06因果は巡る
グレイムの街が見え始めたとき、俺たちは思わず歩を早めていた。
この街には大きな冒険者ギルドがあるらしい。
エリオットの行方を追うなら、まず情報が集まる場所へ
――それが最も合理的だ。
大イノシシを売ったあと、俺たちはギルドへと急いだ。
重厚な扉を押し開けてギルドに入った瞬間、空気が変わった。
視線。
視線。
視線。
まるで、ギルド全体が一斉にこちらへ顔を向けたかのようだった。
知らない顔だからだろう。だが、それだけではない。
胸元で揺れるSランクのプレートに気づいた冒険者たちが、
一斉にざわめき始めたのだ。
「おい……Sランクだぞ」
「二人もいるのか……?」
「すごい。かっこいい。」
低い囁き声がギルド内を駆け抜ける。
居心地が悪かった。
そう思って隣を見ると、オルフェナが泣きそうな顔をしていた。
俺も同じだ。胸の奥がざわつき、手のひらが汗ばむ。
(こんな視線……久しぶりだな。いや、できれば一生浴びたくなかった)
受付に進むと、受付嬢は驚きで固まり、次の瞬間、
花が咲いたような笑顔になった。
「Sランク冒険者の方々……! ようこそグレイムへ!
えっと、えっと、本日はいかがなさいま――」
「僧侶のエリオットという男を探している。最近ここを訪れたはずだ」
受付嬢は「もちろん確認します!」と言いながらも、
興奮を隠しきれていなかった。
「このギルドにSランク冒険者が来るのは本当に珍しいんです!
まして、あなたがたを含めて今日は三人も!」
「……三人?」
「もう一人、Sランクがいるということか?」
「まさか、エリオット?」
俺とオルフェナが顔を見合わせた、そのとき――
重い足音が、ギルドの階段からゆっくりと降りてくる。
「おや……あなたは、アレクス殿ではありませんか。オルフィナ殿も。」
その声を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
階段を下りてきたのは――
賢者ジルド。
(……最悪だ)
俺が、リオを追放する決断を下した“元凶”。
その張本人が、まっすぐこちらを見て微笑んでいた。
◇ ◇ ◇
脳裏に、嫌でも過去がよみがえる。
当時Aランクだったジルドは、俺たちのパーティに加入したいと願い出た。
「あと一歩でSランクになれます。どうか力を貸してください」
そう頭を下げる彼の姿に、俺は満足感すら覚えていた。
“俺たちSランクが、賢者を導いてやる”――そんな傲慢な幻想を抱いていた。
賢者ジルド。
魔法使いと僧侶の両方の能力を兼ね備えた上位職。
レンジャーのリオを外し、賢者ジルドを入れる。
そうすれば戦力が跳ね上がると、本気で思っていたのだ。
だが現実は――
リオが抜けた途端、俺たちの綻びは一気に露呈した。
ジルドは最初こそ「勉強させていただきます」と頭を下げていた。
だが次第に違和感を覚えたのだろう。
「……このパーティ、おかしいぞ?」
「Sランク……本当に?」
そしてとうとう、真実に辿りついた。
――俺たちの力は“見かけ倒し”にすぎないと。
その後、ジルドは静かにパーティを去った。
何も責めず、ただ静かに背を向けて。
だからこそ。
だからこそ――今ここで再会するのは、胸が抉られるほどつらい。
(会いたくなかった……この男にだけは)
ジルドは両脇に新しい仲間――
女戦士と、女レンジャーを連れていた。
「アレクス殿。
こんなところでお会いするとは、奇遇ですね。懐かしいです。
オルフィナ殿、相変わらず、お美しい。」
ジルドは柔らかく笑う。
「どうです、アレクス殿。
少し……お話でも、しませんか?」
その笑顔は、善意でも悪意でもなかった。
ただ、過去の全てを突きつける“静かな微笑”。
俺は、喉が鳴るほどに緊張しながら――
かすかに息を吸った。
(逃げるわけには、いかないのか……)
喉を鳴らしながら、俺はゆっくりと息を吸い込んだ。
ギルド中央のテーブルへ案内されると、ジルドはすでに腰を下ろしていた。
両隣には女戦士と女レンジャーの姿。
その三人の空気を一瞬だけ見計らい、
俺はオルフェナとアヤメを伴って向かいへ座った。
「紹介しましょう」
ジルドが穏やかに言った。
「戦士のバルナ。Bランクだが頼りになります」
バルナは自信満々の笑みで、こちらを値踏みするように見た。
「こちらはレンジャーのスズナ。静かだが腕は確かです」
スズナは控えめな微笑を浮かべ、落ち着いた物腰で座っている。
ふたりとも美しい。
その美貌を目にした瞬間、嫌な記憶がよみがえる。
(……そうだ。バルナは、とんでもない女好きだったな)
以前うちのパーティに加入した際も、
しょっちゅうオルフェナにちょっかいを出しては、杖で軽く小突かれていた。
一方こちらも、美貌では負けていない。
