第20話
最寄り駅に着くと、平日ほどではないが改札から出てくる大勢の人とすれ違った。
ふと背後から視線を感じて振り返る。すると、視界の端に金髪の女が見えた。
今日は金髪の女に縁があるようだ。そういえばこっちの駅に来る途中でも見かけたような気がする。
目の前を学生の集団が通り過ぎると、金髪の姿も見えなくなった。
金髪なんて珍しくないし、偶然だろう。今日会った女が、乃亜の自宅近くまで来ているとは思えない。乃亜はホームへの階段を登ると、ちょうど滑り込んできた電車に飛び乗った。
だが、電車の中でも再び金髪の女を見かけた。正確に言うと、はっきり見たわけでは無いのだが、何気なく窓の外や、人が乗り降りしているドアを見ていると、視界の端に金髪が見えるのだ。
そちらに顔を向けると、途端に消えてしまう。しかし、視線を向けないでいると、その影は少しずつ乃亜の方へ近付いてくる。一度は、スマホを見ているとすぐ左隣に金色の髪がなびくのが見えた。慌てて振り向くとそんな人間はいない。
気味が悪いな、とは思ったが、あの女……斉藤美香という名前だったか……に跡を付けられる理由は無い。怜司をストーキングするなら、まだわからなくはないが。
いや、そもそもあの女かどうかもわからない。変な霊に目をつけられてしまったのかもしれない。
電車を乗り継いでも、新宿駅に着いても相変わらず金髪の姿は付いてきていた。
気にするのはよそう、と乃亜は自分に言い聞かせた。今は、そんなあやふやなものを気にしている場合ではない。心配事は他にいくらでもあるのだ。
そう思いながら歩いていたものの、マンションへ向かう道の向こう側から金髪の女が歩いてきた時は、流石に驚いた。
狭い路地を曲がり、いつもと違う道へ進む。薄闇の中、顔ははっきり見えなかったが、昼間に会った女と同じ雰囲気を感じた。不思議なことに、何度も見ているはずだがその表情が見えない。
何度も道を迂回すると、人通りの少ない道に出た。
オフィス街が近いせいで、会社が休みの土曜日は人が少ないのだろう。……そう思っていたが、道を進むにつれて乃亜は違和感を覚えた。
この辺りは近所を探索した時に一度は通った筈だが、人がこれ程少ないのはあり得ない。見上げた電灯には霞がかかり、一定の間隔で並んだ電灯の滲んだ明かりが、道なりに連なっている。道の先には信号機が見えるが、交差点までの距離が遠く感じた。左手には、オフィスビルと道路を隔てる様に生垣が続いている。
違和感は、どうやら気のせいでは無さそうだ。歩いても歩いても、前方の信号機に近づく様子が無い。コンクリートで固められた暗い道路を、1人で歩いている。車も走っていない。違う世界に迷い込んだような不安に襲われる。
その時、背後から靴音が聞こえて来た。ヒールの、コツコツした音が、こちらに近づいてくる。
振り返ると、20mほど後ろに金髪の女が立っていた。乃亜は身構える。女は俯いており、街灯も暗く、顔が見えない。乃亜が目を離せずにいると、女はゆっくりと顔を上げた。
女には、顔が無かった。赤褐色の、つるりとして凹凸のない、ボーリングの球のようなものが、街灯を反射して鈍く光っていた。
一瞬、ヘルメットを被っているのかと思ったが、良く見ると顎の辺りに小さな唇が付いている。それは何かを呟くように、小刻みに動いていた。
手の爪が異常に長く、鋭く伸びていた。地面に届きそうな程に長く、鋭い。
女は、口角を上げると乃亜に向かって走り出した。
「ちょっ……冗談でしょ!?」
乃亜は全力で走った。次の信号を曲がれば、大通りに出るはずだ。
しかし、走っても走っても、信号は一向に近づいてこない。ベルトコンベアーを逆向きに走っているような気がしてくる。
乃亜は、息を切らしながら振り返ると、怪物はほぼ同じ距離を保ちながら追いかけてきていた。乃亜の方が少し早いが、気付くと息が上がって来ている。
一方で、この怪物は疲労を感じている様子はない。いずれ、乃亜が走れなくなったら追いつかれ、その長い爪で切り裂かれて……。
乃亜は、想像して身震いした。しかし、立ち止まっている場合では無い。乃亜は、大きく息を吐きながら走り続けた。それでも、前方に見える緑色の信号は、一向に近付いて来なかった。
『行くな、愚か者!』
頭の中に、何者かの声が響いた。
「え……でも? ていうか、誰!?」
様々な疑問が浮かんだが、何かがおかしいと乃亜は気付いた。
もう5分程は走っているのに、あの信号は緑色から一度も赤に変わっていない。あの信号まで辿り着けば逃げられると思っていたが……もしかして、罠? だとしたら、自分は光に誘われて危険な場所に飛び込む虫のようではないか。
「そういうことか!」
乃亜は立ち止まると、道の脇の生垣を覗き込む。遠くに人が歩いているのが見えた。
比較的、隙間が空いているところを見つけると、乃亜は頭から飛び込んだ。背負っているリュックに枝が引っかかり、なかなか通り抜けられない。リュックを置いて行こうとも考えたが、その余裕も無かった。痛みを我慢して、枝を強引に広げると、漸く体が前に進んだ。
もうちょっとで、通り抜けられそうだ。
しかし、上半身が反対側に抜けたところで、足首に熱い感触を感じた。
「痛っ!」
驚いて足を出鱈目に蹴ると何か硬いものに当たった。その瞬間、足を引いて生垣を転げ出た。脛から足首にかけて血が流れていた。
生垣を抜けると、巨大なオフィスビルの中庭だった。真ん中には噴水があり、平日はレストランのテラスになっているであろう金属製のテーブルと椅子が並んでいた。
中庭のはるか先には、人が歩いている姿が見える。乃亜は、そちらに向かって走った。足が痛むが、止まるわけには行かない。
テーブルを避けて噴水の先まで行くと、正面側の建物に突き当たる。建物の裏手から、細い通路を抜けると正面に抜けられそうだ。振り返ると、遠くに怪物の姿が見えた。なんとか逃げられる!
ドン! 突然横から衝撃を受け、乃亜は地面を転がった。
「いった……今度は何なのよ!?」
衝撃を受けた方を振り返ると、脂ぎった顔の中年男が厭らしい笑みを浮かべていた。
「ようやく会えたね。駅から追いかけてたのに、急にいなくなっちゃうんだもの。いっぱい探したよお」
男はナメクジのような舌で唇を舐めた。
「だ……誰?」
乃亜は呼吸を整えながら言う。
「憶えてないなんて、酷いなあ。昨日も、ファミレスで会ったじゃない。背中合わせでね。その後追いかけたんだけど、逃げられちゃった」
乃亜は、昨日の夜に追いかけてきた男がいたのを思い出した。昨日は遠目でしか見えなかったが、あの不審者と同一人物だ。
太った体型に合わない、小さなTシャツを着ている。下腹部が外にはみ出していた。
「ちなみに君がトイレに行ってた時、残ってたコーヒー飲んじゃったよ」
「キモっ……!」
乃亜は立ち上がり、後ろに下がった。




