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紅魔館の大事変  作者: 狐林
5/7

    其の三


   【3】




 神輿らしき屋根の形状を模った三号車には、六芒星を円状で囲った畸型の魔方陣、更に西洋の戦器と思われる峻厳でいて殺伐とした、正式名称も定かではない珍品が、放恣に猛るかの如く一緒くたに描かれている。用いられている色は云わずと知れた、紅魔館の頭文字でもある“紅”のみである。

 奉公精が機械的に据え置く足場に、ところが足を着かせず、活力、精力に充ちた大ジャンプで馬車から飛び降りた青い髪の小さな妖精を顎でしゃくり、


「湖に住む氷の妖精。俗名はチルノ」


 見覚えがあると独りごつ霊夢に、魔理沙は半ば呆れたように紹介した。


「ふぅん」


 招待状に記載された出席者の欄にも『チルノ』とあったが、それでも霊夢は、けぶりも見覚えに思い至らず。再び、魔理沙が呆れを通り越して情報を付け足した。


「もう忘れたってのか。ほら、一年前(こないだ)紅魔館へ殴り込みに行った時、道中の湖水で喧嘩した妖精だろ。普通は忘れねえぜ」


「むしろ、私から云わせりゃアンタが普通じゃないわ。平生から、撃破した某彼某を憶えてるわけもないし。妖精とあらば、なおさらのこと」


「ほほう」


 偏見を口にする霊夢に、魔理沙はわざとらしく肩を竦めて見せる。


「霊夢って、今まで食ったパンの数とか把握してない人間なんだろうな。生き方が淡泊だぜ」


 と、茶化す魔法使いへじっとりと視線を飛ばすと、霊夢は云った。


「云わせてもらうけど。パンなんて高価な食べ物を、荒廃寸前の神社に身を捧げる貧乏巫女が口にする機会、本気で合ったと思う?」


「おおっと……まさか」


「なんてね。嘘よ」


「――あそう」


「と云うのも嘘よ」


「引っ掛かんねえよ、もう」


 霊夢は、チルノに引き続き下車した二人組を見遣った。二人“組”と云うのも。両者は体裁こそ異しとすれど、ちょうど己が身分を刻んだ看板を背負うようにありありとした特徴を共有していたのであって、それは――。

 頭の天辺で起立した兎耳。比喩抜きに、如実に兎の耳が頭上で並立している。

 うち、霊夢より幾らか長身の妖怪――だと断定して良いだろう――は、上をホワイトの長袖シャツ、質素なネクタイと着こなす、いまいち垢の抜け切らない相貌。そして、彼女の胸囲りより背の下回る幼子の方は、半袖のワンピースにすっぽりと華奢な満身を仕舞う、走りに不便そうなスタイルでの参列であった。そのちんちくりんの兎妖怪は、辺りを警戒するように、くりくりとした眼を忙しなく転がしている。

 子連れの保護者。と、これは、霊夢が瞬間的に捉えた二人組(二匹の兎かも)を表した構図。


 こうして、霖之助を除くパーティーへの訪問客は出揃った。


「それでは、ご案内させて頂きます。荷馬車に積まれました各名様の手荷物は、また後程、宿泊されるお部屋までお持ちしますので、ご領掌下さい」


 傘に隠れる小悪魔を筆頭に、最後尾にはメイド服の奉公精、それらの中間に足並みの揃わない七人の客は就いた。

 上りにかかるなだらかな斜面を辿って右手へ折れると、道幅はくびれて、多数ある通過手段を減殺する仕様になっていた。広がって歩くには三、四人が限度。おおかた、外敵を意識しての防衛処置なのだろうが、ここ郷土は、云うほど暴乱に明け暮れているわけでもないし、ましてや、余所の妖怪が統制する領地を強奪しようとしたなんて愚か者の噂を耳にした試しはないので、この地の利を活かした構造が実際に役立つ日は果たして来るのだろうか、と霊夢は疑問に思った。


