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わたくしを推さないとは不敬ですわ! 〜家賃3万の聖域から始まる国取り配信〜

作者: たくみ
掲載日:2026/04/14

「……なんですの、この熱気と体臭を煮詰めたような地獄は」


 逆流する魔力の奔流に飲み込まれ、王女ルナリア・ド・アステリアが次に目を開けたとき、そこは見慣れた王宮の天蓋の下ではなく、得体の知れない『異郷』のど真ん中だった。


 真夏の照りつける暴力的な太陽、肺を焼くような湿った熱気、そして見渡す限りの奇妙な装束を纏った民たち。


 そこは、東京ビッグサイト・コスプレエリアだったのである。


「……ここはいったい、どこの魔境ですの?」


 理屈は分からないが、耳に届く言葉の意味だけは不思議と理解できた。だが、周囲から聞こえてくる「解像度が高い」「解釈違い」「神絵師」といった言葉は、彼女の知るどの魔道書にも記されていない、理解不能な呪文のように響いた。


 彼女の誇り高き王宮生活は、この瞬間、理屈の通じない未知の混沌へと叩き落とされたのである。


── 回想 ──


 本来、彼女はアステリア王国の召喚の間で、輝かしい歴史の立役者になるはずだった。


 異界から勇者を召喚し、その力で隣国を攻め落とすための秘儀。ルナリアが王城の奥深くで発見した古文書——『我が考えた最強の召喚魔術』という、数百年前にいたとされる「中二病の先祖」が書き残した欠陥魔術を、彼女はあろうことか「失われた超古代魔術」だと信じ込んでしまったのだ。


「姫様! その古文書、どう見てもタイトルが怪しいです! 中止を……!」

「黙りなさい宰相! アステリア王国建国の祖が残した偉大な魔術を、わたくしが今ここに再現するのですわ!」

「おお、さすがはわが娘ルナリア! 勇者を呼び寄せ、あの忌々しい隣国をついに攻め落とすのだな! わしも力を貸してやろうではないか!」


 止める宰相を無視し、ルナリアの天才的な頭脳によって空想の魔法は現実のものとなった。……が、発動した魔方陣の輝きに目を奪われた筆頭魔術師が「なんと興味深い術式だ」と魔方陣へ踏み込み、それを見た国王まで「わしも!」と続いたせいで、魔法は盛大に暴走した。


 勇者を呼ぶはずの門は、術者であるルナリア、必死に彼女を止めようとした宰相、そして陣へと踏み込んだ国王と魔術師までもを、まとめて別々の空へと吸い込んだのである。


──────


 そして気付いた時には、周囲に青い肌の魔族(全身タイツの男)、巨大な剣を背負った戦士、そしてサキュバス(布面積が少ない女)たち、奇怪な生物(着ぐるみ)が溢れかえっていた。


「な、な……っ! ここは魔界の集会所ですの!? どいつもこいつも、なんて禍々しい姿を……!」


 その時、比較的人間味のある姿をした男達の集団が目に入った。ルナリアは苛立ちを隠そうともせず、耳元で揺れていたイヤリングを片方だけ外すと、それを無造作に掲げた。


「そこの平民! この耳飾りを授けてあげますわ! 王家にとっては端金ですが、お前達のような者なら一生遊んで暮らせる価値はあります。……ですから早く、わたくしを安全な場所へ案内しなさい!」


 彼女が示した至高の慈悲を、男たちは「撮影開始の合図」と受け取った。首から下げた巨大なレンズ(一眼レフ)を一斉に彼女へ向けたのである。


「お、おい見ろよ! あの子、めちゃくちゃクオリティ高くね!?」

「衣装の質感がガチすぎる……。あの縦巻きロール、地毛か?艶が作り物じゃねえぞ」

「元ネタがわからんが、あの『侮蔑の視線』……最早、神! ゾクゾクするでゴザル!」

「すみませーん! こっちに目線お願いしまーす!」


 喧騒の渦中で、ルナリアは完璧に整えられた縦巻きロールを揺らし、不快そうに眉を寄せた。

 彼女に向けられているのは、崇拝の眼差しではない。スマートフォンのレンズと、下賤な好奇心。ルナリアにとって、それは生まれて初めて受ける「無礼」の極みだった。


 パシャパシャパシャパシャ! と、凄まじいシャッター音とフラッシュの嵐が彼女を襲う。


「ひゃあぁっ!? 何ですの、この光の魔術は! 目が、目が潰れますわ! 控えなさい、不敬ですわよ!!」


 ルナリアが怒鳴れば怒鳴るほど、「うおおお、あのツンケンした態度、キャラ立ってるわー!」「もっと罵ってください!」と、撮影の列は膨れ上がっていく。


 魔力のないこの世界では、彼女の怒声はただの「ご褒美」として処理されていた。



「……ですから、今回の不祥事の責任はすべて弊社が……いえ、すべて私が個人的に負います。その代わり、この契約だけはどうかご継続を。はい、社長……ありがとうございます。失礼いたします」


 都内を走る高級ハイヤーの助手席。カイルは受話器に向かって死にそうな声で頭を下げていた。


 カイル。つい数ヶ月前まで、彼はアステリア王国において「史上最強の知性」と謳われた宰相だった。


 卓越した交渉術で空っぽの国庫を立て直し、条約一枚で戦争を未然に防いできた政治の天才。……しかし、その実態は、ワガママな王族がしでかした不祥事を、知略と胃薬で闇に葬り続ける「掃除屋」でもあった。


 時空の歪みによりルナリアより一足先にこの国に転移した彼を待っていたのは、戸籍も身分証もない「社会的な死」という現実。彼は今、その政治手腕を「無茶なクレームの鎮火」と「えげつない契約の獲得」に注ぎ込む、ブラック広告代理店の使い捨て営業マンとして生き永らえていた。


 (……王国の運営に比べれば、この会社のノルマ調整など児戯に等しい。だが、胃の痛みだけは現代日本の方が数段上だな……)


 後部座席でふんぞり返る「現代の王(最重要取引先の社長)」の機嫌を伺いつつ、自社の広告戦略に活かそうとSNSを隠れてチェックすると、一つの動画が目に飛び込んできた。


#夏コミ

#ガチギレお嬢様

#有明の公園

#顔面国宝


 動画の中では、一人の少女がスマホを向ける野次馬に扇子を突きつけていた。


 最高級のシルクとレースを編み込んだ夜会服。だが、真夏の有明の埃にまみれ、裾は擦り切れ、その美しさは今や「限界を迎えた名画」の如き悲壮感を漂わせている。


『近寄るなと言っているでしょう! 貴様ら、わたくしの視界に入る許可を誰が出しましたの!? ……ふん、そこまで平伏するのであればいいでしょう。許可してあげますわ。感謝しなさい』