オルフェナは凛とした美しさがあり、アヤメは素朴な可憐さを持つ。
その結果――
“両手に美女を侍らせたSランク冒険者同士が対峙する”
という、完全にギルド中の興味をかっさらう構図になった。
案の定、周囲はすでに野次馬の人垣。
「なんだこれ……?」
「修羅場じゃねえよな……?」
「Sランク同士の衝突か……?」
全員、固唾を飲んで見ている。
(……居づらい。めちゃくちゃ帰りたい)
横を見ると、アヤメが目をキラキラさせてバルナを見つめていた。
完全に“新たなSランクに興味津々”という顔だ。
一方でオルフェナは――
真っ青。
ティーカップを持つ手が「カタカタカタカタ」と震えていた。
緊張のあまり口元がこわばっている。
そんな空気の中、ジルドが胸を張って語り始めた。
「あなたたちのパーティを抜けてから、
いくつかの困難なクエストを踏破しましてね。
ようやく、Sランクに昇格できたわけです。
今回は、新たな骨のあるクエストを求めて、この街を訪れた
……というところです」
その言葉に、周りの冒険者たちがざわめく。
だがジルドの声には、余計な含みはなかった。
俺たちを貶めるでも、過去を暴くでもない。
(……さすがSランク冒険者。
人前で、わざわざ俺たちの化けの皮を剥がすような真似はしない、か)
「ところで――」
ジルドがふいに、品定めをするような視線をアヤメへ向けた。
あの目だ。
昔、オルフェナを見たときと同じ、いやな光だ。
「そちらのお嬢さんは?」
「ああ、アヤメと言ってな。レンジャー見習いだ。今は一緒に旅をしている」
アヤメは丁寧に一礼した。
「初めまして、ジルド様。アヤメと申します。
旅のさなか、アレクス様に日々教えを頂いております」
「ほう、アレクス殿に……」
ジルドの目がわずかに細まる。
(……来た。嫌な予感が的中した)
こいつの狙いは、アヤメだ。
「Sランク冒険者のもとでレンジャー修行とは、大したものですね」
意味ありげに間を取ってから――
「どうでしょう。アレクス殿も何かとお忙しいでしょうし……
よろしければ、私のパーティでアヤメさんの修行を見てもよいかと」
(来たな!)
「幸い、こちらにはBランクレンジャーのスズナもおります。
レンジャーの先生役としても、うってつけではありませんか?」
言うが早いか――
バルナはギロッとジルドをにらみ、
スズナは微笑を崩さぬまま――ジルドの太ももをきゅうっとつねった。
“この浮気者”
二人の顔にそう書いてある。
(いや問題はそこじゃない!)
俺が言い返そうとしたそのとき――
「大変ありがたいお誘いではありますが、お断りいたします」
凛とした声でアヤメが言い切った。
「私はアレクス様を師と仰いでおりますので」
(……え? 俺、いつの間にアヤメの師匠になってた?)
ジルドの眉がかすかに跳ねた。
「実力という意味では、私もSランク。
アレクス殿に引けを取らない自負がありますが?」
挑発めいた響き。
案の定、アヤメの瞳が燃えた。
「しかしジルド様は、Sランクになられたばかりとのこと。
失礼ながら、アレクス様にはまだ及ばないと存じます」
(ちょっとアヤメ!? なんてこと言うんだ!!)
止める暇すらなかった。
ジルドの目が静かに細まり、口元に薄い笑み。
「……では、アレクス殿より私の方が実力が上だと証明できたら、
アヤメさんは私のパーティに来てくれますか?」
「ええ、かまいません。万に一つも、そのようなことはないと思いますから」
(おいおいおいアヤメ!? なんで勝負を煽ってるんだ……!!)
アヤメのテンションはすでにMAX。
一方ジルドは、してやったりという顔で俺を見る。
「では、こうしましょう。アレクス殿――あなたに試合を申し込みます」
(来た……!)
「もし私が勝てば、アヤメさんは私が引き取る。よろしいですね?」
断ろうと口を開いた、その瞬間――
「いいでしょう。受けて立ちます」
アヤメが即答した。
(待って!?!?)
だが、事態はさらに加速する。
「ジルド様。あなたが負けた場合は、どうなさいます?」
「……なんでも、お望みのものを差し上げましょう」
軽く言ったように見えたが、ジルドの額にかすかな汗。
「では――アレクス様が勝った場合は、金貨十枚、頂きましょう」
「十……!?」
ジルドは絶句した。
金貨十枚―― 一年は遊んで暮らせる大金だ。
野次馬のざわめきが一斉に大きくなる。
「よ、よいでしょう……受けて立ちます」
観念したようにジルドは頷いた。
(どうしてこうなった……)
俺の隣では――
「カタカタカタカタカタ……!」
オルフェナの震えがさらに激しくなり、
ティーカップのお茶はすべてこぼれ落ちていた。
(本当にどうしてこうなった……!!)




