10湯煙小憩(ゆけむり しょうけい)
昼過ぎ、長い山道を歩いた俺たちは、霧湯の村へとたどり着いた。
山に囲まれた小さな温泉郷で、
白い湯けむりが家々の隙間からゆらゆら立ちのぼっている。
村の中心部には、規模は小さいが一応ギルドがある。
いつものように大イノシシを売ったあと、俺たちはギルドに向かった。
この村のギルドは木造の平屋だ。
入口の横には畑で採れた野菜や果実酒、
湯の花を使った土産物が所狭しと並んでいる。
庭には、なぜか足湯まであった。……なにこの癒し空間。
さっそく受付で僧侶エリオットの消息を尋ねてみたが
――ここでも情報は得られなかった。
外に出ると、アヤメがぱっと顔を明るくして足湯を指さす。
「アレクス様、入ってもいいですか?」
「……まあ、せっかくだしな」
三人で靴を脱ぎ、足湯へ足を沈める。
温泉の熱がじんわりと足先から体の芯へ広がっていく。
売店で買った名物・温泉まんじゅうを一口食べると、甘さが疲れた体にしみた。
「どうしたものか……」
俺がつぶやくと、
「今少し、聞き込みをするか……ふぅ……」
オルフィナは気持ちよさそうに目を閉じていた。
「もぐもぐもぐ」
アヤメは、まんじゅうと真剣勝負中である。
もはや聞く耳は持っていなかった。
◇
ひと息ついて、改めて村の中を回って聞き込みをした――が、成果はなかった。
仕方なく、その夜は温泉宿に泊まることにした。
霧湯の村には小さいながらも温泉宿がいくつもあり、どこも風情がある。
俺たちは川沿いに建つ宿を選び、カウンターで手続きを済ませた。
宿の女将が丁寧に説明を始める。
「こちらの村では、
温泉のあとに“浴衣”という衣装を着ていただくのが通例でして。
大変着心地が良く、湯上がりに最適なのです」
「ほう……“ゆかた”というのか?」
聞き慣れない単語に、俺は思わず首をかしげる。
どうやら、この村独自の“湯上がり用の衣装”らしい。
「さて、温泉は露天風呂になっております。
あちらが男湯、こちらが女湯。
それから、カップルのお客様向けに“個室風呂”も――」
「カップル用個室風呂!?」
思わず二人の方を見る。
同時に、冷たい視線が突き刺さった。
「アレクス、その表情、キモいぞ」
「はい。アレクス様、キモいです」
「まだ、なにも言ってないだろ!?」
ひどい。心外すぎる。
◇
夜。
俺は露天風呂にひとり浸かり、月を見上げていた。
白い湯けむりが夜気に溶け、湯面には月がゆらゆら揺れている。
隣の女湯からは、オルフィナとアヤメの楽しげな声が聞こえた。
(……ついこの間、グリフォンに追われて死にかけたんだよな、俺)
こうして温泉でのんびりしている自分が、少し信じられなかった。
湯から上がり、宿の廊下で浴衣に袖を通す。
薄手なのにしっかり暖かく、肌触りも柔らかい。
「おお……これは、いいな」
感心しながら歩いていると、
向こうから二人がスリッパを引っ掛けながら近づいてくる。
「アレクス、どうだ? 似合うか?」
オルフィナが浴衣の裾を軽くつまんでくるりと回った。
落ち着いた柄が妙に似合っていて、大人の色気が増している。
アヤメは袖を大事そうに押さえ、こちらを見上げている。
いつもの実戦服とはまるで違う、年相応のかわいらしさが際立っていた。
一瞬、言葉が出なかった。
「……ああ。二人とも、とても似合ってる」
二人は顔を見合わせ、どこか満足そうに微笑む。
(……まあ、こういうのも悪くないな)
そんなことを思いながら、俺は湯上がりの夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。
◇
夕食を思う存分楽しんだあと、部屋へ戻ろうとしたところで――
宿の女将がにこやかに声をかけてきた。
「食後に、“温泉卓球”などいかがでしょう?
