第10話 古びた旅館でよくある怪談の類と思えば
魔導人形に案内された部屋の扉を開けた瞬間、知千佳はその場で硬直した。
さすがにこんな怪しい塔の中で別々になるのは問題なので、夜霧と知千佳は同室になったのだが、そこは大きめのベッドが一つあるだけのこぢんまりとした部屋だったのである。
「高遠くん。念のために言っておくけど、二人っきりじゃないからね。もこもこさんも……って、もこもこさん!?」
我に返った知千佳は慌てて釘を刺そうとして、もこもこがいないことに気付いた。
「いないね」
「いつも鬱陶しいぐらい目の前をちょろちょろしてんのに、こんな時だけいなくなるんかい!」
知千佳は慌てて部屋を見回した。
いた。
もこもこは半分壁にめり込んでいた。
「って、何やってんの!」
『うむ。我がおってはやることもやれんようだしな。気を利かせて姿を消しておこうと思ったのだが、ちょっとばかり興味はあるので、こうやってこっそりと覗こうと思ってだな』
「中途半端だな!」
『我のことは気にするな。ほれ、古びた旅館でよくある怪談の類と思えば』
「気になって仕方ないわ! って、高遠くんはなんで脱ぎだしたの! 気が早すぎない!?」
もこもこと言い合っている間に夜霧は部屋の中に入っていき、制服を脱ごうとしていた。
「ん? パジャマに着替えるんだけど」
知千佳たちはほとんど手ぶらでここにやってきている。他の参加者も似たようなものなのか、部屋にはパジャマや下着が用意されていた。
『ほほう? 満更でもなさそうではないか?』
「何が!?」
『拒絶はしておらんではないか? 気が早いということはだ。ゆっくり、たっぷり、ねっとりと時間をかければいいということなのだろうが? ん?』
「もこもこさんはもう黙ってて!」
『まあ、その気がない者を煽ったところで仕方ないのだがな』
もこもこがベッドを指差す。
夜霧はさっさと着替えをすませてベッドに入り、すでに寝息を立てていた。
「なんなんだこの男は……私に興味があるのかないのかどっちなんだ……」
知千佳は一人で騒いでいたのが馬鹿のように思えてきた。
いつまでも入り口で突っ立っていても仕方ないので、知千佳もベッドに近づき勢いよく腰掛ける。
ベッドは大きく揺れたが、夜霧はぐっすりと眠ったままだった。
『ま、それはさておきだ。この塔は何やら怪しいな』
「そりゃ私にもわかるけどね」
『仕掛けなどもそうだが、そういう物理的な問題ではない。実はな、ここに来てからこの塔は、我を連れ去ろうとしておるのだ!』
「……こんなの連れ去ってどうするつもりなんだろう……」
もったいぶって話すもこもこだが、知千佳が気になったのはまずそれだった。
『少しは心配してくれんと話を続けづらいのだが?』
「えーと、感情的にはどうでもいいって思ったけど、実利的にはもこもこさんがいなくなるとちょっとまずいよね」
『う、うむ。それでだな。この塔は死者の魂を一カ所に集めようとしているようなのだ』
「え? それって大丈夫なの?」
もこもこのことはともかくとしてそれが意図的なものなら、ずいぶんと邪な企みのように知千佳には思えた。
『我ぐらいになればこの程度はどうということもない。が、いろいろときな臭い。十分に気を付けるがいい』
「気を付けろって言われてもなぁ」
そう言われても、漠然としすぎているし、今できることは特にない。
ちらりと夜霧を見る。まったく無防備なあどけない寝顔をしていて、知千佳は少し可愛いと思ってしまった。
「ま、それはともかくとして」
夜霧が寝ているとはいえ、この場で着替えていいものかと知千佳は悩みはじめた。
*****
受付で鍵をもらい、案内された部屋に入ったライニールは、何もせずにじっとしていた。
余計なことをすればまた不運な目に遭うかもしれない。被害を最小限にするには、何もしないことだと、ライニールはこれまでの人生で学習していた。
夕食がサービスされると聞いても断っていた。ライニールが食中毒にかかるのはしょっちゅうだし、これまでには何かの手違いで毒が入っていることすらあったのだ。
大きめのベッドが一つあるだけのこぢんまりとした部屋だ。ライニールはベッドに腰掛けて、ただ時が過ぎるのを待っていた。
視界の端に常に表示されている時刻を確認する。
23時50分。
もう少しで日付が変わるが油断はできなかった。部屋に閉じこもっている程度で安全なら、これまで何度も死に戻ったりはしていない。
この試練に挑みはじめてから、死んだのは十五回。そのたびに王都に戻ってしまい、ようやくここまで辿り着いた。
なぜ死ぬとわかっていてわざわざこの地にやってくるのか。その理由は簡単で、王都にいても死んでしまうからだ。
それは、死を具現化したような存在だった。
人の形をした、人ではないもの。
禍々しいまでに黒く、全身に刃を備えたそれは殺意の塊だった。
どこに逃れようと、ライニールは必ずそれに殺される。
だが、ここに来れば、それに殺されることだけはなかった。
どうやら、この地にある結界は、その何者かの認識を阻害する効果があるようなのだ。
「いい加減セーブポイントを更新してもらいたいんですけどねぇ」
だが、死に戻り地点は女神のさじ加減一つなので、ライニールにはどうしようもないことだった。
ベッドに腰を掛けて待つ。
0時0分。何事もなく日付が変わり、視界の端にメールアイコンが点灯した。
いつものことなので、メールは確認せずに、ポシェットを確認する。これは星結晶専用の魔法のポシェットだ。星結晶しか入れることはできないが、見た目よりも中は広くなっている。
中にはじゃらじゃらと大量の星結晶が支給されていた。だが、ライニールは首をかしげた。今日の不幸度合いに見合わない量だったからだ。
なので、ライニールはメールを確認した。
・【お詫び】ゲームバランスを著しく損なうステータス異常について
・【お知らせ】サービス開始二十周年記念プレゼント!