 アスファルトから立ち昇る陽炎が、彼女の誇り高い精神をじりじりと削り取っていた。


 野次馬たちは通報するのも忘れ、その「猛暑など微塵も感じさせない、冷徹なまでの覇気」をご褒美のようなシャッター音で迎えていた。実際には、ルナリアが暑さと飢えで「もはや怒る体力すら残っておらず、結果として氷のように冷ややかな視線になっていた」だけなのだが、それが周囲には「神がかった演技」に見えていたのである。


「ひ、姫様……っ!?」


 カイルは手に持っていた「本日の接待スケジュール」を落としそうになった。かつて自分がその奔放な性格をフォローするために連日徹夜を繰り返した、王国の第一王女ルナリア。


 (……なぜこんなところに……! いや、あの性格ならどこへ行ってもあのままだ)


 カイルは葛藤した。今、このまま社長を銀座のクラブへ送り届ければ、自分のノルマは達成される。だが、動画の最後――。一瞬だけ視線が俯き、今にも折れそうな膝をドレスの裾で必死に押さえつける彼女の、限界を超えた震えを見てしまい、カイルは見捨てることができなかった。


 カイルは、バックミラー越しに社長へ向け、営業人生最大の嘘をついた。


「……社長! 申し訳ありません、すぐそこに、私の生き別れの妹が暴徒に囲まれているのが見えました! 助けに行かせてください! この恩は、次回の契約料の20%カットでお返しします!」

「……はぁ? 有明の、こんなコミケのど真ん中でお前の妹が暴徒に? カイル、お前、嘘をつくにしてももう少しマシな……」


 社長は冷めた目でカイルを見たが、震えながらも今すぐ車から飛び出さんとする彼の必死すぎる形相を見て、意地悪く口角を上げた。


「……ほう。いいだろう、行ってみろ。だがな、もしこれが下らん嘘だったら、次回の契約は白紙だ。お前の会社に電話一本入れて、お前が今日中にクビになるよう手配してやってもいいんだぞ?」


 カイルは血の涙を流しながら、「ありがとうございます!」と絶叫し、すぐさま運転手へ「有明の公園へ!」と叫んだ。



「……姫様。迎えに参りました」


 そこは、イベント会場の隅に設置されたプレハブの救護センターだった。

 パイプベッドに横たわり、保冷剤で首筋を冷やされていたルナリアは、カイルの声に弾かれたように目を開けた。


「……宰相。遅いですわ……。わたくしをこのような、民の汗と、錬金薬(くすり)の臭いが混じった不浄な場所に放置するとは……八つ裂きにしても足りませんわよ」


 声は掠れ、起き上がる動作すら危うい。だが、彼女は駆け寄るカイルの助けを借りることなく、震える手でシーツを掴み、泥にまみれたドレスを翻して立ち上がった。


「……行きましょう。わたくしの威光に気圧されたのか、ここの者たちはやたらと『ねっちゅうしょう』なる呪文を何度も浴びせかけてきたり、わたくしの腕に針を刺そうとしたり……。無礼にも程がありますわ」

「いや、それは呪文じゃなくて姫様を心配されてるんです。熱中症対策の点滴の相談ですよ。……本当に歩けますか?」

「愚問ですわ! アステリアの王女が、民の情けで生かされるなどあってはなりませんの!」


 カイルに肩を貸されながら、なんとか救護センターの扉を抜けた直後。

 ルナリアは、目の前に停車していた光り輝く黒塗りのハイヤーを見て、その場に凍りついた。


「な……なんですの、あの唸り声を上げる黒い鉄の獣は! カイル、なぜ貴様はそんなにヘコヘコと、あのような怪物に媚びを売っているのですか!?」

「姫様、落ち着いてください、あれは車です! 獣じゃありません、僕が(ノルマを捨てて)手配した移動手段です!」

「黙りなさい! あの獣、目が光っていますわよ! 今にもわたくしを飲み込もうと、低く唸っているではありませんか! 早く、早くそれを焼き払いなさい! 宰相としての意地を見せなさい!」

「焼き払ったら社会的にも、法的にも、物理的にも、僕という存在がこの世から抹消されます! いいから乗ってください、あの中は涼しいですから!」


 空腹と熱気で限界のはずなのに、未知の文明への恐怖からか、ルナリアは火事場の馬鹿力でカイルの腕をギリギリと締め上げた。


 カイルは取引先の社長に本日何度目かも数えたくない謝罪を終え、怯えるルナリアの肩を抱いて「獣」の背後……後部座席へと誘導する。


「姫様、あれは獣ではありません。中を見てください。豪華な椅子があるでしょう? これは、この国の貴人が使う『動く応接室』です。早く中へ」

「な、なんですって? 窓に景色が反射して、中の様子が……ひっ! 勝手に扉が開きましたわ!? 噛まれる! 食べられますわ!」


 自動ドアの動きに飛び上がったルナリアを、カイルは強引に押し込んだ。


「食べません。……あぁ、社長、申し訳ありません!  妹は少々、その、閉所恐怖症でして! すぐに静かにさせますから!」


 ハイヤーが静かに走り出すと、ルナリアは恐る恐るシートの感触を確かめ、震える声でカイルを睨みつけた。


「……カイル。貴様、わたくしを差し置いてこのような魔法の箱を乗り回し、贅沢をしていたのではありませんか!? その顔……その薄汚い、へらへらした顔は何ですの! 宰相としての矜持はどこへ行きましたの!」

「……矜持なら、3ヶ月前にゴミ箱に捨ててきましたよ。姫様、これは贅沢品ではなく、僕の生殺与奪の権を握るお方の私物です。商談の帰り道だった『得意先の社長の送迎車』に、土下座して無理やり相乗りさせてもらったんです」

「しゃちょー? 誰ですの、その男は。お父様より偉いのですか?」


 豪華な本革シートに、カイルを挟んで座る姫と社長。ルナリアの一挙手一投足が、カイルの胃痛を加速させた。


「……面白い妹だな」


 バックミラー越しに、この世の支配者のような冷ややかな視線が注がれる。カイルは反射的に頭を下げた。


「妹は熱中症でまだ意識が朦朧としているようです。戯言だと思って気にしないでください」


 その発言に、ルナリアは「わたくしが戯言を言っていると!?」と怒りを爆発させようとした。だが、それよりも早くカイルの手が彼女の口を封じ、耳元で氷のような声が響く。


「いいですか。今の僕にとって、社長は神です。僕たちは今、処刑台(ギロチン)の上で首を並べているんですよ。……平民が貴族に盾突きますか? この神の気まぐれ一つで、僕らの命脈が尽きる現実を理解してください」


