005 『昼食、それから……』
「ここだな。ああ、もう結構並んでる」
雅が代表で記名を済ませ、四人は順番を待つ。
店名は『ぱれっと』。カフェ風の洋食店らしい。
「ここっていつも順番待ちよね……」
「そうなのか?」
「まあ、ご飯時は絶対に待たされますし、相席になる場合も多いですよ。大人数向けに大きな席を多く用意しているためらしいですけど」
「へえ……」
「でも、混んでるだけあって、味は保証できるな。なにを頼んでも正解だぜ?」
「それは楽しみだな」
料理のレパートリーを増やす機会にもなるかも知れない。
しばらく雑談を交わしながら順番を待っていると、エプロン兼用の制服を着た店員が寄ってきて、
「ただいま、当店大変混雑しておりまして、大変お待たせしております。申し訳ございません。もし相席でよろしければ、四名様すぐに案内できますが、いかがなさいますか?」
顔を見合わせ、そして、皆大丈夫だとのことなので、
「はい、じゃあ相席でいいのでお願いします」
店員に案内されたのは六人掛けの席で、そこにはぽつんと一人の人物が座っていた。
店内の明るさを抑えた照明の中でも煌めく蒼みがかった銀色の長髪に、水底のような吸い込まれんばかりの深い蒼の瞳。なによりも異色だったのは、今は夏場だというのにきっちりと着込んだ黒のコートにその襟元から除く同色のベストか。体の線は見えにくいが、しかし、顔立ちはかなり整った少女のもの。凛として、そして、かすかに浮かぶ笑みは涼やかだ。
「お客様、ご合席の了承、ありがとうございました。では、ごゆっくり」
店員が去って行った後で、どこに座るかを決めようと背後を振り向くと、雅の顔が青ざめていた。
「風見、お前……」
呆然と呟く声を聞いたのか、銀髪の人物はストローを加えたまま顔を上げ、
「ああ、雅じゃないか。奇遇だね」
「奇遇、どころじゃねえだろ。なんでお前がこんなところに?」
「何でって……」
風見と呼ばれた人物は柳眉を寄せ、
「食事をしに来たに決まってるだろう?」
「まあ、それはそうだが……」
気まずそうな雅の顔を覗き込み、美苑は、
「お知り合い、ですか?」
その疑問に答えたのは雅ではなく、銀髪で、
「まあ、ちょっと僕の仕事を手伝ってもらった間柄でね。あ、そうそう。一応自己紹介しとくよ。でも、その前に座ったほうがいいかもね」
言われ、四人とも通路に突っ立ったままだったのに気が付く。
慌てて座ると、風見の向かい側に祐樹、霧香、美苑の順に座り、美苑の向かい側に風見とは少し距離を置いて雅が座った。
「さて、改めて自己紹介しよう。僕は九龍寺風見。さっきも言ったけど、雅とは仕事の付き合いで少々。ちなみに、性別は女だよ?」
「最後のは言わなくてもわかるだろ」
ぼやく雅に苦笑しながら、しかし祐樹も折角なので名乗ることにした。
「新城祐樹だ。銀鈴学園で生徒会副会長をしている」
「ああ、君がか……話は雅から時々。まあ、それ以前に街じゃ君は有名人だけどね」
納得の表情に、そして、悪戯っぽい笑み。祐樹は彼女の言った『有名人』の意味にすぐに思い至り、
「そういうたぐいの噂話には耳が早いようですね。探偵業でも?」
少し、探りを入れてみる。
『有名人』、というのはおそらく祐樹が街の不良を相手取って喧嘩まがいのことをしていることだろう。本当は喧嘩ではなくて、彼らの所業を咎めた祐樹に暴力で答えられたので、自己防衛をしているにすぎないのだが、他人から見ればただの喧嘩である。
しかし、そういことをしている人物がいること自体は有名でも、名前まで知っているのはその不良グループそのものか、それに関われる立場にいる人物だろう。情報を集められる立場で限りなく自由と思えるのが探偵である。
風見の格好は季節外れだが、社会に縛られないそれは自由な立ち振る舞いを許された者のような気がする。
「ああ、まあ、似たようなものかな……なんというか、自分でも判別しかねるというか。どう思う、雅?」
「オレに振るなよ。知るわけないだろ?」
「それもそうか」
そう言ってくすくす笑う。
万屋、といったところなのかも知れないが、そこまで深く突っ込むところでもないだろう。
「いちおうあたしも名乗っとく。新城霧香。生徒会長をやってるわ」
「私は神崎美苑です。生徒会では会計を」
全員が名乗りを終え、風見はふむふむと頷いている。
「とすると、ここにいるのは全員生徒会のメンバーってことか。なんだか僕だけ場違いな気もするね」
そう言いながらも、表情はにこやかだ。
