41峯里異聞(ほうりいぶん)
俺たちは隠れ里〈セフィラ〉に到着した。
険しい山々の中腹に佇む、小さくも美しい集落だ。
趣のある木造の門をくぐると、
畑や田んぼの間に、三角の茅葺き屋根の家々が並び、
煙突からは細い煙が立ち上っている。
どこか幻想的で――そしてどこか、懐かしい。
眼下には下界を一望でき、山風がさらりと頬を撫でていく。
“魔道の聖地”。
そう呼ばれる所以が、ひと目で理解できた。
里にひとつだけある宿へ向かう。
そこもまた、落ち着いた茅葺きの屋根が特徴的で、
素朴ながらも品のある佇まいを見せている。
到着の茶を頂きつつ、俺たちは宿の主人へ、
聖女リアナ、聖騎士フィーナ、そしてレンジャーのリオについて尋ねた。
「おお、知ってますとも」
主人は、ぽんと手を打った。
「この里で大騒ぎをおこされたお二人ですな!
“聖女と聖騎士の大喧嘩”って、この里じゃ語り草になっていますよ。」
「聖女と聖騎士の……大喧嘩?」
あまりに衝撃的な単語に、思わず聞き返してしまう。
「ええ、そりゃあすごかった。
去年の今ごろでしたかね。
旅の聖女殿と女聖騎士殿、それと従者が、
この里に立ち寄られておったんですが――」
主人は、まるで昨日見たかのように身ぶり手ぶりを交えて語り始めた。
「従者の男を取り合って、大喧嘩が勃発したんですわ。
里のはずれの荒れ地で、双方一歩も引かず、
集まった里の者の前で、決闘のような形になりましてな」
「決闘……?」
俺たちは、ごくりと唾を飲んだ。
「聖女殿は、花火みたいな大爆発を次々と起こすわ、
火は飛ぶ、氷は飛ぶ、なんか得体の知れん化け物まで召喚なさるわで……。
そりゃあ、もう壮観でしたわ」
主人は肩をすくめ、
「で、女聖騎士殿の方は、
その全部を、かわしたり弾き返したり。
斬撃を放てば、聖女殿が張った結界に弾かれて……。
わしも魔法は散々見てきましたがな、
あれほどのド迫力の戦いは、さすがに初めてでしたわい」
俺たちは、しばし言葉を失った。
「どちらも一歩も引かず、勝負もつかず――
結局、その“従者の男”が割って入って、
二人をこっぴどく叱ったんです。
その場はそれで終わりでした」
「……あのフィーナが、喧嘩?」
レグナスは凍りついた顔でつぶやく。
主人は続ける。
「でも、その後は仲直りしたようでしてな。
それからしばらく、二人で仲良く山に出て、
グリフォンやワイバーンを、たいそう簡単に狩っておられましたよ」
「グリフォンと、ワイバーンを……簡単に?」
オルフィナが思わず声を漏らす。
「ええ。お二人ともお美しいのに、とんでもない強さでしたね。
“ああ、英雄譚って本当に存在するんだなぁ”
と、里の者たちは皆、感心しとりましたわ」
俺たちは顔を見合わせる。
――聖女リアナ。
――聖騎士フィーナ。
そして、その“従者の男”。
間違いない。
リオだ。
呆然とするレグナスの横で、
俺は静かに前へ身を寄せ、問いを投げかけた。
「そして……その後の、その三人は?」
主人は顎に手を当て、記憶を辿るようにゆっくりとうなずいた。
「ええ、しばらくは里に滞在されてましたがな。
ところがある日、山から“大魔導士殿”が降りてきまして」
「大魔導士……?」
オルフィナが息を呑む。
「はい。“ヴァレンティナ”という方でしてな。
それはもう、見事な美貌の方でして。
その大魔導士殿が、従者のレンジャー殿――ええ、あの男です――
彼に会いに、山奥からわざわざ降りてこられたんですよ」
俺たちは思わず顔を見合わせた。
「しかしな……」
主人は声を潜め、少し苦笑した。
「初対面だというのに、そのヴァレンティナ殿、
レンジャー殿に、まあ、やけに馴れ馴れしいと言いますか……
距離が近いというか……
で、当然、場はピリピリですわ。
聖女殿と聖騎士殿が、
“その女だれ?”