 かつて王国の危機を救った時ですら見せたことのない、宰相の必死すぎる形相。ルナリアはその迫力と自身の疲労に圧され、言葉を飲み込んで素直に頷いた。


 ハイヤーが有明の喧騒を遠ざけていく。ルナリアは高級な革シートの感触に少しだけ安堵したが、隣に座るカイルが「お通夜」のような顔でスマホを操作しているのを見て、眉をひそめた。


「それで宰相、この『走る応接室』はどこへ向かっていますの? ……というか、貴様がさっきから握りしめているその光る板は何ですの。わたくしの顔が映っていますわよ! おのれ、魔術でわたくしの魂を抜き取るつもり……」

「魂は抜けませんが、尊厳が抜かれています。これを見てください」


 カイルは震える手で、動画サイトの急上昇ランキングを突きつけた。


「……なんですの、これ。わたくしが、この板の中に閉じ込められていますわ!」


 画面の中では、さっきまで彼女がいた公園の光景が映し出されていた。


『……ふん、いいでしょう。許可してあげますわ。感謝しなさい』


 カイルは無表情に画面をスワイプしていく。次に映し出されたのは動画サイトにアップされた『不法占拠ジジイvs幼稚園児:砂場領土紛争』という映像だった。


「……こ、これは、お父様!? 何ですの、この情けない姿は! 平民の幼子を相手に、木の棒を振り回して……」


 画面の中では、王様ガルドスが公園の砂場で「余の聖域を荒らすな!」と叫び、園児にスコップで砂をかけられていた。


 さらに、『鉄塔に抱きつく不審者:自称筆頭魔法使いを逮捕』というニュース映像も続く。魔法使いゼノンが「この塔こそ魔力の源泉!」と叫びながら警察に連行されていく姿だ。


「姫様、わかりますか? この国では、王族も魔法使いも、ただの『消費されるコンテンツ』に過ぎない。この『スマホ』という魔道具を持った平民が何千万人といて、姫様が不用意な振る舞いをするたびに、その醜態が永遠に世界中に刻まれていく」


 ルナリアは、父王が砂場で敗北し、最強の魔術師が警察に引きずられていく映像を目の当たりにし、初めてティアラをガタガタと震わせた。


「……この『光る板』の中に、わたくしたちの不名誉が蓄積されていくというのですか。……なんて、なんて悪趣味な呪物ですの……」

「ええ、一度刻まれた悪評は、魔術でも消せません。これを我々は『デジタルタトゥー』と呼びます。姫様、これから向かう僕の家は、城とは程遠い狭苦しい箱です。ですが――」


 カイルはスマホの画面を消し、冷え切った窓の外を指差した。


「あそこ以外に、この不作法なレンズの群れから姫様の尊厳を守れる『聖域』は、この国にはどこにもありませんよ」


 カイルが重々しく告げると同時に、車は煌びやかな銀座を抜け、街灯の薄暗い神田川沿いへと向かっていった。



 カイルが借りているのは、神田川沿いの築45年、木造アパート「ひだまり荘」。

 六畳一間の狭い部屋に連れてこられたルナリアは、再び絶望した。


「……ここが、わたくしの離宮ですの? 壁に穴が開いていますわよ? あと、この『たたみ』という床、草の匂いがして落ち着きませんわ。……カイル、給仕はどうしたのです。早くわたくしのドレスの替えと、晩餐の用意をなさい」

「姫様、あいにくですが侍女もコックもここにはいません。僕の給料では、この壁の穴を塞ぐことすらままならないんです。いいですか姫様。この世界では、王族の血筋も魔法の才能も、1円の価値もありません。必要なのは『円』という名の通貨。そして、それを得るための『労働』です」

「労働……? 王族であるわたくしが、平民のように汗水たらして働くというのですか? 死んでも嫌ですわ!」


 ルナリアは憤慨し、扇子を激しく動かして夏の湿った空気を追い払った。だが、その剣幕とは裏腹に、彼女の腹の虫は先ほどから「グゥ……」と、その高貴な意志に背くような情けない音を立て続けている。


 カイルはそれを見逃さず、呆れたようにため息をつくと、リュックの中からカサカサと音を立てて「ある物」を取り出した。


「嫌なのは分かりますが、まずはその空腹をどうにかしましょう。……ほら、これを」

「……何ですの、この半透明の膜に包まれた奇妙な三角の物体は?」


 カイルは食べ損ねた自分の昼メシである「スーパーの半額シールが貼られたおにぎり」を差し出した。


「これはこの国で主食である米を使った『おにぎり』というものです」


 カイルは歴戦の戦士のような流れる手つきでおにぎりの包装を剥くと、ルナリアの前に差し出した。


「どうぞ食べてみてください」

「カトラリーが見当たりませんね」

「姫様、これは手掴みで食べるのがこの国のマナーです」

「これをわたくしに、直接手で掴んで食せと言うのですか? 宰相、貴様はわたくしを野蛮な亜人と同列に扱うつもりですの?」


 ルナリアは、カイルが差し出したおにぎりを扇子の端で突きかねないほどの嫌悪感を込めて睨みつけた。


「滅相もございません。いいですか姫様、この地で銀のスプーンなど持ち出すのは、作法を知らぬ『成金』のすること。指先で直接『漆黒の衣』を保持することこそが、古の騎士から伝わる最も高潔な振る舞いなのです」

「……なっ。直接触れることが、高潔な作法だと申すのですか?」

「ええ。真にこの地を導く者であれば、まずその地の伝統を理解する……。これこそが、王者の度量というものではありませんか?」


 ルナリアは葛藤の末、プライドを優先して大きく頷いた。


「……ふん、致し方ありませんわね。わたくしがこの地の流儀というものを、直々に体現して差し上げますわ!」


 ルナリアは毒蛇でも見るような目でそれを凝視した後、おそるおそる、指先だけでつまんで口に運んだ。

 その瞬間、彼女の脳内に衝撃が走った。


「……っ!? な、なんですの、これが文献に記されていた『コメ』なのですか?妙な弾力、いえ、少し芯のある硬い質感がありますわね。それにこの『海苔』という黒い紙、噛み切るのに少々難儀しますわ。……ですが、中にあるこの朱色の具材。刺激的な辛みの後に、濃厚な旨味が追いかけてきますわ。……これが、この地の『へいみん』の食事なのですか?」

