12弓刃双華(きゅうじんそうか)
スズナの先導で、俺たちは北の森をさらに奥へと進み、
霧牙の砦へと続く獣道へ入っていった。
スズナはBランク冒険者。
レンジャーとして一流、その実力はこの四人の中で間違いなくトップだ。
頼もしさというより――安心感がある。
「この草、覚えておくといいわ。獣道によく生えてるの」
「はいっ!」
「あと、足跡は“土の柔らかさ”からも新しさがわかるから……」
「すごい……そんな見方が……!」
道すがらスズナは、
アヤメにレンジャーとしてのノウハウを惜しげもなく教えていく。
アヤメはそのたびに目を輝かせ、
新しい知識をスポンジのように吸収していった。
――なんだか誇らしい。
アヤメが、どんどんレンジャーとして成長していく。
◇
夜。
森の中の小さな空き地で、焚火を囲みながら簡単な食事をとった。
炎がぱちぱちと弾け、その明かりに四人の影が揺れる。
「ええ、スズナも〈アレクス勇技総合大学〉の出身なのか?」
オルフィナが興味深そうに尋ねた。
「そうよ。五年前に卒業したわ」
「じゃあ、私たちの先輩ではないか」
「スズナ先輩……」
「その呼び方。やめて」
スズナが微妙に照れたように顔をそむけ、
俺たちは思わず笑った。
焚火のあたたかさが、胸の中まで染みていく――
その刹那。
――ビリッ。
皮膚が逆立つような、鋭い殺気が森を走り抜けた。
「……っ!」
アヤメが息を呑む。
続けざまに低い唸り声。
周囲の闇の中、赤い光点がいくつも浮かび上がる。
「狼……!」
オルフィナが杖を握りしめた。
完全に囲まれている。
スズナがすっと姿勢を低くし、俺へ問いかける。
「どうする? リーダー?」
――落ち着け。
こういう時こそ、大学で叩き込まれた“セオリー”を思い出せ。
〈アレクス勇技総合大学〉の実技で習った狼の対処法。
群れの連携、突進の癖、目の位置、距離の取り方――
「そうだな。セオリー通りに対処する」
俺は剣を抜き、周囲を見渡した。
◆ 戦術:基本その1
『最初に飛びかかってくる“突撃役”を崩す』
狼の群れは必ず、
「一頭が突っ込み、もう一頭が側面から噛みつく」
という二段構えの攻撃をしてくる。
だから――
「まずは“突撃役”を止める!」
俺が前へ踏み込むと同時に、
一頭が地を蹴って跳びかかった。
「――えいっ!」
俺の肩越しに、オルフィナの火球が正確な軌道で飛ぶ。
日頃の特訓の成果か、その一撃は突撃してきた狼の動きを見事に乱した。
ボッ!
火花が弾け、突撃役が体勢を崩して転がる。
その瞬間、群れ全体のリズムがわずかに乱れた。
◆ 戦術:基本その2
『混乱した一頭を“盾”として利用する』
(ここからが大事だ……!)
倒れた狼の首根っこを掴み、
半ば引きずるように持ち上げて盾にする。
直後――
――ガッ!
背後から突っ込んできた別の狼が、
仲間の身体に邪魔されて牙を届かせられない。
視界を遮られると連携が止まる。
“教科書でも最重要ポイントの一つ”だ。
「アヤメ、今だ!」
「はいっ!」
アヤメの矢が、混乱した狼の脚を正確に射抜く。
動きが鈍ったところへ、俺は間合いを整える。
◆ 戦術:基本その3
『最小動作で急所を突く』
(狼相手に大ぶりは厳禁。“最小の刺突”で仕留める!)
狼の注意が逸れた一瞬――
スズナが、影のように“消えた”。
速い。
踏み込みの動作が見えない。
「はっ!」
最短距離の突き。
スズナの短剣が喉元へ吸い込まれるように入り、
狼は短く鳴いて崩れ落ちた。
軽さ、鋭さ、精度。
すべてが桁違い。
(……これが、Bランク……圧巻だな)
残る一頭は仲間を失い、距離を取って怯え始めた。
「アヤメ、射界を広く取れ。追い詰める必要はない。
“リーダーを失った狼は撤退する”」
「了解です!」
アヤメが弓を構え、
俺は剣で進路を塞ぐように横へ動く。
狼は数歩後退し――
やがて闇の奥へと消えていった。
「……よし、撤退したな」
俺が剣を下ろすと、アヤメが深く頭を下げた。
「アレクス様……オオカミとの戦い方、とても勉強になりました。
ご指導、ありがとうございました!」
「Sランク冒険者が“弟子のために”教科書通りの戦い方を徹底する――
ふふ、面白いじゃない」
焚火の明かりの中で、スズナの目が愉快そうに輝いた。
◇
戦闘が終わると、スズナとアヤメは素早く倒れた狼へ向かった。
短剣を抜き、皮の切れ目を作り――そこから、するりと剥いでいく。
「狼の肉はおいしくないから食べないよね」
「はい。臭みも強いので……素材だけ頂きます」
二人の動きは実に手際がよい。
すっかり“レンジャーの先輩と後輩”という空気が出来上がっていた。
素材を袋にまとめたあと、俺たちは焚火の周りに腰を下ろす。
焚火のぱちぱちという音が、戦いの余韻を静かに洗い流していく。
アヤメの頬は赤く、しかしどこか誇らしげだった。
◇
「――実はね」
スズナが火ばさみで薪を突きながら、ふっと視線を上げた。
「ジルドに“隙あらばアヤメを勧誘しとけ”って、頼まれてたのよ。
……まったく、あの人しつこい」
「しかしだな……」
オルフィナが呆れ顔で言う。
「自分の、ええと……その、彼女?だろう?
その人に別の女を勧誘させるとは、ちょっとひどくないか?」
「ほんとよね。デリカシーのかけらもない。幻滅するレベルよ」
スズナは肩をすくめた。
そして――少し悪戯っぽい笑みを浮かべると、
隣に座る俺へ体を寄せ、太もものあたりを、そっと指先でなぞった。
「“ミイラ取りがミイラになる”ってことわざがあるでしょ?
私がこっちに乗り換えちゃおうかしら?」
「だ、だめです!!」
アヤメが跳ねるように立ち上がった。
スズナはくすりと笑って、優しく言った。
「冗談よ。あなたの“大好きなお兄ちゃん”を取ったりしないわ」
「~~っ……!」
アヤメは顔を真っ赤にしてオルフィナの背中に隠れてしまう。
……ん?
ちょっと待て。
これ、俺……もしかして、モテ期?
(いやいや、落ち着け俺……!)
鼓動が少し速くなる。だが、ここで調子に乗ったら――
『アレクス様、その勘違い、ちょっとキモいです』
これが絶対に飛んでくる。未来視レベルで確信できる。
だから黙っておくのが正解だ。
……とはいえ。
仮に本当にそんな気配があるとしても、それはあくまで――
(“Sランク冒険者アレクス”という虚像への感情であって……
本当の俺ではないだろう)
浮つきかけた心を、もう一人の冷静な自分がそっと引き戻した。




