11朝露決意(あさつゆけつい)
ごそごそ……。
物音で目が覚めた。
窓の外はまだ暗い。夜明け前だ。
昨晩は卓球ではしゃぎすぎて、部屋に戻った途端、
布団に倒れ込むように眠ってしまった。
体が軽く痛い。楽しかった証拠だろう。
(……あれ?)
隣のベッドで、オルフィナ様が静かに身支度をしていた。
湯気の残る髪を束ね、衣服もきっちり整えている。
(朝風呂に行かれる……? にしては、妙にきっちりした服装……)
オルフィナ様は、そっと扉を開け、そのまま部屋を出ていった。
――気になる。
胸の奥がざわついた。
罪悪感を抱えつつも、好奇心が勝った。
(少しだけ……後を追ってみよう)
◇
オルフィナ様は、
宿から少し離れた林の中の、木々に囲まれた広場へ向かった。
朝の空気は冷たく、霧湯の名のとおり白い靄が立ち込めている。
物陰に身を潜め、そっと様子を見る。
(こんな場所で……いったい何を?)
空は薄明るくなり始め、東の空が白んでいく。
やがて――
「……アレクス様?」
広場の向こうから、アレクス様が歩いてきた。
ふたりは近づき、柔らかく微笑み合う。
(ま、まさか……逢引き(あいびき)……!?)
胸が大きく跳ねた。
オルフィナ様は優雅で美しい大人の女性。
アレクス様も、きっとああいう方が好みなのだろう。
そう思った瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ……気がした。
(こんなの……見てちゃダメ。すぐに戻らないと――)
踵を返し、数歩進んだ、その時。
――バンッ!
空気を裂くような鋭い音が響いた。
思わず心臓が跳ねる。
(えっ……!?)
慌てて物陰から覗き込む。
◇
そこには――
オルフィナ様がアレクス様に向かって火球を次々と放ち、
アレクス様はそれを剣で弾いたり、身を翻して避けたりしていた。
その動きはまさに真剣勝負。
アレクス様が懐に入り込むと、オルフィナ様は杖を構え直す。
アレクス様が一本取ると、互いに軽く頷き、また構え直す。
その攻防を、何度も、何度も繰り返していた。
(……逢引き……なんかじゃない。特訓だ……!)
脳裏に、これまでの朝の出来事が蘇る。
オルフィナ様は時折、夜明け前に姿を消していた。
気にしていなかったが、きっと毎日こうして鍛錬をしていたのだ。
Sランク冒険者という名誉に甘えることなく、
誰にも見られないところでも地道に努力を続けている――。
胸の奥が熱くなる。
(なんて……なんて立派なんだろう)
逢引きなどと勘違いした自分が恥ずかしくなる。
(私も、負けていられない……)
アレクス様もオルフィナ様も、あれほど努力している。
ならば私も――レンジャーとしてもっと強くなりたい。
(アレクス様……オルフィナ様……
私も、必ず強くなります)
静かにその場を離れ、朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。
東の空から、ゆっくりと朝日が昇り始めていた。
◇
朝の食堂。
アヤメは、昨日の卓球大会優勝のご褒美として――
「好きなものを好きなだけ」 という権利を、早速フル活用していた。
「霧湯特製・温泉卵カルボナーラ大盛りをお願いします!」
運ばれてきた瞬間、アヤメの目が輝いた。
湯気とともに立ちのぼる濃厚な香り。とろりと落ちる温泉卵。
「……玉子と麺の調和が絶妙で、頬が落ちそうです……っ」
「たんとお食べ」
オルフィナが微笑ましそうに言う。
「おいしそうに食べるなあ」
俺も純粋に感心した。
◇
朝食後。
「さて、今日はどうしたものか?」
気がかりなのは、やはりエリオットの行方だ。
「すこし手詰まりだな……」
オルフィナが腕を組む。
しかし、その表情は何かを思いついたときのものだ。
「ここは今一度、温泉に入って頭をリフレッシュしようではないか。
きっと名案が浮かぶ」
「賛成です!」
アヤメは即答。
俺たちは再び温泉へ。
湯にゆっくり体を沈め、昨日の疲れがほどけていく。
◇
上がったあとは、浴衣姿のまま縁側で涼みながら、
よく冷えたヤギの乳をぐびぐび飲む。
そこへ、女将が軽やかな足取りで近づいてきた。
「アレクス様。お客様がお見えです」
「客?」
誰だ?
この村で俺を訪ねてくるような相手なんて――
◇
ロビーに向かうと、周囲の視線をさらいながら立つ、
美しい女レンジャーの姿があった。
「スズナ? どうしてここに?」
思わず声を上げた。
賢者ジルドのパーティメンバー――スズナ。
その口元が、柔らかく笑った。
「ふふ。温泉、満喫しているようね?」
◇
俺たちはロビーのテーブルで事情を聞いた。
「朗報よ。
――僧侶エリオットが見つかった。」
「……ええ!?」
思わず身を乗り出す。
スズナは続ける。
「あなたたちが出発してからも、
ジルドは冒険者仲間の情報網を使ってエリオットを探していたの。
そうしたら――
北方の《霧牙の砦》 で、
それらしい人物がいるとの報告が入ったのよ」
霧牙の砦――
スズナ曰く、
魔獣の類が出没する危険地帯に立つ砦であり、
普通の旅人はまず近づかない場所なのだそうだ。
「あなたたちがこの村を立つ前に知らせなければてことで、
私が使いに出されたの。森を行くのは私が速いからね」
……ジルド、なんていいやつだ。
「スズナ……ありがとな。この恩は忘れない。
すぐに霧牙の砦へ向かおう」
すると、スズナは肩を軽くすくめ、いたずらっぽく笑った。
「それと――ジルドからの伝言。
“そのまま砦までの道案内もしてこい” だって」
……ジルド、なんていいやつだ。(二度目)
いや、ここまでされると逆に気になる。
もしかして――裏があるんじゃないだろうか?
俺がそんな疑念を抱いた瞬間。
「恩は、売れるうちに売っておくつもりみたいよ?」
スズナが涼しい顔で言った。
「……読まれてる……」
完全に心を読まれた気分だ。
◇
こうして、
スズナを加えた俺たち四人は、
霧牙の砦を目指すことになった。
霧湯の穏やかな朝は終わり、
再び冒険の気配が風を走り抜けていく。




