかしら」
慧音は素直そうな目を細めた。
「どうして?」
「どうしてって、そんなの……」
霊夢は答えを躊躇するも、胸をくいと張るや、
「あれだけ獰猛な種族だもの、命が危ないでしょうに」
気丈にありのままを云い放った。慧音はそれへ、しかし即座に切り返すわけでもなく目を閉じると、俯きがちにゆるりとかぶりを振る。
「いいえ、それは否定させてもらうわ。――うぅん。きっと貴方は、何でもかんでも吸血鬼ってワードだけで、その昔乍らの先入観に踊らされているのね」
「どうだか」
「あら、不愉快にさせちゃったかしら。まあ、あの子とのファーストコンタクトが物騒だっただけに、私からは意見を押しつけられないのだけれど」
「――で、ひっきょう、フランドールとはコミュニケーションとれてるの?」
「ええ。それはもう」
「……冗談でしょう」
鼻で笑ったが内心、こればかりの躊躇いもない肯定に面食らって霊夢は狼狽えた。
フランドールと意思を相通。ばかりか、彼女と向かい合って教養、常識を授ける仕事の場面など想像もつかないのだ。
「巫女の嬢ちゃんが食い下がるのも無理ねえよ」
口許を強張らせた藤原妹紅が云う。
「鬼の家庭教師なんて辞職してもばちは当たらねえってさいさん勧めてんのにさ、こいつ堅物だし、骨の髄まで真面目なタチだから聞きやしねえ。探せばもっと、天職は過ぎてるにしてもそれなりの――あ、こら、なにすんだ」
「はいはい。この話題はおしまい」
連れが小手先で遊んでいた煙草を没収し、慧音は溜め息交じりにそれをロングスカートのポケットに片すと、
「続きは、お屋敷でくつろぎながらでも」
内緒ごとを囁くように、ふっくらとした唇に人差し指をかざした。
霧を発生させる機械が置かれているという道外れをのぞけば、立ち並ぶ木々が時折まとめて伐り倒されてはいたものの、案内係が説明したまんま、継続するは砂利だらけの安直な一本道であった。
難所になりたる急斜面もなく、山登りで発揮するような労力は求められない。力仕事が大嫌い、そのうえ人見知りである霊夢にも、初対面のヒト、アヤカシと打ち解けあうだけの余力は残されていた。
しばらく練り歩き、やがて唐突に素っ頓狂な声を上げたのは魔理沙である。
「うわぁ」
沈む夕日とはすかいに交差した、上空に厳存する特大の影――。
とても山奥に溶け込むには重厚でいて無骨な、それにしても望見するもの全てを圧倒する建築物が、森と空の狭間からにゅっと突き出した。魔理沙の近場に位置していた大まかな順で、客達は微少な差こそあれ似たり寄ったりの声を上げる。
「紅魔館の時計台か。霊夢、あんだけでかけりゃ幾らなんでも憶えてるだろう」
ごつい紅の巨塔。そこの中央付近では、円型の輪郭を埋めたこれまた巨大な丸時計が時を刻んでいる。表面に被せた色硝子が柑橘色の太陽光線を反射して読みとりづらいのだが、短針はローマ数字の「5」と「6」のあいだ、長針は「9」に位置しているように辛うじて窺えた。十七時四十五分……。企画の幕開きが予定通り十九時半ならば、ほどよく妥当な時間帯だろう。
「小耳には挟んでたが、やっぱし本物はオーラが半端じゃないな」
呆気にとられる妹紅に、
「間近では初めて?」
魔理沙が尋ねた。
「そうさ。お恥ずかしながら、自宅で日中まるっと潰す私生活なもんで、疎いのよ、実物との触れ合いとかそのへん」
「怠惰な人生でしょう、この人。こんな大人にだけはなっちゃいけませんよ」
いやみったらしい慧音の指摘にぐうの音も出ず、妹紅はせめてもの反抗心から「ああーああー」と嗄れ声を発し、耳を庇って聞こえないふりをする。霊夢と魔理沙が息の合った返事をすると、よりいっそう面白くなさそうに肩身をすぼめていた。
これまでよりひかくてき角度の急な勾配を越える。巨大な丸時計は、再び森に隠蔽され姿を消した。代わりに、一本道の終着が集団のゆくすえに現れた。