「あれ、トンネルだあ」


 霊夢の数歩先に陣取るチルノが、雪膚な短い腕を前方向へと突き出した。


「あっこを潜ってくの?」


 問われた小悪魔は薄く微笑んで、


「いいえ。あちらでは、狭霧を産出し、私達の立っているひとところを中心点とした半径十キロメートル四方に渡って、それを送風する装置を稼働させています。紅魔館までは一本道なので、道なりにお進みください」


「サギリィ? サンシュツゥ?」


「はい、霧を作っています。そうですねえ……。つまり、霧を焚くマシーン置き場なんですね」


 左へ旋回する道順から遠退いた雑木林の一角で、明るい緑、黒ずんだ緑の蔦葛が犇めくように絡み合い、それらがまるで巨大なアーケードを形作っていた。アーケードは単調な色合いから建っていて、随所で開花する草木瓜が程好いアクセントを演出している。深さはどれだけだろう、ひっそり閑とした影が溶けていて判然としない。根元からにょっきりと角ぐんだ灌木が、暗黙のうちに、七人の参加者の立ち入りを拒んでいるかのようだ。


「勝手に探検したら怒る?」


「出来れば、ご遠慮願いたいところです」


 好奇心に駆られるチルノを、小悪魔は遠回しに戒めた。


「それにしては、この辺は見晴らしがきくんだな」


 と、これは魔理沙。


「ドーナツを思い浮かべてみて下さい。で、そのふわふわした生地と白霧とを置き換えてみて下さい。――ドーナツの中央には穴が空いているでしょう? 私達は現在、その穴のところに居るんだ、と考えて頂ければ分かり易いかと」


 チルノへ投げた猫撫で声をやめ、小悪魔は至ってまともな受け答えをした。


「ほおう。そりゃあ妙だぜ」


「と、云いますと?」


 歩を進めつつ、魔理沙は帽子を被り直した。


「だって、矛盾してるだろう。森に散布してる霧は、吸血鬼の苦手とする日光を遮断する手段であって、まあ、云わば野生のカーテンなんだろうに、肝心の本拠地には直射ってんじゃ意味がないぜ」


「ああ、それでしたら」


「んん?」


 小悪魔は一直線に切り揃えた前髪を撫で付け、何食わぬ顔で云った。


「視界が明瞭でない山道は危ないと、そう危惧されたレミリアお嬢様の命令で、特別に、この場には微塵も雪崩れぬよう風向きを調節してあるのです」


「――レミリアが?」


 その一言に、群を抜いた速度で反応を示したのは、未だに体調の回復していない霊夢である。 

 小悪魔は力強く首を縦に振って、


「……お嬢様は、皆様との親密な関係を築かれたいのでしょう。パチュリー様も、そうおっしゃられておりました」


――この時、霊夢を取り巻く空間は無風であった。なのに、どこかで木の葉の擦れ合う音が、氷水に濡れるかのように冷たく、刺激的に、ざわつく彼女の心にまで吹き通った。焦りとも、緊張とも一概に小分け出来ない、霊夢自身、なにをそこまで掻き乱されるのかと、これがまた苛立ちと似て非なる居心地の悪さに取り囲まれる……。


「かねてより、“ご迷惑をお掛けした皆々様”にお越し頂いたのもそのためです。せめてもの罪滅ぼしと云いましょうか、謝罪がしたいんです。なにも、それはレミリアお嬢様に絞った意向ではなく、パチュリー様も、私も、十六夜も、――フランお嬢様も――その意思に差異はありません」


 傘の手元を引き下げ、決まりが悪そうに露先で目元を隠してしまうと、


「――口が過ぎました。心苦しいのですが、このことは、どうか公になされぬようにお願いします」


 小悪魔は、心なし早歩きになった。


 だんだんと“特別企画”の全貌が浮き彫りになって来たように、霊夢は思う。

 無論、小悪魔の滑らせた顛末を素直に鵜呑みにするつもりはない。その物語を脚色した可能性、美化していない可能性を裏付ける根拠をなにも持ち合わせていないのだから、手放しには心を許せない。