「ええ。ですが姫様、その米の硬さは、作られてから時間が経ち、誰にも選ばれなかった『残り物』の証。いわば敗戦の味です」


 カイルは、空になった包装ビニールを丸めながら、淡々と現実を突きつけた。


「それでも、元の世界のどんな平民の食事よりは贅沢でしょう?この国は、あなたが蹂躙しようとしていたどの国よりも、豊かで、便利で、そして冷酷です。……明日、このおにぎりすら買えなくなるか、あるいはこれより上の『炊きたて』を掴み取るか。……今は、手段を選んでいられません」


 揺らめく炎も、温かみのある影もない。ただ冷たく明るいだけの、四角い天井。


「……敗戦の味、ですって?誇り高きわたくしが、誰の目にも留まらなかった端材を食していると……。おのれ、この屈辱、必ずやこの国の富を支配することで晴らして見せますわ!」


 食べ慣れぬ食事と作法のせいか、口元に米粒を一粒つけたまま、王女は王国には存在しなかった「白すぎる夜」を、傲然と見据えた。



 数刻後。


 空腹が満たされ、少しばかり気力を取り戻したルナリアに対し、カイルは静かに、しかし抗いようのない確信を持って動き出した。


「姫様、少しよろしいですか。我が主の『侵略』を成功させるための、具体的な軍略を練りました」


 カイルは仕事用のスマホを取り出し、すでに何度か目にしているはずのその冷たい画面をルナリアに突きつけた。


「……またその板ですか。それが、わたくしの覇道と何の関係があるというのです。わたくしが欲しいのは、兵と剣。このような見世物小屋の道具ではありませんわ」

「いいえ、すでに応援(援軍)の兆しは見えています。これを見てください」


 カイルは画面をスワイプし、先ほどの有明――ビッグサイトの炎天下で撮られたルナリアの姿を映し出した。そこには、熱中症でふらつきながらも「無礼者!」と傲岸不遜に言い放つ、彼女の切り抜き動画があった。


「……なんですの、この醜態は! 誰がこのようなものを許可しましたの!」

「許可など不要なのがこの国の恐ろしいところです。ですが、見てください。この映像に寄せられた、民たちの『声』を」


 カイルが画面の下に流れる無数のコメントを指し示す。


『このコスプレイヤー、性格の煮え切り方が最高にツボなんだが』

『美しすぎて怖い。でも言動がクズすぎて推せる』

『もっと罵倒してほしい』


「姫様の『性格の悪さ』と、その『圧倒的な美貌』……。この二つのギャップは、この世界の民にとって最高のエンターテインメント――つまり、娯楽なんです」


 カイルの言葉に、ルナリアは扇子を仰ぐ手をピタリと止めた。


「あなたが傲慢であればあるほど、この国の民は快感を覚え、(スパチャ)を差し出す。……皮肉なことに、あなたの欠点こそが、この世界では最強の兵器になり得るのですよ」

「……待ちなさい。今、さらりと不敬な言葉が混じりませんでしたか?」


 ルナリアは扇子をパシリと閉じ、カイルの喉元に突きつけた。


「貴様、わたくしに向かって『性格が悪い』と言いましたわね? 宰相としてではなく、一人の男として首を撥ねられたいのですか?」


 カイルは、突きつけられた扇子の先を指でそっと押し返した。その目は、かつてないほど「なりふり構わない」色を帯びていた。


「ええ、言いました。それが事実であり、僕たちが生き残るための唯一の『資産』だからです。……いいですか姫様、プライドを売れと言っているのではありません。そのプライドを、この『U-Tube』という戦場に叩きつけろと言っているんです!」


 カイルは一歩踏み込み、狭いアパートの壁に彼女を追い込むようにして、スマホの画面を突きつけた。


「先程、娯楽と言いましたね。しかし、ただの娯楽と侮らないでください。この国の民は、その『娯楽』に、自らの人生を、時間を、そして莫大な富を注ぎ込むんです。姫様のその傲慢さ、その鋭すぎる毒舌……それこそが、退屈しきったこの世界の平民どもを跪かせる最強の魔術になるんですよ!」

「……最強の、魔術……?」

「今の我々の軍資金は、今後を見据えれば極めて心もとない状態です。そこで、この板を通じてあなたの威光を全国民にバラ撒き、支持と資金を強制的に募ります」


 ルナリアは、カイルの異様な迫力に毒気を抜かれ、わずかに目を見開いた。


「……ふん。面白いことを言いますわね。わたくしの『慈悲深い叱咤』を、この地の民が金銭を払ってまで欲するというのですか。……よろしい、ならば見せてあげようではありませんか。アステリアの王女が放つ『格の違い』というものを! 貴様の言うその娯楽とやらで、この地の平民どもをことごとく平伏させて見せますわ!」


 カイルは計画が一段進んだことに大きく息を吐き、手近な段ボールをひっくり返して即席の机を作った。その上に、液晶が割れかけたスマホを「宣戦布告の書」のように丁重に置く。


「姫様、この国では武力で人を従わせることはできません。ですが、この『U-Tube』という魔法の鏡を通じて人々の心を掴めば、彼らは自ら進んで貢ぎ物を捧げ、あなたの言葉に熱狂します。フォロワー数こそが、この世界の新しい『権力』であり、領土なんです」


 ルナリアの瞳に、不敵な、そして極めて性格の悪い光が灯った。


「ではまずはその『ゆーちゅーぶ』とやらの王をここに呼びなさい。わたくしが直々に謁見を許してあげますわ」


 ルナリアは当然の権利であるかのように、狭い六畳一間の中心で命じた。カイルは眼鏡を指先で押し上げ、その「致命的な勘違い」を正すのではなく、むしろ利用するように淡々と首を振った。


「姫様、お言葉ですが『ゆーちゅーぶ』とは人物名ではなく、この地を支配する目に見えぬ広大な『仮想帝国』の名称です。そしてその王は、決して姿を現さぬ絶対的な超越者。我々のような流民が謁見を望むなど、今はまだ逆賊の振る舞いに等しいのです」

「……わたくしが、逆賊ですって?」

「ええ。ですが、この帝国には面白い法があります。民の声なき支持(アルゴリズム)を得た者には、王自らがその存在を認め、爵位(認証)と、莫大な富を分け与えるために使者を送ってくるのです。姫様の威光が認められれば、何もせずとも金貨が舞い込む……いわば不戦勝の徴税権を得るようなものです」

