40春野旅情(しゅんやりょじょう)
麗らかな春の日差しの中、俺たちは隠れ里〈セフィラ〉を目指し、
草原を進んでいた。
前回、港町オルビアへ向かった冬の旅路と比べれば、状況は断然よい。
装備も道具も軽く、足元も乾いて歩きやすい。
何より――歩いていて気分が良い。
緑の木々、心地よい風、鳥のさえずり、そして川のせせらぎ。
〈セフィラ〉までの道中は、どうやら自然の表情が豊かなようだ。
草原、高原、森林、街道、そして海沿い――
さまざまな絶景を見せてくれることだろう。
気分が高揚する。
……本来なら。
しかし、今朝から少し頭が痛く、その高揚感がいくぶん削がれているのが、
なんとも残念だった。
昨晩は、ギルドの食堂で、
アヤメの誕生日会と成人祝い、そして正規冒険者登録の祝賀を兼ねた宴を
開いたのだが――
ささやかに済ませるつもりが、蓋を開ければ大盛り上がり。
ギルドの面々も次々混ざり込み、深夜まで大騒ぎとなった。
その結果が、これだ。
おかげで、見事な二日酔いである。
しかし――
二日酔いにもかかわらず、胸の奥では確かな期待が高まっている。
隠れ里〈セフィラ〉。
リオの手がかり。
そして、待ち受けるであろう未知の景色。
痛む頭を押さえつつ、俺は深呼吸した。
◇
夕方、草原の真ん中で、レグナスに稽古をつけてもらった。
基本的な動作から応用技術、
さらには聖堂騎士団独自の訓練法まで教えてくれ、
どれも大変ためになる内容だった。
手合わせもしたのだが――
やはり、まったく相手にならない。
全力で踏み込み、斬り込む。
しかし、レグナスはそれを当然のように受け止め、
わずかに身をひねるだけで俺の攻撃を流してしまう。
逆に、軽く見える一撃が、
まるで大木に叩きつけられたかのような重さで返ってくる。
(……これが、騎士団長の力量か)
地力の差を、嫌というほど思い知らされた。
離れた場所で見ていたアヤメが、ぱあっと目を輝かせながら駆け寄ってくる。
「互角の勝負に見えました!
流石、Sランクの戦士と騎士団長の手合わせですね!」
その言葉に、俺は苦笑するしかなかった。
(互角? とんでもない……)
実際には、
レグナスが手を抜き、力を抑え、軌道すら調整してくれていたおかげで、
ようやく「戦っている形」にしてもらっていたに過ぎない。
レグナスは穏やかに微笑んだ。
「アレクスは、素直で良い動きをしている。
伸びしろは大きい。あとは経験と練度だ」
その一言が、悔しさよりも嬉しさを与えてくれるあたり、
やはりこの男は、団長として人を導く力に長けているのだろう。
◇
夜。
俺たちは草原の一角に野営地を整え、焚き火を囲んでいた。
春とはいえ、夜気は思った以上に冷たく、
焚き火の赤い炎がぱちぱちと弾けるたび、ほのかな暖かさが全身に広がる。
アヤメが手際よく鍋をかき回し、香草の良い香りが漂っている。
「はい、できました……草原風ポトフです。あたたまりますよ」
俺は、木の椀を受け取り、ふうふうと息を吹きかけてから口に運ぶ。
「っんま。」
頬がほわっと緩む。
オルフィナは、ポトフを味わいながら夜空を見上げていた。
「星が綺麗だな。この旅は、以前よりずっと穏やかで良い」
レグナスもゆっくりと頷き、湯気立つ椀を両手で包む。
「うむ。こうして静かな夜を過ごすのも、悪くない」
エリオットも隣で頷きながら、スプーンをくるりと回した。
「ね。たまには、戦いじゃなくて、こういう夜のほうが体に優しいよ」
焚き火の火の粉が夜風に乗って舞い上がり、空へと溶けていく。
少し離れた場所では、虫の声が微かに響く。
それが逆に、この静寂を際立たせていた。
アヤメが、おいしそうにポトフをほふほふと頬張っている。
湯気の向こうで、嬉しそうに笑うその表情を、俺はぼんやりと眺めていた。
――冒険者になって、やりたかったこと。
リオが傍にいてくれた頃の俺は、
ただ強くなりたい、上に登りたい、名を上げたい――
そんな“成り上がり”の願望ばかりが先に立っていた。
だが、いまは違う。
目の前の仲間たちと、こうして焚き火を囲み、
見た景色、知ったこと、感じたことを分かち合う。
それがどれほど尊い時間か、ようやく理解できるようになった。
気の合う仲間たちと、心躍る冒険がしたい。
古代の遺跡、知らない街、手つかずの森、伝承の峠。
いろんな場所へ行き、いろんなものを見て、
その驚きや楽しさを同じ火の周りで語り合う。
ただ、それだけのこと――
だが、その“ただそれだけ”が、とても大事な理由なのだと。
レグナスが静かにスープを飲み、
オルフィナが星空を見上げ、
エリオットが鍋の火加減を気にしながら鼻歌を歌う。
その何気ない風景が、胸の奥をじんわりと温めた。
(……ああ。こういう冒険が、したかったんだ)
俺は焚き火の炎を見つめながら、
自分でも驚くほど素直に、そう思った。