 それに――。

 魔理沙の言葉を借りるわけではないが、小悪魔の話と、それにあずかる取り計らいとで、そう、霊夢には一種の“矛盾撞着する感じ”が否めない。このぐずついた胸の起伏は、奉公精の醸す刺々しいオーラに由来していた。

 小悪魔の物云いは本懐からなのだと仮定して、だとすれば――親密な関係を築きたいのであれば、それに適応した物腰で接待するのが至当だろうに、あの妖精に具わるちくりとした姿勢(……敵意?)は何なのか。辻褄が合わない。あるいは、レミリアの思想に肩入れする人・怪士(あやかし)の枠組みに妖精は当て嵌まらないと、そういう事なのだろうか。


(あぁ……身体が重い)


 霊夢は生唾を飲み、火の灯っていない煙草を銜えた、長躯の女へと話し掛ける魔理沙に横目を使った。

 ついさっき、彼女は気分が優れないと霊夢に訴えている。それは他愛ない話題のようでいて、しかし実際は、霊夢が、疑懼心を湧き出さざるを得ない決定打となった瞬間であった。

――吐き気の前兆みてえな。

 友人の声に合わさって脳へ押し寄せる、捨ておけない複数の蟠り。片隅でぐずぐずと煮える異物感、そこから噴出する汚染ガスがその真実を包み隠しているようで鬱陶しい。

 今更ながら頭をもたげる、どうしてレミリアは馬車を手配したのかの一点――。いくら広大だとは云っても、無限ではない原生林の里程を飛び越すのは断じて難儀でないし、むしろ馬が駆けるより迅速に飛行できるのに。レミリアだって幻想郷に移ろって久しい、そのことは、自然の理として押さえているはずなのに、どうして……。


(まるで……)


 まるで(……まるで)――レミリアは事前に知っていたかのよう――。(まるで……)霊夢、魔理沙らの身体のコンディションが加速度的に崩れることを想定していたかのようで……。いや。あえて攻撃性を取り入れた語句を使うなら、レミリアは(……紅魔館を牛耳る吸血鬼は)、招いた客が体調不良に陥る事態を“あらかじめ計算し算出したうえで”車を手配した……。


(どうして?)


 懸念したのだろうか。

 体調不良を口実に、パーティーへの出席を霊夢らが辞退する展開へ転がるのを懸念し、それを阻止したいが為の“馬車”だったとしたら――。

 飛べ、と今この場で発破をかけられても、即座に霊夢は、それに従い得ないだろう。疲弊した状態で飛べたにしても、バランスは取れないし、全身にずっしり圧し掛かる重圧も大きい。


(そんな……)

(そんな、調子が万全でない時合に“報復”された日には……)


 物騒な自論は、困ったことにとめどなく展開される。

――奉公精はめいめい、“横暴な侵入者”として紅魔館の敷居を跨いだ霊夢と魔理沙を、何十、何百と脹れあがった総動員で迎え撃ち。


「……お……いむ」


――奉公精の粗方が大なり小なり傷を負ったのだ。


「き……いむ――」


――おいそれと、それら加害者に傾いだ遺恨を断ち切れるものだろうか?