「ほう、不戦勝の徴税権を……このわたくしが王の配下に与するのはいささか不満ですが、今はよしとしましょう。いずれわたくしが『王』にとって代わってみせますわ」


 これ以上の説明を諦めたカイルがスマホを構えると、ルナリアは満足げに頷きながら、そのレンズを、まるで征服すべき敵国の城門であるかのように鋭く見据えた。


「姫様、ここからが重要です。この国の民は、一度『主人(推し)』と定めた対象には、我が国の高位貴族が求める以上の『純潔(じゅんけつ)』を求めます」

純血(じゅんけつ)……? わたくしの血筋が神聖にして不可侵であることは自明ではありませんか。どこぞの馬の骨と交わった不浄な血など、一滴たりとも流れておりませんわ!」


 ルナリアは心外だと言わんばかりに眉を寄せた。その言葉は、アステリアの王族として何代にもわたって守り抜いてきた誇りそのものだった。


 カイルは三秒、黙った。


 (……純血)


 眼鏡のブリッジを中指でそっと押し上げ、彼は静かに息を吐いた。


「(……まあ。『男の影がない』という意味では、まるきり間違いでもないか)……ええ、まさにその通りです。ですから、その高潔さを保たねばなりません。そして彼らは姫様を聖女のように信仰しています。無垢な聖女こそが天の助けを得るように、この地の民にとって、男に溺れた聖女など信仰の対象にはならないのです」


 カイルは淡々と、しかし釘を刺すように言葉を継いだ。


「姫様が、このカイルという男と密室で暮らしているという事実は、彼らにとって最大の『背信』になりかねません」

「……なんですって? この狭苦しい(アパート)に連れてきたのは貴様ではありませんか!」

「ええ。ですから、画面の中では私と言う存在を徹底して隠し通すのです。画面に映るあなたは、孤独で、高潔で、誰も寄せ付けない『孤高の姫君』でなければなりません」


 一通り説明を終えたカイルは動画撮影のための三脚代わりになるものを台所から持ってきた。アルミの片手鍋とカップ麺の空箱を積み上げ、ガムテープでスマホを固定した。


「な、なんですの、その貧相な祭壇は。わたくしの高貴な姿を映す聖なる鏡(スマホ)を、そのような煮炊き鍋に乗せるというのですか!?」

「贅沢を言わないでください。これが今の僕たちの全戦力です。背景に映る『僕の洗濯物』はすべて押し入れに叩き込みました。壁の穴は……いいでしょう、僕がこのシーツを裏から持って、姫様の背後に即席の白い壁(背景)を作ります」


 カイルは壁際に立ち、腕をプルプルと震わせながら真っ白なシーツを広げた。カメラの画角に、男の部屋であることを示すノイズが一切入らないよう、細心の注意を払って、わずか数十センチの「完璧な王宮」を切り取る。


「いいですか、まずは『ショート動画』です。今の愚民どもは集中力がありません。一分にも満たない短い動画の中で、彼らの脳髄に直接、姫様の言葉を叩き込むんです。……さあ、どうぞ!」


 カイルがシーツの陰から、指先だけで最新の社用スマホの録画ボタンを押す。


「……ふん。いいでしょう。跪きなさい、愚民ども! わたくしの視界に入る許可を誰が出しましたの!?」


 ゴミ溜めのような六畳一間で、背景をシーツで隠し、足元を片手鍋で支えられながら、ルナリアは王宮のバルコニーにいる時と変わらぬ傲岸不遜な笑みを浮かべた。


 わずか15秒。だがそれは、一点の曇りもない、純度100%の『傲慢お嬢様』の降臨だった。カイルは録画を止めると、即座に『有明の公園の例の動画』に関連付けて動画をアップロードした。


 こうして、神田川沿いのボロアパートから、気配を完全に消した「裏方」カイルの執念に支えられた、異世界王女のU-Tube侵略が幕を開けた。


 目指すは収益化の達成、そして――。

 スマホの画面という『窓』から日本全土を覗き込み、全土をフォロワーという名の属民に作り変えるまでの、長く、そして貧乏臭い戦いが始まったのだ。



 それから数日間。カイルは文字通り不眠不休の地獄を這いずり回った。


 昼は営業先を回り、夜は「俺の若い頃はなぁ!」とジョッキを叩く昭和気質な上司の飲み会に夜中まで付き合わされ、死んだ魚の目で愛想笑いを浮かべる。ようやく解放されて帰宅した後、泥のように眠りたい体を叩き起こし、ゴミ捨て場から拾ってきた照明スタンドを修理して、中古の配信機材をセットアップする。ルナリアの「神聖性」を守るためには、もはや自力でシーツを掲げ続けるだけでは限界だった。


 カイルは、狭い六畳一間に「即席の謁見の間(配信ブース)」を築き上げながら、ルナリアに現代のSNSにおける「作法」——すなわち、炎上を回避しつつ愚民を熱狂させるための戦術を叩き込んだ。


「いいですか姫様。ショート動画で集まったのは、あくまで好奇心という名の野次馬です。今夜の『ライブ配信』こそが、彼らを一生逃げられない『臣民(フォロワー)』に作り変えるための、本当の侵略(デビュー)なんです」

「……ふん。つまり、この『らいぶ』なる儀式で、わたくしが直接言葉を投げかけてやれば、民どもは悦んで魂を差し出すというわけですわね?」


 ルナリアは、カイルが秋葉原のジャンク屋で買い叩いてきたマイクを、まるで宝石が散りばめられた王笏(おうしゃく)であるかのように傲然と見つめた。彼女にとって、この安っぽい機材の束は、世界を奪い返すための「魔導具」に他ならなかった。


「姫様、まずは『聖女』で行きましょう。挨拶は『親愛なる皆さんに、祝福を♪』。いいですね? ショートの傲慢さは、あくまで興味を引くための『演出』だったことにするんです。本編では慈悲深さを見せて、一気に好感度を稼ぎますよ」