凜然としながら、やはり無骨な感じの拭えない門構えである。門扉はところどころを鉄板で補強した重量感のある木造りで、その両脇を石畳が隆起したような門柱が固定している。左右の門柱からこもごも左へ、右へと連なったブロンズの柵は立木の群がる緑の世界にまで及んでいた。
見上げた鉄柵の尖端がきらりと輝く。とてもよじ登れそうにない。迂回しようにも、連なる柵の全長が計り知れない。とびきり堅固な進入禁止の標識だ。
「お疲れ様でした。あちらが、紅魔館の庭と外を仕切る正門になります」
客へと振り返り、小悪魔は説明を施した方に手を差し出した。すると、門の手前で身動ぎする影が四人分あることに「あれ?」と小首を傾げる。
「あ! 小悪魔さあん」
と、そこでしゃにむに手を振る女に霊夢は覚えがあった。
自然と調和した新緑色のチャイナドレスに、赤のストレートヘアー。長身の妹紅より一回りも大きく、たまに服の下から覗かせるかっちりと鍛えられた太腿が、余分な脂肪がない彼女のしまりきった身体つきを強調している。
“あの時”の門衛だ――。レミリアと敵対した、一年前の事変の時の。たくさんの奉公精を引きつれて紅魔館の防衛に当たった、弾幕と併合して殺傷に長けた体術を駆使するやり手の番人……。
部署を離れ、小悪魔の近くへと女は駆け寄った。こうして間近に見るとよりいっそう、よほど女性らしからぬ堂々たる巨躯の持ち主であることが判明する。が――。
「良かったあ。お帰りなさい、小悪魔さん。いまかいまかと帰ってくるのを待ち望んでました。いやあ、私には“連中”を追い返すだけの舌がまわらないもんで、ほとほと参ってたんです」
たくましい戦士の形象にそぐわない屁っぴり腰で、門番は云った。
「連中、ですか。他にお客様が?」
「ええ。小悪魔さんが出掛けられて三十分もしないうちでした。立ち替わりでやって来たかと思えば、館に入れろ入れろって騒ぎだして。あんまりにしつこいんで怒鳴って追い返そうとしたんですけれど、それも効果なしで、かれこれ一時間以上もああやって粘る始末なんですよ」
女は親指を門前へくいっと曲げ、薬味を噛んだように舌を出す。小悪魔が忙しなく咳の真似事をするまで彼女は、招いた客に向けての挨拶がすっかり頭から抜け落ちていたようで、それからやや遅れて一礼すると、
「どうしましょう」
頼りなさげに、小悪魔へ助け舟を欲した。
「素性は訊き出せたんですか?」
「え、ええ……。まあ、いちおう訊き出せたっちゃあ訊き出せたのかな」
「どちらさまでして」
「それが……名刺を頂戴したきりで、これの信憑性を確かめないことには」
「構いません。拝見します」
「ですけど」
「――はやく」
名刺を出し惜しみする門番は、のっそりとした手つきで懐中から一枚だけ抜いて受け渡した。
「紅美鈴。紅魔館の門番やってる妖怪さんだぜ」
案内係がカードと睨めっこしている中途、派手な欠伸を隠そうともしない霊夢を見遣って魔理沙は云った。
「ふうん」
さしたる興味も抱かず、霊夢はもうひとつ欠伸をして目蓋をこする。どうしても、眼の奥でぐずつく鈍い疲労が吹っ切れないのである。
慧音を見ると、彼女もまたしきりに眉間を押さえていた。乗り物酔いに乱された体調がなかなか立ち直らないのだろう。そわそわとした挙動で小悪魔のアクションに身構える門番、紅美鈴の総身をねめまわす妹紅の半歩後ろに、そこはかなし思いつめた顔で控えている。
「なるほど。『CROW』の取材班ってわけですか」
やがて小悪魔は、わずらわしそうに後頭部を撫でる紅美鈴に目線を戻して云った。