(いや、不可能だろう……)

(半永久的に、仲間の仇を……私自身を恨み続けることだろう)


「――れいむ、おい、おいってば」


 大規模な地震。ばらばらに砕ける、透明な硝子に浮かんだ文字。それから声。

 一時的に死んだも同然であった五感の息を吹き返させる、声。

 どこまで沈んでも底に着地しない思惟の海で溺れていた霊夢は、それによって我に返った。


「ったく、様子がいつもより可笑しいぞ。むむ。どうせ夜更かしが尾を引いてるだけなんだろうが、それにしても友達として心配だぜ」


 腰に握り拳を当てた魔理沙が、近づけていた鹿爪顔を引く。それから握った拳を開き、彼女の死角に立って霊夢に注目していた人物を促すと、


「もこう」


 と云った。

 

「えっ」


「名前だよ、この人の。妹紅(もこう)さん」


「――どうも」


 その人物――藤原(ふじわらの)妹紅は、火気の見られない煙草を指で弄びながら反対の手を霊夢に差し伸べた。


「ご紹介に与りました、藤原妹紅です。仲良くしてちょうだい。んま、気軽に下で呼んでくれて平気だから」


「あぁ、はい。――ええっと、私は」


「博麗神社の、博麗霊夢だろ?」


 握手を交わすと、名乗っていない名前を的中され、霊夢は僅かに鼻白んだ。


「ええ、そうよ。あ、魔理沙から訊いて?」


「いやあ」


 妹紅は輝かしい長髪をぶんぶんと振り、


「あんた、ちょっとした有名人なんだぞ。うちの地域にまで、霊夢さんのご高名は飛び交ってらっしゃる」


「わ、私の?」


「そうさ、だからあたしはアンタを知ってた。一目で分ったよ。脇の剥き出た巫女服を平然と着る巫女さんなんて、そうそう他にいないだろうし」


「あらそう。照れるわね」


「お。おやおや。耳にした以上にクールでいらっしゃる」


 片靨(かたえくぼ)を顔につくり、妹紅は、シャツの袖の中に引っ込ませた腕を口の前に運ぶと、大仰に驚いたふりをする。霊夢は何となく、そのおどけざまから魔理沙との共通点を見出した。同時に、お調子者のレッテルをこっそりと貼っておく。


「それで、あっちの魔女っ娘が霧雨魔理沙、と。ふうん、随分と若いんだなあ。――あの、ため口でもオッケー?」


「もちろん」


「じゃあ、それに甘えて……。年齢は?」


「じゅうろく」


「若盛りだねえ。老婆心によるアドバイスだが、その時期を利用しない手はない。あ、色恋方面でって意味ね。もっとも華が咲き誇る時期なんだから。――ふむ。案外、可愛いじゃん」


 悪戯っぽく唇を変形させる妹紅に、霊夢は返事に詰まり、


「ありがとう、頑張ってみる」


 つっけんどんに云った。が、妹紅はにたついたまま、痩せた顎を煙草を挟んだ指でなぞると、


「しかし十六歳。うむ、本当に若い。いやあ、それだけに頭が下がるね」


 敬服したように何度も頷き、霊夢と魔理沙を交互に見据えた。


「たった二人の少女が、当時、かの悪名高い風評で敬遠されがちだった紅魔館に直談判だもんなあ。しかも、無数に囁かれる悪評の中でも飛び抜けてヤバい吸血鬼……、フランドールと対決して引き分けたと来たもんだ。おお、末恐ろしい神童だよ」


「――あの、それは」


 と、彼女の“誤った認識”を正そうとした霊夢は、はっとして口を噤んだ。


(……誰!)


 足が止まる。

 霊夢は慌てて周囲に眼を飛ばした。と、いつからだろう、“その女”が有意味な視線を送っていたことに気付く。


「おう、紹介が遅れたな」


 魔理沙が、地面と平行にした平手をそちらへ差し出して云った。


上白沢(かみしらさわ)慧音(けいね)さん。――霊夢、聞いて驚け。なんとこちらの慧音さん、そのフランドールお嬢様の“現”家庭教師なんですと」


 身長の半分に達しそうな、銀箔のようなしっとりとした髪から耳を掻き出すと、甲斐甲斐しく、上白沢慧音は黙礼した。そこには燦々と、西に傾いた太陽の焼けた光が降り注いでいた。




















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