32航路示現(こうろじげん)
翌朝。
俺たちは、北の丘にそびえる〈ヴァルナ神殿〉へ向かった。
海からの風が、朝とは思えないほど強く吹きつけてくる。
潮の香りを含んだ風がマントを揺らし、俺たちの足取りを押し返すようだ。
だが、その丘に立った瞬間――
「わぁ……!」
アヤメが息をのんだ。
眼下には、港町オルビアが一望できた。
蒼い海面には無数の帆船が漂い、
街並みは朝日に照らされて黄金色に輝いている。
それは、まるで絵画の中の世界のようだった。
「こんなに立派な建物、初めて見ました……!」
アヤメは目を輝かせながら、神殿を見上げていた。
〈ヴァルナ神殿〉は、白い石で築かれた壮麗な建造物だった。
柱には神獣のレリーフが刻まれ、
高い天井を支えるアーチは天へ続く梯子のように見える。
風を受けてはためく蒼の旗が、荘厳さをいっそう引き立てていた。
◇ ◇ ◇
エリオットが同行していることもあり、神殿側も無碍に扱うことはなかった。
「Sランク僧侶エリオット様……本日はこちらにどのようなご用件で?」
係の神官は丁重に頭を下げ、すぐに談話室へ案内してくれた。
しばらく待つと、重い足音を響かせながら、一人の男が姿を現した。
――レグナス・バルシオン。
聖堂騎士団の団長だ。
よく日に焼けた大きな男。
分厚い胸板、鋭い眼光、深く刻まれた眉間の皺。
ただ立っているだけで、周囲の空気を押し返すほどの存在感がある。
だがその瞳には、聖騎士らしい誠実さが宿っていた。
「レグナス団長、急なお願いに応じていただき感謝します。」
エリオットが礼を述べると、レグナスは軽くうなずいた。
「こちらこそ、冒険者ギルドのSランクが直々に訪ねてくるとは思いませんでした。
……さて、今日は何のご用件で?」
俺は、核心に触れる質問を投げかけた。
「――かの女聖騎士が騎士団を去った件について、話を聞きたい。」
その瞬間、レグナスの表情が変わった。
苦虫を噛み潰したような顔。
深いため息が、胸の底から漏れた。
「……その件か」
そして、語り始めた。
◇ ◇ ◇
「彼女の名は――フィーナ。
冒険者ランクに換算すれば、Aランク相当の実力だ。
誰よりも誠実で、慎重で、職務には常に誇りを持っていた。
……そんな彼女が、だ」
レグナスは悔しさを押し殺すように唇を噛む。
「出会って間もない、一人の冒険者を追って……騎士団を飛び出した。」
アヤメが驚きに目を丸くする。
「そんな……出会って間もない人のために? 本当ですか?」
「本当だとも」
レグナスは苦々しくうなずいた。
「その冒険者の名は、忘れようにも忘れられん。
――Sランクレンジャー、リオ。」
リオの名が出た瞬間、俺は思わず天を仰いだ。
頭の奥に、リオの背中がふっとよみがえり、
胸の奥が熱くなる。
レグナスは続けた。
「リオとは一度だけ顔を合わせたことがある。
だが、正直に言えば……平凡な男にしか見えなかった。
Sランクといえど、
すべてを投げ出してまで共にする価値がある男だとは、今も思えん。」
そこでレグナスは、苦々しげに目を伏せ、言葉を続けた。
「……だが、フィーナは“鑑定士”の能力を持っていた。
私には見えなかった何かを、あの男に見たのかもしれん。」
声には、押し殺したような悔しさがにじむ。
――この男は、フィーナに好意を寄せていたのだろう。
ふと、そんな確信めいたものが胸に浮かんだ。
◇ ◇ ◇
「二人が向かった先に、心当たりは?」
そう尋ねると、レグナスは即答した。
「あるとも。
リオが乗り込む商船に、フィーナは飛び乗った。
そして……この港を出た。」
「行き先は?」
「〈グラン=メナス〉だろう。
西方の大陸都市だ。
冒険者も商人も入り乱れる“混沌の街”。」
その言葉で、霧が晴れるように状況が見えてきた。
リオ。
フィーナ。
港を出る商船。
向かう先は、グラン=メナス。
(追いつけるかもしれない……)
胸の奥で、熱いものが小さく灯る。
リオの道筋が、また一歩、鮮明になった気がした。
◇ ◇ ◇
俺たちはレグナスに深く礼を述べ、〈ヴァルナ神殿〉を後にした。
風の強い丘を降りながら、胸の奥にはひとつの思いが灯っていた。
――向かうべき場所は、グラン=メナス。
あとは、どうやって大陸へ渡るかだ。
一度ギルドに戻って、渡航方法を検討することにした。
神殿への長い階段を下りていると、オルフィナが隣でぽつりとつぶやいた。
「なあ、アレクス。
リオが……Aランク相当の聖騎士に力を付与したら、どうなるのだろうな?」
俺は歩みを止めずに答えた。
「おそらく――化け物が誕生する。」
言葉にした瞬間、背筋にひやりとしたものが走った。
◇ ◇ ◇
ギルドへ戻ると、すぐに職員の女性が航路情報を教えてくれた。
「グラン=メナス行きでしたら、
大型客船〈蒼鯨の翼〉号が明朝に出航します。
ただ……護衛依頼は出ていませんね。
代わりに“船内スタッフ”の募集がございますが……?」
依頼票には、
積み荷運搬、給仕、掃除、船内巡回補助――など。
「……“船内スタッフ”、か。」
俺は苦笑した。
オルフィナも渋い顔をする。
「護衛ではないのか? せめて、もう少し冒険者らしい仕事は……」
「贅沢言うなって」
エリオットが肩をすくめる。
「船に乗れるだけありがたい話だぞ。」
「“これも修行のうち”ってやつですね!」
アヤメはなぜかやる気満々だ。
その姿に、思わず三人とも苦笑した。
「……よし。〈蒼鯨の翼〉号のスタッフ依頼、引き受けよう」
こうして俺たちは、護衛ではなく――
“船の雑務スタッフ”として、大陸へ向かうことになった。
乗船は明朝。
リオとフィーナが残した僅かな足跡を追う、次の旅が始まる。




