03木漏れ日の途(こもれびのみち)
先の敗走で散り散りになった仲間たちを探さなければならない――。
その思いが、ずっと胸の底に引っかかっていた。
おそらく誰かは、この近くの村か街に身を寄せている。
バンジの村人たちに周辺の地理を聞くと、
徒歩で数日圏内にいくつかの集落が点在しているらしい。
ただ、
この地域はどこへ行くにも森を抜けなければならない。
道に迷えば簡単に遭難するような、深い深い森だ。
俺は決めた。
クエストをこなしつつ、
周辺の村を巡って仲間を探す旅に出よう――と。
診療所で横たわるバンジが、
弱々しい中にも力のこもった声で言った。
「私は、しばらく入院となります。
アレクス殿……アヤメをお連れください。
道中は森。きっとお役に立てると思います」
アヤメは俺の隣で、深く頭を下げた。
こうして俺とアヤメの二人旅が始まった。
まず目指すのは隣村のウッドレーン村。
森を抜けて一日程度の距離だという。
方向とざっくりした道筋は聞いたし、
道案内はレンジャー見習いのアヤメに任せることにした。
◇ ◇ ◇
森に入ってすぐ、アヤメは本領を発揮した。
食べられる木の実を見つけ、
キノコの毒を見抜き、
軽やかに兎を狩り、手際よく捌く。
動作に迷いが一切ない。
俺は感心して、その後ろ姿をただ眺めていた。
――思えば、こういうことは全部リオに任せっきりだったな。
大学の基礎科で最低限のサバイバル知識は習ったけど、
それ以上はまったくダメだ。
「なあ、アヤメ。……その知識、俺にも少し教えてくれないか?」
気づけば自然とそんな言葉が口をついて出ていた。
アヤメは不思議そうに瞬きをしてから言った。
「このようなことは、私にお任せくだされば良いのですが……
アレクス様がそう仰るのでしたら、喜んでお教えします」
そう言って、作業の合間にひとつひとつ丁寧に教えてくれた。
聞くことすべてが新鮮だった。
木の実の見分け方ひとつ取っても、
「なるほど」と思うことばかりだ。
(……もっと、真剣に、学んでおくべきだったな)
リオに任せきりだった自分を少し反省しつつ、
でも――こうして教わるのも、悪くないと思った。
ふと、胸の奥がざわつく。
リオがいたら、アヤメにとって最高の師匠になったんだろうな……。
そう考えると胸が苦しくなる。
◇ ◇ ◇
夜。野宿。
焚き火を絶やさないようにし、俺とアヤメは交代で番をするつもりだった。
俺は剣を抱え、木にもたれかかって火を眺めていた。
アヤメは毛布にくるまり、寝る準備をしている。
ふと、思う。
――十五歳の少女が、
こんな森の中で男と二人きり。
抵抗とか……無いのか?
「なあ、アヤメ……その、俺と二人きりで旅してて……怖くないのか?」
アヤメは首をかしげる。
「Sランクの冒険者であるアレクス様と一緒なら、
むしろ安心かと思いますが?」
「いや、そうじゃなくてだな……
俺も男だし……その……変な気を起こしてだな……」
アヤメはようやく意味を理解したらしい。
毛布で顔半分を隠し、目だけでじろりと俺をにらんで言った。
「アレクス様。その質問……ちょっと、キモいです」
ぐっ……。
芯が強く肝も据わった娘だ。
まあ、この子なら大丈夫だろう、と妙に納得したが――
「……キモい、か」
意外と繊細な俺の心は、ちょっぴり傷ついた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
靄の残る森の中を、俺とアヤメは再び歩き始めた。
「ここは……獣道ですね」
アヤメが膝をつき、地面を指でなぞる。
「ほう。それは、どうやって見分けるんだ?」
「足跡の形と、折れた草の向きですね。それに――」
その時だった。
ガサッ、と低い藪が揺れ、
地を震わせるような重たい気配が近づいてきた。
次の瞬間、
太い牙と丸太のような胴体を持つ大イノシシが姿を現した。
血走った目でこちらをにらみ、前脚を踏み鳴らす。
今にも突進してくる――そんな距離だ。
(……まずいな。逃げ場がない)
後ろでアヤメがぶるっと震えた。
無理も無い。先日、大イノシシに殺されかけたのだから。
リオがいた頃なら、こんなのは“通りすがりの雑魚”だった。
軽くあしらって終わり。そんな相手だ。
だが今の俺は――違う。
一歩読み誤れば、そのまま死ぬ。
喉が乾くような緊張の中で、昔の記憶がよみがえる。
大学の実践講義で習った、大イノシシの対処法。
真正面からぶつかってはダメ。
突進の“溜め”を見極め、左右どちらかに強制的に体勢を崩す――。
(教科書通りにするしかない)
「アヤメ。俺が“すき”を作る。……そこを狙え」
「はい!」
アヤメは瞬時に距離を取り、矢をつがえた。
恐怖を押し込み、一拍で覚悟に変える――本当に強い子だ。
森の空気が、音を失ったように重くなる。
大イノシシが、前脚で地面をかき、後ろ脚をぐっと沈めた。
土がきしみ、空気がびりっと震える。
――来る。
◆ 戦術:基本その1
『突進を誘い、側面から射る』
俺はあえて一歩前へ出る。
「こっちだ、来い」
山道を裂くような勢いで突進してくる。
俺はギリギリで横へ跳ぶ。
土煙を上げてイノシシが通り抜けた瞬間――。
「今だ!」
アヤメの矢が、横腹の柔い部分へ深く突き刺さった。
獣が悲鳴を上げる。だがまだ止まらない。
◆ 戦術:基本その2
『方向転換の瞬間を狙う』
突進後のイノシシは必ず振り返る。
しかも大きい個体ほど、方向転換が遅い。
イノシシが体をねじり方向を変えようとした瞬間に、
一気に距離を詰める。
――ここだ。
俺は剣の柄を逆手に持ち、
大イノシシの肩口の“支点”へ正確に叩き込んだ。
衝撃で獣の体勢が崩れる。そのまま膝が落ちた。
◆ 戦術:基本その3
『崩れた体勢に、確実な追撃』
「今だ! 撃て!」
「はい!」
アヤメは息を止め、二射目を放つ。
今度の矢は、首の付け根――心臓に近い急所へ。
大イノシシは大きくのけぞり、そのまま土の上へ倒れ込んだ。
「……ふぅ……」
俺は息を吐きながら言った。
「今のが、基本的なイノシシの倒し方だ。
真正面を避けるのがコツだ。覚えておくといい」
アヤメは目を輝かせ、勢いよく頭を下げた。
「ああ、アレクス様。
イノシシを倒すなど造作もないでしょうに!」
「うん?」
「私を指導するために、
わざわざ“基本の戦い方”を見せてくださったのですね!
大変勉強になりました。
ありがとうございました!」
いや、そうでは、ないのだが……。
嬉しそうに頭を下げるアヤメを見て、否定する気にはなれなかった。
倒したイノシシは、村で高く売れるらしい。
アヤメはさっと血抜きを済ませる。その手際に思わずうなる。
「運べますよ、アレクス様。後脚をお願いします」
「ああ、任せろ」
俺は大イノシシの足をつかみ、ずるりと引き上げた。
重いが――勝てたぶんだけ軽い。
森の獣道を歩きながら、
差しこむ光が、俺たちの背中を静かに照らしていた。