「さて、注文しようかと思うんだけど……君達もメニューを見たらどうだい?」
メニューを渡され、目を通す。写真付きのもので、見ているだけで食欲をそそられる。
「結構な種類があるな……これは迷う」
「うーん……あたしはカニのクリームスパかな」
「オレはシンプルにマルゲリータ」
「私はイカと夏野菜のトマトリゾットにします」
次々に決められる中、祐樹はメニューとにらめっこする。
「どれも美味しいと聞かされると、非常に困る……でも、そうだな」
祐樹は写真の一つを指さして、
「夏野菜ミートソースで行こう」
「決まりだね。ちなみに僕はペペロンチーノ」
風見が代表して店員を呼び、よどみなく全員分の注文を伝える。
「僕、学校って行ってないからよくわからないんだけど……銀鈴はどんなところ?」
料理を待つ間、黙っているのもつまらないと感じたのか、風見が問いを口にする。
それへまず答えたのは霧香で、
「良くも悪くも自由よね。制服もあってないようなものだし」
「確かに、な」
彼女が言う通り、銀鈴学園には制服があってないようなものだ。
確かに、制服と呼ばれるものは存在するが、学園長の趣味によって複数種類が用意されているせいで、選択肢が非常に広い。
その上、制服の改造を推奨しているため、女子の制服は人によっては原型を留めていない。
「学園長の趣味だろ、あれは。まったく、困ったもんだぜ」
そうぼやくのは雅で、先日、学園長の趣味に付き合わされそうになった被害者だ。
「学則もいたって緩いしな。下校途中の寄り道OKだし」
「まあ、この島でそれを規制するのは野暮ってものじゃないかな? 何せ、《ルナ》の企業城下町だ」
「まあ、な……でも、だからこそ頭が痛いよ。島の外からもわんさか人が来て、学生同士の諍いが絶えない」
「はは、風紀委員長としては頭痛の種か」
「風紀委員長って……雅が言ったのか、それ?」
軽く睨むと、
「い、いや、あくまでもそういう噂がある、ってことを……って、結局言ってるのか、それって」
「ああ、そうだとも」
言い逃れをしようとしたが、途中で無理だと気付いた彼は身を小さくする。それへ祐樹はため息をつく。
「でも、ホント不良たちの間じゃ噂になってるよな、お前って」
「面倒を起こすあいつらが悪い」
正論ではあるかもしれないが、首を突っ込む方も突っ込む方であるのは自覚している。が、その面倒が一般人に飛び火したら余計に面倒だから、そうなる前に鎮火しているだけの話。だから、『風紀委員長』などと呼ばれるのはいささか不名誉だ。
「でも、最近は騒ぎも下火じゃないかな? なんだか、不良たちの姿を見かけなくなってる気がするけど」
「なんか、関連したニュースが新聞に載ってたな。なんでも、行方不明らしいが」
「そのニュースは見たけど……家出、なのかどうなのか」
「正直言って、警察も本腰入れて捜索はしないだろうな。なにせ、素行が素行だ」
「ありえる、ね」
だからこそ、心配な部分がある。もしも本当に事件性があった場合に初動が遅れる結果になる。
やや暗い話題を含みつつも、風見を交えて会話を交わしていると、注文していた料理が届き始めた。
「お待たせしました。お熱いのでお気を付けくださいね」
最後に運ばれてきた美苑のリゾットを届け終えると、そう言って店員は去って行った。
「さて、冷めないうちに食おうぜ」
雅が促すまでもなく、すでに皆各々フォークやスプーンを手にし始めていた。
「じゃ、いただきます」
言うが早いか、雅はピザの一切れを口に運ぶ。さくっという軽い音が祐樹のところまで聞こえてきた。
「随分とサクサクしてるようだな、それ」
「ああ、シンプルだけどうまいぜ」
雅は満足そうに笑い、ピザの残りを口に放り込む。
他の面々も雅に続いて食べ始め、それぞれに美味であることを伝えてくる。
祐樹もミートソースを麺に絡め、フォークとスプーンを使って麺を巻き取る。
一口食べると、ひき肉の旨味とトマトの酸味の調和が口に広がった。しかも、ひき肉の触感は食べごたえをもたらす。素揚げした夏野菜も美味しく、すべてに満足いく味だった。
「こっちもいけるわよ。一口どう?」
そう言って、霧香がフォークに巻いた麺を差し出してくる。
「美味しそうなのは確かだが、その食べさせ方は――」
「つべこべ言わない」
断ろうとした口にフォークを突っ込まれた。濃厚なクリームにカニの風味が溶け込んでいる。それだけでなく、カニの身も入っていて、口の中で繊維状に解ける。
「ああ、これは旨いな」