・【お知らせ】二十周年記念、UR確定ガチャ開催!
この世界に転生してもう二十年が経つらしい。
お知らせを読んでみれば、二十周年記念で星結晶が八十個も支給されていた。お詫びが二十個なので合計百個の大盤振る舞いだ。
UR確定ガチャも開催されるとのことで、ライニールは早速やってみることにした。ちなみにレア度は、C、R、SR、SSR、URの順に高くなる。
ライニールは、ポシェットから五個の星結晶を取り出し、握りしめて念じた。
すると、目前の空間が突然輝きだした。
あまりのまばゆさにライニールは目を閉じた。初めての経験だが、これこそがUR確定の演出なのだろう。
光がおさまると、ライニールの目の前に女が立っていた。
女は豪華な衣装に身を包みながらも、豊満な体を露出過多気味に見せている。
全身は黄金に輝いていて、周囲にキラキラとした何かが舞い散る謎のエフェクトまでも発生していた。
まさにURに相応しい偉容といえるだろう。
だがライニールは、その女にありがたみというものをまるで感じていなかった。
「ああ……なんとかぐわしきあの方の匂い……まるであの方に抱かれているかのよう……」
女は、ライニールのことなどそっちのけで恍惚とした表情になっていたからだ。
それにその女には見覚えがあった。彼女は、ライニールをこの世界に転生させた女神だったのだ。
「あの……」
黙っているといつまでも放置されそうな気がしたので、ライニールは恐る恐る女神に話しかけた。
「あ、ごめんね。ついこの匂いを胸一杯に吸い込むのに夢中になっちゃって」
深呼吸していた女神が、ライニールに向き直った。
「どういうことなんですか? あなたがあらわれるなんて」
女神とは前世で死んだ時に会って以来だった。たまに生き残るためのヒントをもらうこともあるが、その程度の関係だ。
「ああ! それは簡単。単にここに来てみたかっただけ。すぐ帰るから」
「あの、URの仲間は……」
ライニールは淡い期待を込めて聞いた。
「ごめんねー。ぬか喜びさせちゃって。これ写し身だからほとんど力がないのよぉ。それにリソースのほとんどを演出に割いちゃってるからさぁ」
「演出ってそのキラキラ輝いたり、羽衣みたいなのがふわふわしたりしてるやつですか……いえ、それはいいんですが、だったら最初からそう説明してもらったら……」
期待せずにすんだのに。そう思うライニールだったが、表だっては言えなかった。
「建前って必要なのよ、システム上はね。私から無理矢理ここに来たら奴らに絶対気付かれるし、全てが台無し。あなたに召喚されたって形式を取ることでいろいろ潜り抜けてるわけ」
よくわからなかったがライニールはそういうものだと受け止めた。
「確かにわけのわからない奴が追ってくることはなくなったんですが、この後はどうしたらいいんですか?」
「好きにしたらいいんじゃない? 力は与えてるんだから、それを駆使して異世界生活をエンジョイしたら?」
「力って千鳥足の漂流者ですか? これ、毎回状況がちがうから、前回の知識がまるで役に立たないんですけど。今回だって、前回とは違う人と同行しましたし」
星結晶はあくまで運勢に対する補償でしかない。ライニールが転生時に与えられた力は、死ぬたびに少し前からやり直せる能力だった。
「もちろん、同じ状況を何度もやり直すってタイプの力もあるけどさ。この手の力ってよほどうまくやらないとすぐに詰むよ? こっちの方がまだましだと思うけどね。何度も繰り返せば、初期配置がいい感じになってうまく生き残る可能性があるし」
「その、ここに行けって言ったのはあなたですよね?」
ライニールは、フレデリカに同行することを勧められたのだった。
「別に? ヒントを与えてるだけだし、どうするかは自由だよ?」
本当にそうなのだろうか。のんきなライニールも、女神のヒントとやらは単なる誘導ではないかと思いはじめていた。
女神はここに来たかったのだ。
だが、その理由まではわからないし、ライニールを利用する意図もわからなかった。
「ま、それじゃ困るっていうなら、こんなとこまで来たわけだし、とりあえず聖王の騎士でも目指してみたら?」