小さな球を打ち合う、当館自慢の娯楽でございます」
「温泉卓球……?」
聞いたことのない遊び。
だが、湯上がり特有の妙な高揚感もあって、興味がそそられる。
「おもしろそうだな」
俺たちは、温泉卓球なる謎の娯楽を試してみることにした。
案内された広間には、腰ほどの高さの長い台が置かれ、
真ん中には細い網が張ってあった。
「こちらが卓球台でございます。
球を打ち返し、相手の台に入れば得点となります」
若い女中が丁寧に説明しながら、実演してみせる。
「ではまず、ラケットの持ち方から――」
女中は慣れた手つきで、ひょいと球を打ち返した。
軽く手首を返しただけなのに、球は台の上を滑らかに跳ねていく。
(な、なんだこの滑らかさ……)
「はい、皆さまもどうぞ」
ラケットを渡され、俺たちは“とりあえずそれっぽく”構えてみた。
……が。
実際に打ってみると、思っていたより遥かに難しい。
球はあらぬ方向へ飛んでいき、まともに返球すらできない。
俺たちは台の周囲を走り回りながら球を拾い、
まるで新しい訓練を受けているようだった。
だが――不思議と楽しい。
◇
しばらく三人で練習していると、オルフィナが息を整えながら口を開いた。
「……よし。そろそろ勝負をしようではないか」
「勝負?」
アヤメが顔を上げる。
「明日の朝飯を賭けて勝負だ。
勝った者には、好きな料理を好きなだけ注文してよいということでどうだ?」
「受けて立ちましょう、オルフィナ様!」
アヤメの瞳がキラキラと輝く。
こうして――
温泉宿の一室で謎の闘志を燃やした三人による、
“霧湯卓球戦争”が始まった。
◆1回戦 魔法使いオルフィナ vs レンジャーアヤメ
広間に、妙な緊張が走る。
「いくぞ、アヤメ! 星霜を裂く、千古の一閃――!」
オルフィナの豪快なサーブが台に当たった、その瞬間。
ピシッ。
アヤメの目が鋭く光った。
「今です!」
スパァン。
アヤメのラケットがしなり、球を斜めに切り返す。
打球は驚くほど滑らかな弧を描き――
コトンッ。
オルフィナのコートへ静かに落ちた。
「……え?」
オルフィナと俺は、同時に声を漏らした。
「なるほど、コツがつかめてきました」
獲物の動きを読む時と同じ、あの目だ。
やはりこの娘、只者ではない。
◇
二球目。
「はっ!!
我が魔導、いまこそ汝へ――紅蓮弾!!」
勢いよくサーブが着弾する――が。
パシッ。
アヤメは冷静に打ち返し、球はオルフィナの台の端をかすめて綺麗に落ちた。
オルフィナは震える指で球を拾い上げる。
「ば、馬鹿な……私の紅蓮弾が、こんな簡単に……?」
その後もアヤメに押し切られ、オルフィナはストレート負けを喫した。
「試合終了――勝者、アヤメ!」
「やった……勝てました!」
アヤメが嬉しそうに拳を握る。
一方、オルフィナは――
「……ま、負けた……魔導の申し子たる私が……卓球で……」
中二心が粉砕され、しばらく動かなかった。
◆2回戦 戦士アレクス vs レンジャーアヤメ
「こんなに早く師弟対決が実現するとはな」
「はい。アレクス様、胸をお借りします!」
アヤメは元気よく構える。
その目は真剣そのもの――狩りの時と同じ集中の眼だ。
完全にスイッチが入っている。
◇
第一球。
俺は慎重にサーブを打つ。
ポンッ。
無難に台へ収まった――はずだった。
「……ふっ」
スパァン。
アヤメがまるで矢のような速度で打ち返す。
「うおっ!?」
俺は慌ててラケットを出すが、球は台の端へコトリと落ちた。
「ポイント、アヤメ!」
審判役に回ったオルフィナの声が響く。
◇
第二球。アヤメのサーブだ。
「いきます!」
トンッ。
軽い音とともに球が跳ねた瞬間――手首がわずかに返る。
(変化球!?)
球は予想外の方向へ曲がり、俺のラケットは空を切った。
パシッ……コロコロ……
「ポイント、アヤメ!」
◇
その後もアヤメの勢いは止まらなかった。
俺が出す球は、まるで狩られる獲物。
アヤメの返球は常に鋭く、正確で、きれいに台へ沈む。
笑顔で返してくる姿は可愛いが――
球はまったく可愛くなかった。
「……試合終了! 勝者、アヤメ!」
「はぁ……完敗だ……」
俺はラケットを下げて項垂れる。
アヤメは嬉しそうに駆け寄ってきた。
「アレクス様! すごく楽しかったです!」
その背後で、オルフィナがぽつりと呟く。
「……アレクス……魔導の力でも……卓球はどうにもならなかった……」
背中から漂う哀愁がひどかった。
夜の温泉街には、湯けむりが静かに流れていく。
こうして――
霧湯卓球戦争は、アヤメの二連勝で幕を閉じた。