飲み込んでから言うと、でしょ、と霧香が笑う。
「そっちのもちょうだいよ」
と、催促してきたので、あまり多くなりすぎないようにフォークに巻き取って、霧香の口元に差し出す。それをぱくりと口に含み、
「うん、おいし」
ご機嫌な笑みを浮かべる。
「ったく、お前らってなんなんだよ」
呆れた雅の視線は気にしないことにするが、風見の視線も妙に生暖かい。
「仲いいね」
の一言に、一瞬霧香と顔を見合わせ、
「「普通じゃない?」」
と声が揃った。
「はいはい、もういいよお前ら」
ため息をつかれ、祐樹も言い返す気もなかったので黙って食事を続けた。
「美苑ちゃんのはどう? おいしい?」
霧香は今度は美苑の料理に興味を示して、身を乗り出している。美苑は上品な微笑みを浮かべ、
「ええ、熱いですけど、とても美味しいですよ。よかったら一口どうぞ」
霧香は差し出されたスプーンを遠慮なく口に含む。
「うん、これもいい。祐樹のも結局はトマト系だけど、これはこれでまた違ったうまみがあるわね」
「そうなんですか? あ、でもミートソースはお肉の味もありますしね。そのせいじゃないでしょうか?」
「うん、たぶんそう。美苑ちゃんのがさっぱり系で、祐樹のが濃厚系。でも、甲乙つけがたいなぁ」
悩む顔はある意味見慣れたものだが、服装がいつもと大幅に違うせいか、だいぶ印象が違う。
「あ、雅。一つもらうわよ」
雅の皿からピザの一切れを問答無用で徴収。頬張ると、またしても軽い音が聞こえてくる。
「う~ん、サクサク……味付けもシンプルで飽きないわね、これは」
ご満悦の様子。が、何故だか美苑がうずうずしていた。まあ、理由はわからなくもないが。
「本当に美味しそうに食べるね、君は」
風見が楽しそうに言うのに対して霧香は胸を張って、
「そりゃ、そうじゃなきゃ食べ物に失礼でしょ? まあ、美味しくないものにまでそうはしないけど」
「そりゃそうだね」
納得の頷きをして、彼女もペペロンチーノを食べる。その若干緩んだ表情から、それも美味しいのだと察することが出来た。しかし、少女だといえる年代でにんにく入りの料理を昼間から食べるのは、結構勇気がいるのではないだろうか。
そんなことを思いながら、ミートソースのパスタを平らげ、ペーパーで口を拭う。
雅も数枚を横取りされていたが、早々に食べ終え、水を飲んでいる。
「さて、この後どうする?」
「そうだな……」
ちらりと風見に視線を向けると、お構いなく、というように首を振る。
「霧香はもう見たい店はないのか?」
「ない、かな。もともと、一店舗の約束だったし」
「そういうのは律儀に守るのな」
「約束は違えない女よ、わたしは」
「そうだったな。でも、そうすると買い物というプランはなしと考えていいのか」
「じゃあ、少し遊ぶか? カラオケとかボーリングとか。ゲーセンでもいいぜ?」
「カラオケは少々……」
美苑が拒否を示す。
「まあ、混んでるだろうしな。オレもそんなに好きなわけじゃないし」
「だったら提案するなよ……まあ、それはともかく、どうしようかね?」
祐樹は面々を見回す。すると、意外なところから声が上がった。
「これあげるよ」
そう言って差し出されたのはボーリングの割引券と優先利用券。
「いいのか?」
「一人じゃ使わないし」
異論はあるが、もっともでもある。では、それはありがたく頂戴することにしよう。
券を受け取って利用条件を読むと、五名以上の利用の場合らしい。だからか。
「でもさ」
券を横から覗き込んでいた霧香はそう声を上げる。皆の注目を集めたのを確認してから彼女は、
「せっかく優待券を提供してもらったんだから、その提供者も一緒に楽しむべきじゃない?」
「いや、僕は――」
笑顔で断ろうとした風見へ、霧香はずいと顔を寄せ、
「こうして知り合ったわけだし、わたしは親睦を深めたいと思うの。ダメ、かな?」
「…………」
強引、ではあるだろう。しかし、風見は軽く肩を竦めて、
「その笑顔は反則かな? うん、じゃあ僕も参加させてもらおう。ところで、そっちの彼女はボーリング大丈夫なの?」
そう聞いたのは美苑に対してで、彼女は薄い笑みを見せ、
「ええ、大丈夫ですよ」
しっかりとした頷きを見せる。
「じゃあ、決まりだな」
雅は勢いよく立ち上がり、注文票を手に取る。
会計を済まし、店を出た祐樹たちは昼食時で混雑するレストラン街を抜け、地下にあるボーリング場へと向かった。
そこでゲームを楽しんだ訳だが、美苑が物凄く上手かったのは余談である。