第10話 あいつら、コミュニケーション能力に難があってな
鳳春人が目覚めると、そこは液体の中だった。
慌てて水面を目指そうとするも、すぐに天井にぶつかる。
そこは密閉された空間で、液体が満たされているのだ。
春人は、このままでは溺れてしまうと恐慌に陥った。
だが、いつまで経っても息苦しくはならない。考えてみれば、寝ている間中ずっとここにいたのだから、当然のことだった。
落ち着いてくると周囲の様子もわかってくる。
円筒状の、透明な容器に入れられているようだった。
外を見てみれば、同じような円筒がいくつも並んでいて、中に何かが入っている。
春人は自分の身体を確認した。
裸だ。そして、怪我をしていないことに気付いた。
春人は、大怪我をしていたはずなのだ。全身が焼け焦げて死にかけていたはずなのに、完治しているようだった。
円筒状の容器は治療に用いるものなのかもしれない。そう考えた春人は、自分が眼鏡をかけていないのに、周囲の様子がよく見えていることに気付いた。
春人は極端な近視だったのだが、どうやらそれも治療されているらしい。
――どういうことなんだ?
この状況でじたばたしてもはじまらない。春人はここに至るまでの記憶を探ることにした。
幸い、春人にはコンサルタントクラスの問題解決スキルがある。
これは、世界の記録にアクセスし情報を参照する力だ。自分に何が起こったのかを後から知るぐらいのことは、簡単なはずだ。
魔界地下深くでの殺し合いの最中、さらなる深みから肉のようなものがあふれ出してきた。
春人はそれを、生来持っていた飛行能力で回避した。春人は翼を持つ鳥型獣人一族の末裔だったのだ。
状況が変わったと考えた春人はそのまま上昇し、魔界を脱出しようとした。
そこで何かに巻き込まれ、大怪我をしたようだが、そのあたりからの記憶は曖昧だ。
なので、ここからはギフトの出番となる。
問題解決スキルを使おうとして、春人はとまどった。
システムメニューが視界に表示されないのだ。
――まさか……それも治療によりなくなったのか?
すでに当たり前の存在になっていたものが見えなくなっている。
それは、これまでにないほどの不安を春人に与えた。
ごぼり、と音がした。
水位が下がっていく。排水しているのだろう。
春人は床に下り立ち、膝を突いた。足の筋肉がなまっているようで、うまく力が入らない。
排水が完全に終わったところで、円筒形の容器が上へと移動していった。
――出ていいということか?
春人はよろりと立ち上がり、ふらふらと歩きだした。
「ようやくお目覚めのようだな」
どこからあらわれたのか、春人の目の前には黒いスーツを着た細身の男が立っていた。
「ごほっ」
春人は喋ろうとして、肺に溜まっていた液体を吐いた。
「ああ、無理をしなくていい。なんなら言葉を使わなくてもいいんだが。……せっかく覚えたことだしな。日本語で会話をしてみようじゃないか」
「あなたは、何者ですか?」
ていねいに問いかける。まだ何もわからないのだから、慎重に接するべきだと春人は判断した。
「神だ。固有名はザクロ。が、春人の言語体系の中で似たような言葉を探すとそうなるというだけだな。別に上位存在ぶるつもりもないし、見下すつもりもない。まあ、すごい力を使える人間の姿をした何か。そんなものだと考えておけばいい」
神と言われてもそう簡単に信じることはできなかった。目の前にいるのは人間の男にしか見えず、すごい力とやらも目の当たりにしたわけではないからだ。
「ここはどこですか?」
「ここは俺の船の中だ。今は亜空間に潜行している」
「私は、なぜここにいるのでしょうか?」
「手下が連れて帰ってきたんだ。春人は大火傷をしていてな。そのままじゃ死にそうだったから治療してみたってわけだ」
助けられたのは確からしい。
だが、神を名乗る存在に、春人を助けるべき理由があるのかと疑問に思ってしまう。
「そう難しく考えるなよ。死にそうな奴がいて、助ける手段があり、コストもたいしてかからないなら、とりあえず助けるだろ?」
春人は、ひとまずは納得した。だが、とりあえず助けただけなら、すぐに見捨てることもあるだろう。用心はしておくべきだった。
「それで、私はどうなるんですか?」
「恩着せがましくて悪いんだが、少しばかり手伝ってくれないか? 手下が使い物にならなくてね。困っていたんだよ」
「手伝い、ですか? 私に何ができるとも思えないですが」
「俺の手下だが、コミュニケーション能力に難があってな。捜し物には本当に向いてないんだよ」
「私に何かを捜せと?」
「春人にインストールされていた戦詩のクライアントだが、古いバージョンに独自要素を付け加えたものだった」
春人はすでに調べ尽くされているようだった。
名前が知られているのはそのためだろう。
「主上がいなくなった時期と、このバージョンが発表された時期が近いんだ。この世界で戦詩を広めたのは主上かもしれない。まあ、牽強付会かもしれないが、一応は調べておきたいんだ」
「ご自分では捜されないのですか? あなたならコミュニケーション能力もありそうですが」
「行きたいのはやまやまなんだがな。俺が行くと世界に影響を与えてしまうからそう簡単に出ていくわけにもいかないんだよ。行くとするなら、全てが判明した最後の局面でということになるだろうな」
彼自身が直接出ていくことはできず、手下も頼りにならない。そこで、春人を利用しようと考えたのだろう。
「主上というのが捜している方なのですか?」
「そうだが、これ以上は協力の同意を得られてからだな。どうするかはゆっくり考えてくれたらいい。まずは拾った場所に返してやろう」
春人は意外に感じた。わざわざ治療して利用するつもりなら、逆らえないような手法を取るかと思っていたのだ。
「うちは自由意志についてうるさくてね。強制すると面倒なことになるんだよ。このルールのおかげで手下どもに、この世界の言葉を学習させることもできないんだ」
ザクロが何かを放ってきたので、春人は掴んだ。小さなカプセル状の物だった。
「申し訳ないが、春人にインストールされていた改造クライアントは、治療の過程でウイルスとして削除されてしまった。それは代わりだ。飲めば、最新のクライアントをインストールできる」
再びインストールするかは、春人の意志に委ねられているのだろう。
「落ち着いたころに手下を向かわせる。返事はその時に聞かせてくれ」
そして、男は消え、床も消えた。
周囲にあった何もかもが、全て一斉に消え失せたのだ。
春人は、強烈な加速度を感じていた。
ごうごうと風が吹き荒れている。
春人は、落下していた。
唐突に、空中へと放り出されたのだ。
「くそっ!」
春人は、背中から翼を出現させた。
大気を掴み、落下を制御する。
突然のことに慌てたが、かろうじてことなきをえた。
ここで慌てふためいていれば、あっというまに墜落していたことだろう。
ゆっくりと下りていくと、王都が見えた。
それは、異様な光景だった。
赤黒い肉で街が埋め尽くされていたのだ。
――あの肉は魔界からあふれ出したのか……。
ぴくりとも動いていないので死んだのかもしれないが、もう王都は使い物にならないだろう。
春人は、王都から少し離れた森の中に下りたった。
「さて。どうしたものかな……」
春人は裸だった。
持っているのは、ザクロからもらったカプセルだけ。
この状態からどうにかして服を手に入れる行程を思い描くと、なんともやるせない気分になってきた。