「嫌ですわ。なぜわたくしが、見ず知らずの平民に神の加護を分け与えねばなりませんの? 偽りの微笑みで媚びを売るなど、王族としての魂を汚すも同然ですわ」

「(……その高すぎるプライド、今夜だけは『営業用』としてしまっておけませんか)」


 カイルはルナリアから視線を逸らし、喉の奥で消え入りそうなほどの小声で毒づいた。だがルナリアの耳は自分を軽んじる言葉にだけは異様に敏感だった。


「……貴様。今、何か不敬な独り言が聞こえた気がしますけれど?」

「いえ! 姫様の気高さに、改めて感服していたところです! ……そ、それより!」


 カイルは冷や汗を拭いながら、慌てて話題を逸らした。するとルナリアは、テーブルに置かれたスマホを扇子で指し示し、機嫌を直したように鼻を鳴らした。


「ふん、まあよろしい。それより、この『ゆーいーつ』という魔術は素晴らしいですわね。王宮の給仕よりも速くディナーが届きますわ。宰相、あとで追加しておきなさい」

「それは魔法じゃなくて、配達員さんが自転車を必死に漕いで届けてくれてる努力の結晶です! 勝手に注文しないでください。僕の残高が消える!」


 有明の動画はバズったが、所詮は一過性のもの。道端で暴れる「綺麗な変質者」を遠巻きに眺めるような、無責任な野次馬がほとんどだ。


 有明の動画はバズったが、所詮は一過性のもの。道端で暴れる「綺麗な変質者」を遠巻きに眺めるような、無責任な野次馬がほとんどだ。


 だからこそ、カイルは勝負をかけた。あの喧騒の中で見せたルナリアの圧倒的な威風を、15秒のショート動画に凝縮して叩きつけたのだ。


「跪きなさい、愚民ども!」


 その短い一喝が、ネットの海で「本物の傲慢お嬢様が現れた」と急速に拡散されていく。だが、それが初配信への導線として機能するかは全くの未知数だった。所詮は15秒。飽きっぽい現代人が、わざわざ時間を割いてライブ配信を観に来てくれる保証はない。

 せいぜい数百人、運が良くて数千人……。


 だが、カイルは知らなかった。配信開始の数時間前、チャンネル登録者数1,000万人を超える超大物インフルエンサー『タカ社長』が、SNSで一つの切り抜き動画を共有していたことを。


『有明で見つけたこのお嬢様、顔面偏差値が異次元すぎてヤバいwww 扇子の使い方が完全にガチ勢だし、性格の悪さが最高すぎるw 今夜初配信らしいから、皆で凸しようぜ!#ルナリア侵略 #ガチギレお嬢様』


 このポストは瞬く間に数万件拡散され、ルナリアの「顔面国宝級の美貌」と「圧倒的な女王様オーラ」が、日本の全ネットユーザーの目に晒されていたのだ。


 そして、ついに初配信の時間がやってきた。

 チャンネル名は『ルナリア・ド・アステリアの国取り放送』。


「いいですか姫様。笑顔ですよ。笑顔で……」

 カイルが画面外でシーツを広げ、徹底的に「男の影」を消した真っ白な背景を作ると同時に、ライブ配信の『開始』ボタンを押した。


 ドォォォォォン!!!


 カイルがジャンク屋で買い叩いてきたノートPCが、聞いたこともないような断末魔のファン音を上げ始めた。

 同時視聴者数のカウンターは、更新のたびに千単位で跳ね上がり、一瞬で10,000を突破。なおも猛烈な勢いで加速を続けている。


 コメント欄はもはや文字の体をなしておらず、滝のように白く発光しながら上へと消え去っていく。肉眼で内容を拾うことなど、とうてい不可能だった。


 (な、何だこれ!? バグか!? なんでこんなに……!?)


「……何ですの、この板。わたくしを映すこの聖なる鏡(スマホ)を、この不浄な白い濁流(コメント)が勝手に通り過ぎる許可を誰が出しましたの! わたくしの御姿を穢すなど、万死に値しますわよ!」

「(……姫様、それは穢れじゃなくて民たちの言葉なんです! 文字なんです! 今は無視して台本通りに!)」


 カイルが画面外で必死に手信号を送り、消え入りそうな小声で懇願する。だが、ルナリアはカイルの手信号を一瞥(いちべつ)すると、マイクがその声を拾うことも構わずに、凛とした声で命じた。


「言葉? 塵の間違いではありませんか? 掃除をしなさい、宰相! この鏡が汚れていては、わたくしの威光が正しく伝わりませんわ!」


 ルナリアはレンズをじっと見つめ、そして、カイルが数晩かけて書き上げた「清楚系お嬢様ルート」の完璧な台本を、生放送中に鼻で笑って破り捨てた。


 カイルの目の前で、真っ白なコピー用紙がひらひらと空中に舞う。それは、彼が昭和上司の説教に耐え、眠気を覚ますために太ももをペンで突き刺しながら、一文字一文字に「生活費の安定」を祈って綴った努力の残骸だった。


「……清楚? 吐き気がしますわ。皆の者! 私の声が聞こえたら直立不動で拝聴しなさい! 今日からこの板の中はわたくしの領土。お前たちは全員、わたくしの家臣ですわ!」


 カイルは、拾ってきた照明スタンドの影で膝から崩れ落ちた。もはや、突っ張り棒で固定された背景のシーツを支える体力すら残っていない。


 (僕の……僕の、三日三晩の睡眠時間と、練りに練った好感度アップ戦略が……)


 泡を吹いて倒れそうになるカイルをよそに、画面内のコメント欄は、予想だにしない「ガチのお嬢様」の降臨に、これまでにない速度で沸き立っていった。


 (終わった。炎上して終わりだ……!)


 だが、コメント欄はかつてない熱狂に包まれる。


《破り捨てたwww》

《台本拒否きたあああ!》

《様をつけろよデコ助野郎!!》


 ルナリアはカメラのレンズを、跪いた家臣の顎を扇子でクイと持ち上げるような視線で見据え、朗々とその名を告げた。


「聞きなさい。わたくしこそはアステリア王国第一王女、ルナリア・ド・アステリア。……そして、今この瞬間をもって、貴様ら平民どもの唯一無二の主君となる者ですわ!」


 ルナリアは優雅に扇子を広げ、その、わずかに汚れと草臥(くたび)れが見え始めたレースの袖を、惜しみない気品とともに払った。


「わたくしはこの地……ええと、なんと言いましたかしら、宰相!」


 カイルはシーツの裏から絞り出した小声で「に、日本です、姫様」と答えた。


「そう、この『にっぽん』という未開の地を侵略し、わたくしの庭にするために降臨しましたの。本来なら貴様らのような下層民と口を利くことすらおぞましいのですが、慈悲深いわたくしは、この『光る板』を通じて拝謁することを許してあげますわ。……光栄に思いなさい!」


《アステリア王国www 設定凝ってるなw》

《にっぽん、未開の地扱いされてて草》

《姫様!納税スパチャさせてください!!》


「『せってい』? ……ほう、わたくしの誇り高き血統を、平民が作り上げた『おままごと』と同列に扱いますの? 貴様、わたくしの血統を疑うとは万死に値しますわ」


 相変わらず光の速さで流れるコメントの濁流。だがルナリアは、動体視力すらも王族の嗜みと言わんばかりの鋭い眼光で、自身を誹謗する不敬な文字列を瞬時に見つけ出し、扇子で鏡をピシャリと指し示した。