「そんな無茶な。だったらやり直しますよ。この塔だって危険だらけじゃないですか」
確かに禍々しい殺戮者に殺されることはなくなったが、この塔の危険もさほど変わらないだろう。場所が限定されてしまっている分状況は悪化しているともいえる。
「あ、それもう無理。私が観察した時点でここまでの状況は確定しちゃったから。つまりセーブポイントはこの部屋ってことね」
「そんな……」
ライニールは愕然とした。これではこの塔に閉じこめられたも同然だ。
「じゃあね。この体は置いていくから。数時間で分解するけど、それまでは好きに使っていいよ」
「どういうことですか?」
「この世界に物を送り込むのは比較的簡単なんだけど、持ち出すのは難しいのよ。だからこの体は遠隔操縦してるわけ。じゃ、そういうことで」
言いたいことは全部言ったのか、次の瞬間、女神の体は糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。
死んだわけではないようだが、そこに女神の意思はない。ただ肉の塊が残されているだけだった。
*****
魔導人形は、ぼんやりと輝く壁面を見つめて首をかしげていた。
試練の進捗に大きな問題はなく、緊急に対処すべき案件はない。だが、気になる点がいくつか存在したのだ。一つ一つは取るに足らなくとも、あまりに重なりすぎるとそれはそれで問題となってくる。
ここは塔の地下だ。
十メートル四方ほどの石造りの部屋で、一面が大きく開口している。そこからは峡谷を、魔神とその眷属の姿を確認することができた。この部屋は崖際に存在しているのだ。
月明かりが入ってくるとはいえ部屋の中は薄暗い。だが、壁面に映し出される映像がうっすらとあたりを照らしていた。塔内部や結界の状態についての情報がそこに表示されているのだ。
ここは塔の全てを制御する中枢であり、魔神封印結界の要となる場所だった。
「どんなもんだよ?」
そこに老爺、剣聖があらわれた。
「選定の進捗は順調です。ですが、気になる点がいくつか。まず第一結界の外側の状況です。複数の何者かの動きが見られました。詳細は不明です」
第一結界は塔周辺を覆う大規模なもので、塔と魔神の存在を隠蔽していた。
結界内部からも外部を窺い知る術はなく、定期的な偵察によって周辺状況の監視を行っている。魔導人形を送り込んでいるのだが、周囲をうろつく者がいる以上のことはわかっていなかった。
「そりゃ様子を見るしかないな。ただの通りすがりってこともあるしよ」
だが、人里離れた峡谷に無目的でやってくる者はいない。警戒の必要はあるだろう。
「次に塔の内部ですが一日目の死者が普段よりも多いです。これは、大部分が轟剣位のテレサ様によるものです」
「あいつに参加を許した時点でこうなることは予想できたけどな。が、どうせほとんどは死んじまうんだ。遅かれ早かれってこったろ」
「なぜ、こんな面倒なことをするのでしょうか?」
魔導人形は、以前から疑問に思っていたことを訊いた。
結界の維持のためにはソウルが必要であり、ソウルを得るには塔内部で人が死ぬ必要がある。ならば回りくどいことをせずとも、塔に入れた時点で皆殺しにしてしまえばいいはずだ。
「毎回ほとんど死んじまうから、ソウル集めだけが目的だと思ったのか。別に皆殺しにするために試練をやってるんじゃねーぞ? 単にほとんどの奴らがふがいなくて、結構な数が勝手に死んじまうから結界の維持に丁度いいってだけなんだよ。で? 普段よりも多いぐらいが問題とは思えんが」
「そのテレサ様が死にました」
「誰が死のうとお前が気にするこっちゃないだろ?」
「はい。ですが、数値が合わないのです。回収されたスピリットの中にテレサ様と思しきものが含まれておりません」
「……ふむ。死んだのが本当なら、塔が吸収する前に、ゴースト化したのかもしれんな」
ソウルが身体を駆動するためのエネルギーだとすれば、スピリットは精神を司る司令塔だと言われていた。どちらも死後拡散するのだが、スピリットはそのままの形で残ることもあり、それは高位の魔術師や剣士の場合に起こることが多かった。
「テレサ様の死体は確認しておりますが、死亡原因はわかりません」
