第29話
「えっと、すみません。ちょっと記憶があやふやになってて。そうそう、誰もいないと思ったんですけど、風の音みたいなのがずっと聞こえてて、人の声が混じってるのに気付いたんです。うわ、怖いな、と思ったら、急にカメラが真っ暗になって。嫌だな、故障したのかな?って画面を叩いたり擦ったりしたけど直らなくて。で、暗い影は少しずつ小さくなっていったんですけど、どうなったと思います? ……それ、実は誰かがカメラに密着していたんですよ! 口の中なんて虫だらけで、変な糸引いてるし、これはもっとカメラを引いて目が映ったりしたら……きゃああああ! って感じです」
「何で急に怪談風に言ってんだよ」
怜司はスマホで話を録音し、メモを取りながら聞いている。
「そんなつもりはないですけど。本当に怖かったんですってば」
「一応確認だけど、生きた人間じゃ無いんだよな?」
「だと思います。カメラ越しでしたけど。それに、生きた人間は口の中に虫は湧きませんよ」
「そりゃそうか。見間違いって可能性は無さそうだな。それと、チャイムを鳴らされたのは昨日が初めてなのか?」
「いえ。何回か鳴りましたけど……インターホンに出ても誰もいませんでしたね」
「ふーん。で、さっきの話だけど。お前、玄関開けて無いよな?」
「開けるわけないじゃないですか! ……でも、そういえば」
乃亜は首を傾げた。
「なぜか開けたい、と言う気持ちになりました」
「……何で開けなかったんだ?」
「いやいや、絶対に開けちゃダメなやつですよね!?」
「そうじゃなくてよ。化物の中には催眠術というか、人間の心を操ろうとする奴も居る」
「なるほど……。でも、まわりくどいですね。そんな事が出来るなら、ドアを開けて入って来られそうなものなのに」
「奴らなりのルールがあるんだよ。おそらく人間に招かれない限り、自分からは入って来られないタイプだな」
怜司はメモに書き込んだ。
「……せっかくだから、少しぐらい入れてみたら良かったのにな」
怜司は残念そうに言った。
「絶対入れませんよ!」
「お前がそう思っていても、何かの拍子に抗いきれなくなる可能性がある。それに、今日が初めてじゃないかもしれない」
「あんなの、一度見たら忘れませんよ! 見たのは今日が初めてです」
怜司は大きくため息をついた。
「お前、短絡的すぎ。……いや、そうであって欲しいという願望かな。お前がいない時に来てた可能性もあるだろ? 何度かチャイムが鳴ったって言ってたじゃん」
「だから、その時は見えなかったんですって!」
馬鹿にされているような気がして、声を荒げた。
「その時は、な。それから徐々にお前に近づいているのかもしれん」
「え? 少しずつ霊が近づいてるんですか? それなら私に見えるはずじゃないですか!」
「物理的な距離じゃねーよ。因縁、と言った方がいいかな? お前が、604号室の怪異と因縁を持ち過ぎたってことだ」
インネン? 昔のヤクザ映画で聞いたような気がするが。
「あの、言ってる意味がわからないのですが……」
怜司は疲れた表情を見せた。
「お前、呪われたんじゃね? あの部屋に長くいたから」
「は?」
乃亜はきょとんとした。
「はああ!? 何でですか! 呪われてるのはあのマンションでしょう!?」
「住人が全員死んでるし、マンションの外で死んだ奴もいるから、つまりそういう事じゃねーの? さっきお前も言ってたろ? 外で霊に絡まれたっていうのも、多分呪いの影響だぜ?」
乃亜は腕を組んだ。言われてみると、異常な数の霊を見ているし、神社の鳥居で弾かれたのもそのせいなのかもしれない。このままだと、もしかして……死ぬ?
「イヤー!!! 嫌です、絶対!」
乃亜は頭を抱えて絶叫した。店員が迷惑そうにこっちを見る。
「何とかしてください! 責任取ってくださいよ、もう!」
座った怜司の胸ぐらを引っ張った。
「そうだ! もうマンションに近づかなければ大丈夫なんじゃ……」
「そうとも限らないぜ? マンションから離れた池袋あたりでも見たんだろ? もう手遅れかもしれん」
怜司は他人事の様に言う。
「どうして! そんな薄情な事、言えるんですか!」
乃亜は怜司を大きく揺さぶった。遠くで初老の男女が、2人を見てヒソヒソ話していた。どうせ、ろくでもない勘違いをされているのだろうが、乃亜は気にしている余裕は無かった。
「ゲホッ! じゃあ、ここで辞めるか? バイト代は出ないけど」
「辞めませんってば! 明日まで何としても頑張って、バイト代を貰ってから辞めます!」
「……そうこなくっちゃな。目ェバキバキだぞ、お前」
怜司は呑気に笑った。
「しかし、その……来訪者とでも呼ぼうか」
「急にお客様っぽくなりましたね」
「うるせ、何でも良いんだよ。そいつ、何処から来るんだろうな?」
マンションに……来る? 乃亜は、急にこのマンションで見た夢を思い出した。
「あの……森、かもしれません」
「森? ……何で唐突に?」
「私、このマンションに来てから悪夢ばかり見るんですよ。毎日覚えてるわけじゃ有りませんし、まあ冷静に考えると、夢なんてだいたい悪夢みたいなものですけど」
「余計な事は良いから。その、森に関する夢のことだけ話せ」
「えーと、クローゼットで首を吊った霊を見た時、夢を見たって言いましたよね? その人、最初は森の中を歩いてたんですけど、マンションにやって来て、寝室であの人を……。それから、別の日の夢の中で、女の人が森の中で死んで、やっぱりあのマンションに来て。細かいところは覚えてないんですけど、あの森は同じ場所だったかも……」
「何処だ? 知っている場所か?」
「いえ、全然見たこともないところです。本当にある場所かどうかもわかりません」
「頼りにならねーな。しかし、来訪者は1人じゃないのか……? うーん」
怜司は顎をさすりながら考え込んだ。
「まあいい。夢の話は根拠が薄いから、あくまで可能性の一つだな」
「結構リアルな夢だったんですけど……」
「夢だから胡散臭いって言ってるんの。今度来たらドアを開けて聞いてみろよ、『あなたのお家はどこですか』って」
「嫌に決まってるじゃないですか!」




