第4話
乃亜は、足を止めた。
「……どうして、私がお金欲しがってるって思うんです?」
「結構前から見てたから。自動販売機の釣り銭を漁ってるところとか。あと、やたら真剣にバイトの広告見てたじゃん?」
乃亜は顔が赤くなるのを感じた。無意識にやっていたが、見られていたのか。
「良いバイトがあるんだけど、もう少し聞いてかない? 君ならきっと稼げると思うよ」
男は、ポケットから名刺を取り出し、二本の指で挟んで差し出した。柊木怜司、と名前が書いてある。名前の上に書いてある、ルミナスレジデンスというのは店の名前だろうか。
「キャバクラ……ですか?」
この際、稼げるというのなら話だけでも聞いてみようか。そんなに向いていると言われたら、変な話だが悪い気がしない。
「え? 違う違う! 君にキャバ嬢は似合わないよ」
男は声を出して笑った。乃亜は、恥ずかしさと怒りが込み上げてくる。
「じゃあ、話は終わりですね! それじゃ、私帰ります!」
乃亜は名刺を投げ捨てて走り出した。
「待て! そっちには……」
乃亜は来た道を引き返して行くと、通りの先にさっき見た、太った中年女性の姿が見えた。その女は下を向いて、髪の毛で表情は見えない。
しかし、乃亜が戻って来たことに気付いたように顔を上げた。
女の両目は無かった。目があるべき場所には暗い空洞が空いており、その中を小さな虫が這い回っていた。顎が伸びて開きっぱなしになった口からは、得体の知れない暗緑色の液体が糸を引いてこぼれ落ちていた。何か言おうとするように、口をもごもごと動かしている。こいつは……思ったよりヤバい奴かもしれない。乃亜は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「やっぱり、アレが見えるんだね?」
突然、乃亜の耳元で男は囁いた。
「な、何のことです? あそこにいるハトを見てただけですけど」
乃亜はなるべく平静を装って言った。
「とぼけても駄目だよ。見えてるんだろ? あの腐った女が。……どう見てもとっくに死んでいる」
乃亜は何も答えなかった。
「あれ、とぼけちゃうの? さっきも見たよ。君が話しかけた、掲示板の側で遊んでいた女の子。……顔の半分が潰れて、服が流れた血で真っ赤に染まっていた。あの子、生きてる時に近くで母親が電話に夢中になってて、たまたま道路の反対に友達を見つけたから、一人で渡ろうとしたんだって。そこを大型トラックに撥ねられて死んじゃったらしいよ。女の子は、自分が死んだ事にも気付かずに、今もお母さんを探してる。可哀想だねぇ」
男は、そう言いながら冷たく笑った。乃亜は男の顔を睨む。
「何で声掛けたの?」
「……可哀想だからですよ!」
乃亜は声を荒げた。
「ふうん? 可哀想だからって声かける意味がわからないな。それから、空地にいたお爺ちゃんも見えてたよね?」
「それが何か?」
「あの人、2メートルぐらい首が伸びてたじゃない? 普通の人なら、あんなに首引っ張られたら死んじゃうよね」
男はそう言うと楽しそうに笑った。
「……あなたも見えるんですか?」
乃亜は、警戒しながら問い掛けた。
「まぁね、職業柄、見えなきゃ困る。とは言っても、君の方がはっきり見えていると思うけどね。『見る』のはあまり得意じゃないんだ」
乃亜は、驚いたことをなるべく気取られないように口を結んだ。自分以外で幽霊が見える人なんて初めてだ。乃亜にとっては、幽霊に出くわすよりよほど珍しい。
「だけどさ、何であんなおっかないのに絡んだ? あの爺さん、更地になる前の時計屋の店主だよ。詐欺紛いの投資話に騙されて、店も差し押さえられて2階の階段から首吊った」
男は、乃亜の反応を見るように一呼吸ついた。
「いわゆる地縛霊だ。それもかなり恨みが強い。下手すりゃキミが殺されてたよ?」
「……あのお爺さんは、何も関係ない人に取り憑いて、酷い事をしようとしてた。恨みがある人にならともかく、そんなのは正しい事じゃないと思ったからです」
「へえ、意外と正義感が強いんだね、カッコイイ! ますますキミに興味が湧いてきたよ」
男は茶化すように言った。乃亜は苛々してきた。この男は目が笑っていない。
「でもね」
急に男は真顔になって、乃亜に顔を近づけた。
「あの時はたまたま見逃してくれたけど、あの幽霊がキミを襲ってきたらどうするつもりだった?」
「逃げるつもりでしたよ……全力で。私、走るの得意なんです」
乃亜は後ろに下がり、男から距離を取った。
「ふーん、やっぱりそっちは出来ないのか……」
男はあごに手を当てて空を見上げた。
「でもね、それは今までキミの運が良かっただけだ。逃がしてくれない奴もいるよ。ほら、あいつはキミに付いてきちゃってる」
男は、中年女性を指差した。身体がぐずぐずに腐敗し、はち切れそうに膨らんでいる。あの体形なら歩くのも大変だろうに、滑るように近づいてきた。
「に、逃げましょう!」
乃亜が後ろを振り返り、逃げようとすると、いつの間に回り込んだのか目の前には腐った女の顔があった。ゲラゲラと笑うと歯がほとんど抜け落ちた口から大量に蛆虫がこぼれ落ちた。
乃亜が言葉にならない悲鳴をあげる。
「キミ、自分の身も守れないのに、他人を助けようなんて、一体どう言うつもり?」
男が乃亜を突き飛ばすように、女の前に割り込んだ。
女は男に向かって両手を突き出し、首を絞めるように。迫った。男は動じずに、何か呟いている。目を大きく開くと、右手の人差し指と中指を振り上げ、気合を入れて薙ぎ払う。
男の指先が光の弧を描き、女の両腕を切り落とした。げぇ、と声を上げると、女は掻き消えるように姿を消した。
「すごい……」
乃亜は呆然と男を見た。霊に直接攻撃できる人間を見るのは初めてだった。
「ねぇ、そんなの何のメリットも無いでしょ?」
男は冷たい目で言った。