『CROW』――世間の風潮に無頓着であったり物忘れの激しかったりする霊夢でもぴんとくる雑誌の題名だった。幻想郷中の泥臭い秘密裡をテーマに取り上げ、大々的に報道することで名にしおう、天狗族がその中枢を握る商業『天狗社』から大量に発行される月刊誌のひとつである。なかでも発行部数を順調に伸ばしているのが件の雑誌で、その度が過ぎる記事の中身に思わず目を背けたくなる購買者も少なくないと聞く。
記事の犠牲となるおおよそが、わけあって人里から遠い過疎地域等でほそぼそと暮らす消極的な妖怪だ。取材とは名ばかりの尋問で根掘り葉掘り穿鑿された、奇襲じみた突撃取材でプライベートを撮影されたと云った苦情の声は後を絶たない。このことから、本社が多分の妖怪より不評を買っているのはもっともなことで、妖怪退治を生業としている霊夢の主観にしても過激な連中であると頷けた。
ところがなんの因果か、里民間ではこの暴露本が盛り上がっているらしく(メインの対象読者が人間の十代後半から二十代の世代らしい)買い手数多、不動の人気雑誌とした名誉を保っているのが現状なのである。
「小悪魔さん、どうしようもないです。マジで好き勝手しようとすんですよ奴ら。やれインタビューに協力しろだとか、館に入れろだとか、あーだこーだぶうたれて。呆れてものも云えませんわ。これは、多少手荒くしてでもお帰り頂くしかないでしょう」
腹立たしげな紅美鈴の提案に、小悪魔が殊勝な顔で「ですね」と答えていると、
「やあやあ、皆さん、お初にお目にかかります。挨拶が遅れてどうもすみません」
話題にのぼる取材班の一人がそそくさと走り寄り、へつらうように平身低頭して詫びを述べた。
セミロングの黒髪に、山伏が好むような帽子がちょこんと居坐っている。もんぺ、巫女服、魔女服と個性的な装いが当たり前の霊夢らと相反し、彼女は正装めいた上質の半袖シャツに、わずかばかりのフリルでめかしたミニスカートといった堅気な出で立ちだ。
紅美鈴とは異質な意で女らしからぬ顔つきである。少年風とでも表白しておくのが無難だろうか。
「はい、こちらこそ。名刺を拝見させていただきました。と、これは射命丸……失礼、フミと読むのでしょうか」
口角をぐいっとつま折ったしょうゆ顔に目をくれて、小悪魔は挨拶を返すついでに訊いた。
「文と読ませます。ま、よく間違われる名です」
「そうでしたか。射命丸文様ですね。――ところで、経緯は伺いました。ただ、非常に申し上げにくいのですが」
「ええ、ええ、みなまで云ってもらわなくて結構です」
「はあ」
小悪魔は若干むっとした様子で、「では」と前置きする。
「お引き取り願えますか。あらかじめ連絡をくださらない事には、誰であってもお通ししてはならないと仰せつかっておりますので」
「いやはや、同じことでそちらの門番さんにも叱られました。――でも、そこをなんとか。無理を通してはくれませんか」
「申し訳ありません。取決めですので」
ぶしつけな来訪者――射命丸文は苦笑し、悩ましげにひたいを人差し指でつっつくと、
「片道、二時間なんですよねえ……」
一語一句をすりつぶすような加減で吐き落とした。その瞬間。
ぴくり――。
ほんの微かに小悪魔の双肩がしゃくりあがったのを、霊夢は見漏らさない。
「要相談になります。――美鈴は私と残って。エリイは、お客様を玄関までご案内するよう働きなさい」
腕を組む門番、滅入ったように押し黙る奉公精らも微かに尻込んだふうだったが、さっさと前者が我先に門へ踵を返した。
むくれる火成岩じみた門柱の前で立ち止まると、手先で棒立ちする二名の来訪者(取材班なのだろう)と一言、二言かわし、こちら側へと肱の曲げた腕を向ける。片割れが重そうな黒のボストンバッグを肩に掛け、ゆっくりと二人は美鈴が手で差し向けた方向に歩き出した。
すると――美鈴は、巨躯を門柱に倒して。そこに、何かぼそぼそと低く吹き込んでいるようだ。