「……宰相! そこにある『たなか』とかいう家臣。発言が不敬ですわ。わたくしの王国なら舌を抜いて塩を塗り込むところですが、この国の法とやらに免じて――今回は特別に、一生わたくしのために納税(スパチャ)し続ける刑に処してあげますわ。死ぬまでわたくしのために働きなさい!」


《納税きたああああ!!》

《一生ついていきます女王様!!》

《たなか、お前のご褒美すぎるだろww》


 ルナリアの発言に更に盛り上がる家臣たち。コメント欄がさらに沸き立つ中、ルナリアは高速で流れる別のコメントに目をつけた。


「何ですの? 『宰相って誰だよw』、『隣に誰かいるのか?』などと不敬な言葉が並んでいますね」


 ルナリアは不快そうに目を細め、カメラ越しに数万人の視聴者をなじった。


「貴様ら、頭まで腐っていますの? わたくしのような高貴な存在が、一人でこのような雑事をこなすわけがないでしょう。わたくしの傍らで、スケジュールを管理し、献上品を整理し、わたくしの尊厳を守る盾となる男……それがアステリア王国の宰相ですわ」


《宰相www まさかの裏方までキャラ設定ガチかよ》

《お嬢様を一人で日本に放り出すわけにはいかないもんな》

《宰相さん、有能すぎだろww》


「当然ですわ。わたくしの宰相は、かつて王国の国庫を立て直し、数多の隣国を舌先三枚で跪かせた知略の化身。……今は、この国の『おふぃすわーかー』とやらを演じて、敵情視察(残業)に勤しんでおりますが。宰相! 貴様も何か言いなさい!」


 カイルはシーツを広げたまま、喉を潰したような「裏方専用の声」で、一言だけ発した。


「……姫様。あまり喋りすぎると、明日の喉の調子と、僕の『胃の調子』に響きます。それより、コメント欄の家臣たちが姫様の『侵略』に賛同しているようです。彼らの忠誠心を試すべきでは?」


《声低いwww 渋いwww》

《「胃の調子」とかリアルすぎて草》

《宰相、マジで苦労してそうだなw》


「ふん、その通りですわね。……いいですか、家臣ども! 宰相が言った通り、わたくしは寛大です。わたくしに忠誠を誓い、この国を献上する覚悟がある者から順に、わたくしの『ふぉろわー』という名の私兵に加えてあげますわ。……まずは、そこにある『ほしい物リスト』という名の軍資金調達に応じなさい!」


 カイルは震える指で、裏方用のアカウントから密林市場の「ほしい物リスト」のリンクを固定した。

 そこには、ルナリアが勝手にリストに入れた「高級ブランドの香水」「特上和牛セット」、そして「不敬な輩を洗い流すため」の「高圧洗浄機」などが並んでいた。


「さあ、献上なさい! 貴様たちの誠意、見せてもらいましょう!」


 同時視聴者数は瞬く間に3万人を突破。日本のU-Tubeライブ配信の歴史に、無名の新人がその名を刻んだ瞬間だった。


《貢がせていただきます!女王様ああああ!!》

《宰相さん、リンク固定ナイス!w 有能すぎるw》

《なぜ高圧洗浄機www 買ったわwww》


 画面の向こうで、現代日本の「家臣」たちが、次々と購入ボタンを連打していく。

 カイルは、突っ張り棒で固定されたシーツの脇に、糸が切れた人形のように座り込んだ。


 一歩間違えれば「炎上」という名の破滅。さらに、台本を破り捨てられた瞬間に「もう収益化も、まともな生活も無理だ」と、目の前が真っ暗になった。だが、画面の向こう側の熱狂は、カイルの不安を力技でねじ伏せていった。


 連日の不眠不休の準備、昭和上司との酒の付き合い、そして今の配信での極限の緊張。それらが「成功」という名の安堵感に溶け出し、重力に逆らえないほどの疲労となって襲いかかる。


 溢れ出した涙は、悲しみではなく、命を繋ぎ止めた安堵の証だった。どれほどネットを震撼させようと、手元の残高はまだ「2,134円」のままだが、少なくとも「明日、餓死する」という最悪の未来からは、首の皮一枚で繋がったのだ。


 そして彼は、このパニックの元凶である『タカ社長』のポストを、虚ろな目で配信終了後に発見し、その巨大すぎる影響力に、改めて背筋を凍らせることになる。



 配信終了後。ルナリアは満足げにソファ(という名の、三つ折りにした薄い煎餅布団)に深く腰掛けた。


「ふふふ……チョロいですわね、この地の民は。わたくしが少し言葉をかけてやっただけで、あの『いた』の中に見たこともない速度で、色とりどりの紋章が溢れ返りましたわ。宰相、これでわたくしは、この国の富をすべて掌握したも同然ですわ!」


 画面の中では、彼女の暴言に狂喜乱舞した視聴者たちが、色鮮やかな絵文字や「お布施させろ!」「貢ぎたい!」といった熱狂的なコメントを、滝のような速さで流し続けていた。その極彩色の光景を、ルナリアは民からの献上品が積み上がっていく様だと勘違いし、天下を取ったような笑みを浮かべる。


 だが、カイルは熱を帯びたスマホの画面をルナリアに向け、冷酷な現実を突きつけた。そこには、無情なU-Tubeの「収益化ステータス」が表示されている。


「……姫様。残念なお知らせですが、あの画面を流れていたのはただの『文字』です。一円の価値もありません」

「……なんですって? 貴様、わたくしの家臣たちが捧げたあの色とりどりの供物を、どこへ隠したのです! 宰相による横領は万死に値しますわよ!」

「横領する金すら一円も入ってきてないんです! この『U-Tube』という名の神は、厳しい試練を乗り越えて審査を通らない限り、貢ぎ物(現金)を受け取ることすら許してくれない。今の僕たちは、ただの『タダ働き』です!」

「……タダ、働き……? わたくしの高貴な言葉を、無償で、あの愚民どもに浴びせてやったというのですか!?」


 屈辱に震えるルナリアを前に、カイルは深いため息をつき、最後の一撃となる電卓の数字を突きつけた。


「さらに、姫様が先日『喉が渇いた』と仰って勝手に注文された、あのヴィンテージワインとディナーのフルコース……。あれ、僕のカードから今日、きっちり10万円引き落とされました。おかげで僕の残金は、現在2,134円です」

