34碧潮修羅場(へきちょうしゅらば)
ランチタイムが終わり、ようやく休憩時間になる。
厨房もフロアも、戦いを終えたあとのような静けさが戻っていた。
スタッフたちと一緒に、少し遅めの賄いをいただく。
熱いスープが胃に落ちた瞬間、
張りつめていた緊張がふっとほどけていくのがわかった。
そんな中、レグナスが重々しく口を開いた。。
「……想像以上に忙しいものだな、給仕とは」
大男のその一言に、俺たちは思わず苦笑しつつ頷いた。
「オーダーを取ったり、皿を下げたりするだけではない。
いかに早く、正確に、順序よく料理を届けるか……。
戦略と戦術が必要だ。私はまったく動けていなかった」
レグナスは悔しそうに拳を握りしめたあと、深く息をついた。
「だが……マリナチーフの適確迅速な指示には感服した。
あれほどの混乱を、よくここまで整えていた」
マリナは、腕を組んで涼しい顔をしている。
「それが仕事だからね。あなたたちも悪くなかったよ」
そこでレグナスは、ふっと表情を緩めて続けた。
「それにしても……アヤメのあの動きは驚いた。
狭い店内を、料理を片手に、まるで風のようにすり抜けていく。
あれは天性の感覚だろう。大したものだ」
「そ、そんなこと……」
アヤメは頬を赤くして俯いた。
「オルフィナの態度も見事だった。
常に冷静で、どれほど忙しくても落ち着きを失わない。
あの安定感は、給仕として非常に重要だと感じた。」
「内心、いっぱいいっぱいだったがな!」
オルフィナが胸を張って言う。
なぜか偉そうだ。
マリナが吹き出した。
「はは、レグナス。あなた、よく見てるわね」
◇
だが――本当の地獄は、ここからだった。
ディナータイムが始まったのだ。
戦況は、昼よりさらに熾烈を極めた。
厨房では料理長の号令が飛び交い、熱気が渦を巻く。
「肉、三番卓追加! 遅れるな!」
「スープ温度上げろ、次の便が来るぞ!」
「魚班! 皿の枚数が足りてない!」
怒号ではない。
これはもう、熟練の指揮官が戦場を操る“采配”だ。
俺も必死だった。
切る、盛る、鍋を運ぶ、また次の皿を準備する。
油と熱気と香草の香りが入り混じり、感覚が麻痺してくる。
(……昼より早い。ついていくのがやっとだ)
◇ ◇ ◇
一方、皿洗い担当のエリオットは――
「《広域浄化》」
「《広域浄化》」
「《広域浄化》」
動作にさらなる改良が加わり、処理速度が尋常ではなかった。
十数枚の皿がまとめて一瞬で輝きを取り戻す。
彼の背中からは、なぜか神々しい白光のようなものが立ち上って見えた。
――覚醒
そんな言葉が自然と脳裏に浮かんだ。
◇ ◇ ◇
給仕のほうも、完全なフル稼働だ。
「アヤメ、四番卓スープ追加! あとパン二つ!」
「オルフィナ、六番卓のステーキ準備できたぞ!」
入れ代わり立ち代わり、二人が料理を運んでいく。
アヤメは忙しいはずなのに、どこか楽しそうだ。
一方のオルフィナは、ちょっと、泣きそうな顔をしていた。
◇ ◇ ◇
こうして、俺たちの〈蒼鯨の翼〉号での初仕事一日目は、
怒涛の如く過ぎ去っていった。
料理長が最後の皿を下げ、食堂の喧騒がようやく落ち着いたころ。
達成感と疲労が、同時にどっと押し寄せてくる。
(……これが、これから毎日続くのか)
船旅は甘くない。
だが、だからこそ気が引き締まる。
◇ ◇ ◇
翌日のランチタイムも、
まるで昨日の続きを見るかのように怒涛の勢いで過ぎ去った。
水を飲む暇もほとんどなかったが、どうにか全員で乗り切ることができた。
そしてようやく訪れた遅めの賄いの時間。
熱いスープの湯気が、戦いの余韻を静かに和らげていく。
そんななか、マリナチーフがレグナスに目を向ける。
「レグナス、腕を上げたな。昨日とは見違えるほどの動きだ」
褒め言葉は簡潔だが、その声には確かな信頼があった。
「指示への反応も速いし、料理の運びも正確。
ここまで変わるなんて、正直驚いたよ」
レグナスは背筋を伸ばし、誇らしげにうなずいた。
「ああ。昨晩、振り返りをして戦略を練った。
動線の最適化、目配りの位置、優先順位……考え直した点は多い」
さすが聖堂騎士団の団長。
反省点を見つけ、即座に改善し、翌日には結果を出す。
その成長速度には感服せざるを得ない。
(この男は、見習うべき所が多い)
心から、そう思った。
◇ ◇ ◇
ふと気になったことがあり、俺はスタッフたちに尋ねてみた。
「フィーナという聖騎士について、何か噂を聞いたことはあるか?」
すると――思っていた以上に、どっさり返ってきた。
料理長は腕を組んで言う。
「襲ってきた海賊船に、逆に単騎で乗り込んで壊滅させたって聞いたぞ」
マリナチーフが続ける。
「私はね、クラーケンを一撃で倒したって噂を聞いたわ」
そのほかにも、
「嵐の海で帆柱に飛びついて船を立て直したらしい」
「海底の魔物を素手で殴り返したって噂もあるぞ」
もう、ここまで来ると伝説の域だ。
「……たしかに、フィーナは腕が立つが、
そんな化け物じみた力までは持っていなかったぞ」
レグナスは驚愕し、拳を握りしめた。
「リオの力だな」
俺がそうつぶやくと、
「……ああ」
オルフィナが渋い表情で相槌を打つ。
◇ ◇ ◇
午後の休息時間。
俺たちは気分転換にと、甲板に出ることにした。
春の海風が心地よく頬を撫で、遠くではカモメが鳴きながら旋回している。
波のきらめきが陽光を弾き、果てしなく水平線へと続いていた。
「どこまでも海なんですね……」
アヤメが、手すりに手を置きながら感嘆の声を漏らす。
風に揺れる髪が陽に透け、まだ見ぬ世界を前にした少女の瞳は、
期待と驚きで輝いていた。
(アヤメを連れてきて、本当に良かったな)
冒険者としての成長だけでなく、
こうして世界を知っていくことも、彼女にとって大切な経験になるだろう。
(もっと、いろんなものを見せてやりたい)
自然と、そんな思いが胸の中で広がった。
さて、これから、ディナータイムが始まる。
今夜も厳しい戦いになるだろう。




