07好機は一息のうちに
俺と賢者ジルドの試合は、
明日の正午、街の広場で行われることになった。
ギルドを出る頃には、すでにざわつきが広がっていたが――
その日の夜には、噂は完全に別物へと進化していた。
『Sランク冒険者同士が、花嫁を争って決闘するらしいぞ!』
……誰だ、そんな脚色したのは。
街中の酒場、店先、井戸端、果ては子どもまでが大騒ぎで、
どうやら俺は”花嫁候補を奪われた男”扱いになっているらしい。
(帰りたい……もう森に帰りたい……)
そんな混沌の中、アヤメがしずしずと俺の前に立った。
「申し訳ございません。出過ぎた真似をしてしまいました」
完全に冷静になったアヤメは、深く頭を下げる。
さっきとは別人のように礼儀正しい。いつものアヤメだ。
「ま、まあ、決まってしまったものは仕方がない」
俺はSランク冒険者らしく、堂々と返した……つもりだった。
だが内心は冷や汗だ。
(困った……困ったぞ……
俺の実力はせいぜいCランク。
Sランク相手に勝てるわけが――)
その不安を断ち切るように、アヤメがふと顔を上げた。
「言い訳がましく、恐縮でございますが……」
切り出す声は慎重だったが、瞳には確信の光があった。
「ジルド様は、Sランクになられたばかりで、
少々、自信過剰になっておられるように感じました。
ここは今一度、先輩であるアレクス様が、
お灸を据えて差し上げるのがよろしいのでは、と感じた次第です」
その瞬間、胸の奥がビリッとした。
(慢心……
そういえば俺にも、同じ時期があった)
Sランクに初めて昇格したときのあの浮かれた感じ。
どんな敵でも倒せる気がして、油断して……
あの判断ミスで、リオを追放する引き金になった。
あの頃の俺は間違いなく、ジルドと同じだった。
刹那、脳内でひらめきの光が一気に走る。
勝てない勝負を勝ち筋に変える、唯一の作戦。
「アヤメ、オルフェナ。お願いがあるのだが……」
俺は二人に顔を寄せ、声を潜めた。
☆ ☆ ☆
翌日の正午。
広場には、特設の仕合会場が設えられていた。
そこかしこから歓声が上がり、まるで祭りのような熱気が立ちこめている。
観客席の周囲には、透明な防御結界。
私の魔法の余波や、アレクス殿の木刀の飛散が、
ギャラリーに届かぬよう施されたものだ。
今日のルールは単純―― 一撃先取。
先に相手の急所に触れた者が勝者となる。
私は、今から戦士アレクス殿と試合をする。
あの――キュートなレンジャーの娘をかけて。
(アヤメ殿……)
彼女は、バルナやスズナとは違うタイプの魅力を持っている。
彼女たちには申し訳ないが、どうしても私のそばに置きたい。
いや、置かねばならない。
正面には、木刀を構えたアレクス殿。
(……さて。どう戦われるのか)
彼の背後を、ふと見る。
オルフェナ殿とアヤメ殿が、心配げに見守っている。
アヤメ殿は今日も愛らしい。
しかし……なんだあれは?
古くさいマントを羽織っている?
なぜわざわざそんなものを?
思考が迷路に迷い込む。
そんなとき――
「それでは、仕合――始めぇ!」
高らかな声と共に、試合開始の合図が響いた。
私は即座に構える。
(アレクス殿の戦い方など分かりきっている。
きっと、何も考えず正面から突っ込んでくるだろう)
そうなれば簡単だ。
詠唱開始――火球魔法で迎撃。
彼が近づく前に勝負は決まる。
(私の詠唱は早いですよ!)
そう、詠唱を始めた――まさにその刹那だった。
ヒュンッ!
視界の左から木刀が飛んできた。
(なっ!?)
アレクス殿が、開始と同時に“木刀を投げた”のだ。
(奇策……か。苦し紛れですね。しかし、その後どうなさる?
丸腰で私に勝てると――)
私は軽く身体をひねり、木刀を避ける。
同時に正面を見直した。
視界の端で、アレクス殿が大きく横へ跳んでいるのが見えた。
「逃がすか!」
魔力を腕に集め、追撃しようとしたその瞬間――
ふと、正面に違和感。
アヤメ殿だ。
(……ん?)
先ほどまで羽織っていたはずの古びたマントがなく、
彼女はそこに――
純白のドレスに身を包んで立っていた。
昨日は後ろで束ねていた髪を今日は肩まで下ろし、
そよ風でふわりと揺れている。
そして、こちらへ微笑み、小さく手を振った。
「…………美しい」
息が止まった。
世界が音を失い、視界の中心がアヤメ殿だけになる。
――気づけば。
アレクス殿の姿が消えている。
「しまっ……後ろか!」
その瞬間。
ぴたり。
私の首筋に、しゅとう(手刀)が軽く触れる感触。
「勝負あり! 勝者、アレクス!」
審判の声が響き、
広場は爆発したような歓声に包まれた。
私は、負けた。