「お初にお目にかかります。わたし、こういう者でして」
そのチャイナドレス姿を霊夢の視野から遮ってしまう位置で、横から滑り込んだ射命丸が名刺をうやうやしく呈示する。
【『天狗社』刊行。雑誌『CROW』副編集長、射命丸文】
霊夢が紙面に印刷された短文を読み終えない時分に、雑誌の副編集長は決まった形での挨拶をして回った。魔理沙に始まり、妹紅、慧音、チルノと流れ作業感がつきまとう颯爽とした物腰で。
よどみなく述べていた常套句を中断したのは、彼女が兎の耳を生やした少女に行き逢ってからである。信じられない現象を目の当たりにしたかの反応をし、ぴょんと跳ねた前髪を撫でつけると、
「あやぁ。これはこれは、鈴仙さんじゃありませんか。まったく気が付きませんでしたよ。とんだ偶然もあるもんですねえ」
名刺をひっこめ、模範めいた笑顔を顔面にこしらえる。
「まいどご購読、ありがとうございます。今後ともごひいきに。輝夜さんにも、よろしくお伝えください。――お初にお目にかかります。以後、お見知りおきを。――ああ、ちょっとモミジ。なにを云われたんですか」
「べつに。散らばらないでと注意されただけで」
「ハタテは?」
「同じく、です」
「……ふむむ。んま、そうそう良いお返事はもらえませんか」
小悪魔がエリイと呼んだ奉公精に名刺を配りきると、そこに余りの取材班が一堂に会して、射命丸らは味気ない言語の応酬をおこなった。
で、班員はというと、女一択である。それも今に始まったことではないにしろ――見た目年齢の――若い女の子ばかりである。
ひとりは、極限まで脱色したのかと勘繰るにあたいする、真っ白な旋毛から犬の耳を立てた妖怪で、縁なしの小さな眼鏡をかけている。神経質そうな長細いまなじり、小動物じみた上向きの小鼻、頭には射命丸と同じ山伏風のちび帽子。背は低いが、補って余りある常に万事を見据えているような威信をただよわせており、その反面、己が主義主張を撤廃したがらない頑固者の感じが見てとれる。
もうひとりは紫がうるさい服飾に、ブラウスにネクタイ、ミニスカート、見慣れないハイソックスを履いた、いわゆる流行最先端の恰好。帽子はやはり同業者と似たような型で、赤らむ茶髪のツインテールでは不揃いな気がしてならない。だが、彼女からすれば大きなお世話に分類されるだろう感想のため、声を大にはしまい。
後者の、いかにも遊び慣れていそうな女がバッグを担いできたことから察するに、前者の彼女とは編集部内にて、絶対的な位階の障壁がそびえているのかもしれない。
天狗族は利口だ、またそれ以上に狡猾で傲慢である。周囲を見下したがる。それゆえに縦社会を組織する。天狗族は階級国家の先駆けであると、そういえば誰かが口にしていたのを霊夢は思い出した。
「それでは、どうぞ」
美鈴からの合図を受け、小悪魔は招待客を門の方角へと煽った。森での道中、最後尾に位置していた妖精が先導する並びで七人は進んだ。
門扉はラジオサイズの物々しい南京錠で閉ざされている。これには、美鈴が服の下から弄りだしたペンダントが鍵の役目を果たすらしく、鍵穴にそれを挿して時計回りにひねれば、いともたやすく南京錠は外れた。
霊夢から向かって左手の門柱を注視すると、不均一に積まれた暗褐色の石が同じ箇所ばかり幾つか抜かれており、そこに空いた窪みを稲妻形の鉄格子がぴったり蔽っていた。
覗き込んでみれば――窪みの奥深くで点滅する発行体がひとつ。なるほど、門番がぼそぼそと呟いていたのは、おそらく屋敷にいる某かとインターホン越しに話し合っていたからなのだろう。
「開門します。危ないから離れててくださいね」
美鈴が、体重をすべて預けるようにして扉を左右に押し開くと。
――久方振りの紅魔館は、その厳粛なる、しかし相も変わらぬ優美な外観で招待客七名を待ち構えていた。