って顔をしてな。
こりゃまた大喧嘩の再来かと、里の者は息を飲んでおったんですが――」
主人はぽんと手を叩いた。
「気づいたら、三人とも打ち解けておりましてな。
その後は、四人で連れ立って、ここを旅立っていかれました」
「行き先は?」
俺は息を詰めて尋ねる。
「ここからさらに西――
貿易都市アルバトロッサに向かわれる、と言っておりましたな」
アルバトロッサ。
西方一帯でもっとも国際的で、冒険者・商人・魔術師が集まる大都市だ。
「さらに、規格外の顔ぶれが増えた……」
俺は額に手を当ててため息をついた。
「しかしまあ……」
主人は椅子にもたれ、しみじみと言った。
「聖女殿、聖騎士殿、大魔導士殿。
錚々(そうそう)たる面々に囲まれていた、あの従者のレンジャー殿――
いったい何者だったのか、今でも不思議でしてなあ。」
◇
その夜、宿で夕食をとった。
里ならではの素朴だが滋味深い料理が、
ほのかな湯気を立てて並んでいる。
香草の香りに混じって、炊きたての穀物のあたたかい匂いが漂っていた。
そんな静かな時間の中、
レグナスがふいに箸を置き、真剣なまなざしで口を開いた。
「……今日の主人の話を聞き、決心したのだ。
アレクス。俺は、このあたりで〈ヴァルナ神殿〉に戻ろうと思う」
場の空気がわずかに引き締まる。
レグナスは俺たちを順に見回し、深い息をひとつ吐いた。
「最初は……
フィーナが、あの従者にだまされているのではないかと、
心配でならなかった。
だから俺は、お前たちに同行した」
そこまで言うと、一瞬だけ言葉を探すように視線を落とした。
そして静かに続ける。
「だが、ゆく先々で耳にするのは、あいつの活躍ばかりだった。
仲間と旅し、猛獣を討伐し、ときには大喧嘩までして……
聖堂騎士団では見せなかった“あいつらしさ”が、そこにあった」
語る声に、かすかな笑みが滲む。
「フィーナは……殻を破ったのだろう。
狭い世界に閉じこもっていたあいつが、自分の翼で外へ飛び出した。
そう思ったとき、胸のつかえがすっと消えた」
レグナスは拳をゆるめ、静かに言葉を締めた。
「フィーナは自分の道を見つけた。
ならば、これ以上追うのは野暮だ。
俺も、神殿に戻り……新たな気持ちで歩き出したい」
その表情は、どこか清々しく、覚悟の色があった。
エリオットが柔らかく笑った。
「レグナス、その考え方……すごく良いと思う。」
「ふむ。ああやって誰かを気にかけて動く男は、悪くない」
オルフィナが口元に笑みを浮かべる。
アヤメも小さく微笑み、うなずいた。
「レグナス様。前に進もうとするお気持ち
……すごく素敵です。
きっと、フィーナさんにも届きますよ」
レグナスは皆の言葉を静かに受け止め、深く頭を下げた。
「ありがとう。では――門出の酒といこう」
俺は杯を持ち上げ、レグナスへ向けて軽く掲げた。
「レグナス。俺たちの旅はまだ続く。
だが、あなたの旅も……今日から新しく始まるんだな」
「うむ。そうだな」
杯が触れ合い、かちん、と澄んだ音が鳴った。
その音は、
ひとりの聖騎士の再出発と、
俺たちの旅の新たな局面を告げる合図のように響いた。