この部屋で塔の現状を知ることはできるが、過去に起こった出来事までは把握できなかった。
「今のところは、結界維持に必要なスピリット量には余裕があります。ですが、今後も同じようなことが続くとすれば、危うくなるかと」
質のよいスピリットは、ソウルの力を何倍にも高めることができる。結界を維持するために不可欠な要素だった。
「現時点で数年分の貯蓄はあるんだ。今すぐ問題ってことでもないな」
「いえ。慎重を期すに越したことはありません。それと、第一結界用の半魔の数が心許ないです。補充が必要かと思うのですが」
「ふむ。そういや、得意気に魔法を使ってた奴がいたな。あれは半魔の代わりに使えるんじゃないか?」
剣聖が言っているのは、屋上で魔神に魔法を放った少女、フレデリカのことだ。名のある貴族の一人娘で、膨大な魔力を持て余しているらしい。王都で数々の騒ぎを起こし、結界から逃れ出た眷属をも倒したという噂はこんな寂れた地域にいても聞くことができた。
魔導人形はフレデリカの現在位置を確認した。
フレデリカは八十階で休息していた。塔は百階層からなり、一階まではまだまだ遠いが、順調に試練をクリアしているようだ。
「どういたしましょうか」
「とりあえず選定は続けるが、死にそうになったら回収しろ。生きてりゃ使えるだろ。で、他の気になる点ってのは?」
「はい。塔内部への侵入者がありました。召喚術によるものです」
「それは結構大事な気がするんだが、気になるって程度なのか?」
「はい。召喚されたのは特に力を持たない女の体で、術者は性行為に及んでいます」
「たいした度胸だな。この状況で、そんなことのために召喚かよ」
剣聖は感心したように言った。召喚はそう簡単にできることではなく、膨大な魔力を必要とする。それをたかが性欲の発散のために使うとは思わなかったのだろう。
「塔内部で気になる点はあと一つ。マスターが参加者の中にいます」
「ん? お前のマスターは俺だろうが?」
「いえ。私の制作者、大魔道士イグレイシア様です」
「そいつ、千年前に魔神と戦ったって奴だろ。まだ生きてんのか?」
「詳細はわかりませんが、私がマスターを見間違えることはありえません。金のローブを纏ったお方です」
「ああ! トンチキな奴が来てると思ったらあれがそうなのか? 来る者は拒まずとは言ってんだけどよ。聖王の騎士の選定だってわかってんのか、こいつら?」
剣聖が呆れたように言う。
魔導人形が見たところ、参加者の中で純粋に剣士といえるのは半数程度だ。実力があるならどのような素性であろうと問題はないが、剣もろくに使えないのに騎士を名乗られても困るというところだろう。
「最後に魔神の眷属について。ユニーク個体が第二結界を抜け出ようとしています。境界突破予想時刻は三日後の正午です」
魔神を封じているのが第二結界で、中心部の封印効果が最も大きくなっている。つまり周辺部の封印効果は中心ほどではなく、そこにいる眷属はいずれ結界から抜け出てくるのだ。
そのための聖王の騎士だった。結界から逃れ出る眷属を倒すのが務めだ。そして、剣聖は騎士の頂点に立つ者だった。
「呼ぶ準備をしとけ」
聖王の騎士は有事に、この結界内へと召喚される。塔に溜められた膨大な魔力がそれを可能としていた。
「そうだな。眷属と戦いたくて、聖王の騎士を目指してる奴らがここにはごまんといるんだ。そいつらにとっては初仕事ってことになるな」
「試練に手心を加える必要は?」
「試練で死ぬ程度の奴なんか役に立つかよ」
眷属との戦いを有利にしたいなら合格者を増やせばいい。魔導人形はそう思ったのだが、そんな意見はあっさりと一蹴された。
剣聖が大きく作られた開口部へと向かう。魔導人形はその隣に立った。
剣聖が見ているのは、峡谷が球状に抉られた空間だ。その中心部に、魔神と聖王がいる。
そして、その周囲には魔神と共に戦っていた眷属共も存在していた。
その動きは目に見える程ではない。だが、確実にこちらへと近づきつつあった。
「人型か。面倒だな」
剣聖がぼそりとつぶやいた。
それは笑っていた。
最もこちらに近づいているそれは、人の形をした何かだった。