「……ニ、ニセンエン? それで、いくつ国が買えますの?」

「国どころか、次の給料日まであと一週間。二人で割ったら、一日の予算は一人150円……。先日、姫様が『不味くはないけれど、華がありませんわね』と仰った、あのスーパーの『半額シールのついたおにぎり』すら、定価じゃ買えない金額ですよ。これからは、さらにその下の『自炊』という名の泥沼の戦いが始まります」

「……あのおにぎりすら、満足に得られぬと? 宰相、貴様はわたくしを餓死させるつもりですか!」

「させません! ですから、このタカ社長が火をつけた暴走状態を、死ぬ気でコントロールして、収益化までこぎつけるしかないんです!」


 カイルが震える手で差し出した画面には、U-Tubeチャンネル登録者1,000万人を誇る現代の怪物、『タカ社長』のポストが映し出されていた。


『有明で見かけたお嬢様、U-Tubeやってるじゃん。ガチギレっぷりが最高。俺が全部買い占めてやりたいけど、まだ収益化してないのかよ。誰かこのチャンネル登録してやれ。俺も拡散しとく。#ルナリア侵略』


 その瞬間、スマホの通知音が、まるで戦場を告げる法螺貝のように鳴り響いた。登録者数を示す数字が、見たこともない速度で、収益化の条件を強引に突き破っていく。


「……姫様。この『タカ社長』という男の拡散により、収益化の試練は一瞬でクリアされました。……ですが、僕の計算は完全に狂いましたよ」


 カイルはこめかみを指で押さえ、絶望に顔を歪めた。


「本来なら数ヶ月かけて、世間にバレないよう慎重に『キャラ設定』として浸透させるはずだった。なのに、この男が火をつけたせいで、姫様の存在は一晩で国家レベルの関心事になってしまった。……明日には、このボロアパートの前に野次馬や週刊誌が押し寄せ、僕の会社にまで話が回るかもしれません。文字通りの『身バレ』……社会的な死ですよ」


 カイルは頭を抱え、絶望に声を震わせた。だが、当のルナリアは不思議そうに小首を傾げるだけだった。


「……何が不満なのです、宰相。わたくしの存在が国中に知れ渡ったのでしょう? 王たるもの、民にその威光を知らしめるのは当然のこと。むしろ、今までこの薄汚い箱の中に隠していたことこそが無礼というものですわ」

「そうじゃないんです! こっちの世界には『副業禁止』とか『プライバシー』とか、王族の威光よりも恐ろしいルールがあるんです! バレたら僕はクビ、二人で路頭に迷うことになるんですよ!」

「ふん、その時はわたくしがこの国を統治して、貴様を筆頭公爵にでもしてやりますわ。……それより宰相、先ほどからうるさいですわよ。民が捧げたあの『いわい』の品々はどこですの?」


 ルナリアは身バレのリスクなど塵ほども気にせず、優雅に扇子を動かした。彼女にとって、世界に名が轟くのは「恐怖」ではなく「当然の帰結」でしかないのだ。


「……話が通じない。……いいですか姫様、収益が実際に振り込まれるのは一ヶ月も先なんです! 今の僕たちは『国中に顔が知られた有名人』でありながら、財布の中身は一人一日150円。……明日、リスナーから届く『特上和牛』は、今の僕たちが手にできる唯一の希望です。ですが……」


 カイルは、震える手で『スーパーの特売チラシ』を王女の前に広げた。


「その肉を、この国で最も贅沢に味わうための『生卵』を買う現金すら、今の僕たちには惜しいんです!」

「……なま、たまご? 宰相、貴様はわたくしに、火も通さぬドロドロの滋養物を啜れと言うのですか? 腹を壊して死ねと?」


 ルナリアが顔を引きつらせるのも無理はなかった。彼女の世界において、卵は焼くか煮るかするものであり、生食など正気の沙汰ではない。


「いいですか、この国の卵は魔法のように清浄なんです。焼いた肉を、溶いた生卵に潜らせて食べる……これこそが、この国の王侯貴族に許された至高の悦楽。……それとも姫様、黄金の衣を纏わせぬまま、裸の肉を寂しく噛み締めますか?」

「……至高の、悦楽……。そこまで言うのであれば、わたくしへの忠誠心に免じて、その異郷の作法、試してやらぬこともありませんわ」


 ルナリアは未知の食文化への恐怖を、持ち前のプライドで「挑戦」へとすり替えた。だが、彼女は気づいていない。プレゼンをするカイルの眼鏡の奥で、どす黒い欲望が光っていることに。


 (……よし、乗った。これで明日は、タダで手に入れた和牛で最高級の『すき焼き』にありつける。僕だって、連日の徹夜続きで肉に飢えてるんだ。卵さえ手に入れば、僕の胃袋も救われる……!)


 カイルは心の内で、一人の独身男性としての卑近な勝利宣言を上げた。だが、彼の腹黒さはそれだけに留まらない。


 (加えて、あの誇り高い王女が未知の『生食』に怯えながら、初めての味に悶絶する姿を動画に収めて『【検証】異世界の王女に生卵を捧げてみた』として投稿すれば、再生数はさらに跳ね上がる。タカ社長の波を逃さず、一気に登録者をさらに伸ばしてやる……!)


「ですが、そのためには重要資源である『たまご』を安く手に入れる必要がある。今の僕たちには、生き残るための、そして『王族の食卓』を守るための戦いがあるんです」


 カイルは静かに、頭の中の「作戦書」を書き直した。


 長期目標は変わらない——日本全土の経済的侵略。

 現代の貨幣システムを掌握し、王国を超える富を築くこと。


 だが今夜の最優先事項は、もっと切実だった。

 明朝9時。近所のスーパーの特売セールで、98円の卵を二点確保すること。

 身バレ防止のため、姫様には変装をしていただきます。


「わたくしが……その、未知の儀式ひとつのために、平民と泥臭く競り合うのですか……? しかも、姿を隠して?」

「それが嫌なら、至高の悦楽は諦めてください」


 ルナリアは、スマホの中で爆発的に増え続ける家臣(登録者)の数と、カイルが握りしめる「98円の特売チラシ」を交互に見つめ、一人震えた。


 異世界を侵略しようとした美しき王女。

 彼女の現代日本での「統治」は、数百万の民を熱狂させる配信戦略と、近所の主婦たちと競り合う「卵の争奪戦」という名の死闘から幕を開けることになったのである。


「……おのれ、たまご。わたくしのプライドをここまで試すとは……」


 空腹で鳴る腹の音を優雅な扇子の音でかき消しながら、彼女はどこまでも高く、誇り高い視線でアパートの天井を見つめていた。



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