35忙中多事(ぼうちゅうたじ)
〈蒼鯨の翼〉号は、
明日の〈グラン=メナス〉到着に先駆け、
今朝、交易港〈リュミエル〉に寄港した。
そこで新たに乗船したのは、団体客三十名。
とある貴族と、その従者一行だという。
――それはつまり。
私が管轄する船内食堂《碧潮の灯》が、
これまで以上に忙しくなる、ということを意味していた。
この事実は、
朝のミーティングで新入りメンバー――アレクスたちにも伝えてある。
「うっ!」
皆、一様に分かりやすい顔をした。
もっとも、文句を言われようが、状況が変わるわけではない。
「お客様が増えても、サービスの質は落とさない」
それが、チーフである私の責務だ。
そう告げて、全員に気合を入れ直すよう促した。
◇
ランチタイムが始まると、予想通り、食堂は一気に埋まった。
百席ほどある《碧潮の灯》は満席。
通路には順番待ちのお客様が長い列を作っている。
私はキッチンとフロントの中間に立ち、
料理の出る速度、配膳の動線、客席の回転を見ながら、
次々と指示を飛ばしていた。
給仕たちはよく動いている。
新入りも含め、全員が必死だが、連携は悪くない。
――このまま乗り切れる。
そう判断した、その時だった。
どかどか、と荒い足音。
順番待ちの列を無視し、
十名ほどの男たちが、強引に店内へ踏み込んできた。
見覚えのない顔ぶれ。
昨日まで、この船で見かけた客ではない。
今朝乗船した団体客だろう。
近くにいたアヤメが、その様子に気づいた。
「……失礼いたします」
そう言って、彼女は男たちへ近づき、
先頭に立つ男に丁寧に頭を下げた。
「申し訳ございません。ただいま満席でございます。
恐れ入りますが、列にお並びいただけますでしょうか」
その瞬間だった。
背後にいた大男が、突然、アヤメの身体を抱え上げた。
「きゃあ!」
短い悲鳴。
それを合図にしたかのように、
男たちは一斉に武器を抜き放った。
剣、短剣、斧――
軽装だが、無駄のない構え。
店内が、凍りつく。
先頭の男が、声を張り上げた。
「この船は、俺たちが頂いた!
お前たちは人質だ!
全員、床に伏せろ!!」
――海賊。
今朝乗船した「貴族一行」は、
最初からその正体を偽っていたのだ。
客たちの悲鳴が上がり、
次々と床に伏せていく。
アヤメは大男に抱えられたまま、必死に足をばたつかせていた。
「なにをするのですか!放してください!!」
大男は、下卑た笑みを浮かべている。
チーフとして――
この場にいるお客様を、守らねばならない。
私は、ためらわず一歩踏み出し、先頭の男へ近づいた。
「……私が人質になります」
声は、思った以上に落ち着いていた。
「その代わり、他のお客様は解放してください」
男は一瞬だけ目を細め――
次の瞬間、鼻で笑った。
「はっ。都合のいい話だな」
そう言うと、私の腕を強引に後ろへねじ上げる。
「もちろん、お前も人質だ」
「……っ、痛い!」
力任せの拘束。
骨がきしむ。
――話の通じる相手ではなかった。
胸の奥が、冷えていく。
ああ、ここまでなのか。
どうにもならないのか。
「……こんな若い子まで、巻き込んでしまった……」
自責の念に押しつぶされそうになりながら、
私は隣で捕らえられているアヤメを見た。
きっと、怯えている。
そう思った。
だが――
アヤメは、表情を消していた。
じっと、正面を見据えている。
「……?」
その視線の先へ、目を向けると、
レグナスがワインの瓶をこちらに投げつけるところだった。
ワインの瓶が回転しながら一直線に飛んでくる。
ビュン――。
「ごん!」
瓶は、アヤメを抱え込んでいた大男の顔面に直撃し粉砕。
「ぎゃああっ!」
男は顔を押さえ、後ろへ倒れた。
その拍子に、
アヤメの身体が宙に放り出される。
ふわりとスカートが舞い上がり、
ちらりと白いふとももが覗く。
そのふとももには短剣の鞘が固定されておりーー
(って、ちょっと、あなた、なに、持ってるの!)
次の瞬間――
彼女は着地と同時に、素早く身を翻し、
短剣を抜き放った。
一気に間合いを詰め、
私を押さえていた男の腕を斜めに斬り払う。
「ぐあっ!」
油断していた男が悲鳴を上げ、
拘束が解ける。
私は思わず、よろめいた。
その背中に、アヤメがぴたりと立つ。
「マリナチーフ」
低く、はっきりした声。
「下がってください」
彼女は私を背に庇いながら、
刃を前に向けたまま、後退を始める。
近くの男が剣を振りかざしアヤメへと襲いかかる。
刹那――
「えいっ!」
背後から、聞き慣れた声。
次の瞬間、
氷の塊が、私のすぐ隣を猛スピードですり抜けた。
空気が裂け、
凍りつくような冷気が頬を打つ。
氷塊はそのまま男に命中し――
「ぐあっ!」
鈍い衝撃音とともに、男が吹き飛ばされた。
床を転がり、壁に叩きつけられ、動かなくなる。
私は思わず、息を呑む。
掛け声の方へ目を向けると――
そこにいたのは、オルフィナだった。
両手に、デッキブラシを握りしめ、
その切っ先を、こちらへ向けている。
杖の代わりだろうか。
デッキブラシの先からは、白い湯気が立ち上っていた。
その姿を見た瞬間、
胸の奥で、何かがすとんと腑に落ちる。
「ああ……」
思わず、口をついて出た。
「すっかり忘れていた」
彼らは――戦士だ。
料理場からコック姿の男が二人、飛び出してきた。
アレクスと、エリオットだ。
アレクスは両手にフライパンを握っている。
油を拭ったばかりなのか、鈍く光っていた。
一方のエリオットは、長柄のモップを構えている。
「おい、レグナス!」
アレクスは叫ぶと同時に、
片手のフライパンを、迷いなく放り投げた。
レグナスはそれを空中で受け取る。
「ふむ……」
一瞬、フライパンを見下ろし、軽く振って重さを確かめる。
「お客様の手前、流血は物騒だな」
そう言って、口角をわずかに上げた。
次の瞬間、
レグナスとアレクスは同時に踏み込む。
フライパンを手に、
海賊たちの只中へ。
金属音が、食堂に響き渡る。
あっという間に、食堂は乱戦と化す。
その背後――
エリオットが、モップを天に掲げた。
《中域防御力向上》
《中域攻撃力向上》
《中域速度向上》
最後の詠唱と同時に、
全員の動きが、目に見えて加速する。
そして――
「えい!」「えい!」「えい!」
オルフィナの声。
次々と放たれる氷塊が、
正確に、確実に、海賊たちをなぎ倒していく。
床に転がる者。
壁に叩きつけられる者。
武器を手放し、動かなくなる者。
数で押していたはずの海賊たちは、
次第に押され――
やがて。
最後の一人が、フライパンの一撃で床に沈んだ。
静寂。
荒い息と、割れた皿の音だけが残る。
《碧潮の灯》の海賊たちは制圧された。




