第9話 すまんなぁ。お腹が減ってたみたいやね
デイヴィッドは、王都南中央門警備隊の副隊長だ。
その職責は南中央門近辺の警備であり、門の外側もある程度は担当範囲となっている。
なので、そこにあふれる人々を導くのも業務の一環ではあるのだろう。
だが、王都がわけのわからない腐肉で満ち、そこにいた人々がほとんど死に絶え、命からがら逃げ出した人々を相手にいったい何ができるのか。
これは、たかが警備隊副隊長の責任を超えた事態だ。
だが、デイヴィッドは逃げなかった。
それは曲がりなりにも王家の末席に連なる者であるという自負があったからだ。
王都に暮らしていた人々の数から考えれば、生き残ったのはごく少数だ。だが、元々の人数が莫大なだけあって、門周辺にたむろしているだけでも数え切れないほどの人数になっていた。
ほとんどが着の身着のままで、わけもわからず途方にくれている。
このままではまずいと考えたデイヴィッドは、王都近隣の街へとやってきた。
いきなり大勢で押しかけるわけにもいかないので、まずは一人で交渉に来たのだ。
難民を受け入れてもらえないか。それが無理なら野営に関する設備や、食料などを提供してもらえないか。
それらの提案は、案外すんなりと受け入れられた。
その街が裕福なほうであったこともあるし、第三王子であるリチャードの紹介があったことも幸いしたのだろう。
夜霧たちと別れたあと、デイヴィッドはリチャードに遭遇したのだ。
リチャードは王城にいたが、肉の勢いを押しとどめることができず、屋上から脱出してきたとのことだった。
今はリチャードも別の街へと交渉へ行っているところだ。
「が、まあ、それはそれとして、どうしたものだろうね」
王都への帰路についたデイヴィッドはぼやいた。
王都周辺の街を総動員すれば、生き残った者たちはとりあえず雨露を凌げるだろう。
だが、マニー王国でもっとも栄えていた王都が壊滅したのだ。
国家としての弱体は否めないだろう。
そうなると、これを機に戦端を開こうとする国家があらわれないとも限らない。
現にアルガンダ帝国は、周辺国家を次々に飲み込んでいて、マニー王国に攻め込んでくるのも時間の問題だとされていた。
――そういえば、夜霧たち賢者候補が達成するべき偉業には、アルガンダ帝国の侵略を阻止するというのも含まれていたな。
賢者が死に、偉業についてはうやむやになったようだが、アルガンダ帝国の動向は気になるところだった。
――それに魔界がなくなったのだとしたら、支援金が途絶えるのも困ったところだ。
マニー王国は、国土の広さに対して、有効利用できる土地が少ない。それでもそれなりに栄えていたのは、魔界を封じることに対して周辺国家からの支援があったからだ。
何にしろ、マニー王国の先行きは暗い。
デイヴィッドは、暗澹たる気持ちで俯きがちに歩いていたが、叫び声が聞こえて顔を上げ、信じられない光景に目を疑った。
遠目に見ても巨大な狼が、城門付近にいる人間に噛みついているのだ。
「あれは……侵略者か!」
王都には、賢者サンタロウによる加護があり、古の大魔導師が築いた城壁があり、城壁内は王族の封印の力で守られていた。
それ故に、王都の人間は侵略者に対しての警戒が疎かになっていた。
賢者が死に、城壁の防御が崩され、王族が減ったのだ。警戒してしかるべきだった。
なのに、王都の人間たちは、侵略者のことなど忘れさっていたのだ。
デイヴィッドはその侵略者を見た瞬間に、勝ち目などまるでないことを悟っていた。
何をしようと無駄なのだ。
注意を引きつけて一人でも逃がそうと突っ込んでいったところで、あの狼は毛ほどの注意も払わないだろう。
ただ、淡々と己の欲望を満たすべく人々を喰らい続けるはずだ。
では一人で逃げだせばいいのかといえば、それも無理だろう。
当然、人々は蜘蛛の子を散らすように逃げだしている。
だが、狼は、そんな人々の前に先回りして喰らっているのだ。
瞬間移動のごとき速度で動き、逃げだす者を優先的に襲っている。
そして狼は、デイヴィッドの存在にも気付いていた。
数多くいる獲物の一匹と認識しているのだ。
「こんなことなら、無理にでも夜霧たちについていけばよかったかな」
そう言いつつ、デイヴィッドは剣を抜いた。
勝ち目はない。
だが、だからといって何もせずにはいられなかった。
少しでも攻撃が通用しそうな場所を探す。
目はどうだろうかと思うも、頭の位置が高すぎて届きそうにない。
口の中などは柔らかそうではあるが、攻撃をしている暇もなくかみ砕かれるだろう。
「はは、爪の間とかはどうかな?」
意味があるのかはわからないが、もうそんなことぐらいしか思いつかなかった。
「うぉおおおお!」
雄叫びを上げつつ、デイヴィッドは駆けだした。
すでに気付かれているので、静かに近づくことに意味はない。それなら、多少でも気を引きつけられればと思ったのだ。
「伏せてください!」
背後からの叫びに、デイヴィッドは反応した。
剣を捨て、頭から地面に滑り込むように倒れたのだ。
何かが上空を通過していく。
頭を上げてみれば、狼が唸りを上げてこちらを見ていた。
咥えていた人も放りだし、臨戦態勢になっている。
「大丈夫ですか!?」
「これから大丈夫じゃなくなるところだったよ」
そう言いながらデイヴィッドは立ち上がった。
隣には抜剣しているリチャードが立っている。現在の剣聖。マニー王国の第三王子だ。
「今のは、剣圧みたいなものかい?」
「そうですね。この聖剣を振り回せば、あんな感じで飛んでいきます」
「どうにかなりそうかな? 悔しいことに僕では何もできそうにない」
「あれは私を敵と認識したようです。今のうちに、生き残っている人をまとめて退避できませんか?」
「やってみるよ」
リチャードが狼を抑えていられるなら、それも可能だろう。
デイヴィッドは狼を無視して歩きだした。どうせ勝ち目はないのだ。怯えて縮こまっていても死ぬ時は死ぬのだと開き直った。
狼は、襲ってこなかった。
リチャードの牽制が利いているのだろう。唸りを上げながら、小刻みに動いているが、それ以上のことはしてこない。
デイヴィッドはその間に、生き残っている人々をまとめあげた。
たいして残ってはいなかったが、それでも全滅するよりはましだと、自分に言い聞かせる。
ゆっくりと皆を率いて、リチャードの背後へと移動する。
「おーおー、うちのポチがすっかりおびえたはるやん」
すると、狼のほうから女の声が聞こえてきた。
デイヴィッドは狼を見上げた。
狼の頭部に髪の長い女が腰掛けていた。
先ほどまで、こんな女はどこにもいなかった。
「……それは、ポチという名なのですか?」
リチャードが馬鹿正直に訊き返した。
「ちゃうよ? ほら、あれやん。手下のことを犬扱いしたりするやん? あんな感じの言い回しやん」
「これはあなたが指示したことですか?」
飼い主のようだとリチャードは判断したらしい。
「うん? これって言われてもな。まあ、言いたいことはわかるよ? すまんなぁ。お腹が減ってたみたいやね」
女は、手を合わせて謝った。確かに謝ってはいるのだろう。だが、その軽さは、この事態の規模にはあまりに不釣り合いだった。
「いやー、これはただの言い訳やから、信じてもらわんでもええんやけどな。こっちの世界に来た時に、この子とはぐれてもーてん。まあ、この子もうちがおらんなったから、はっちゃけてもーたんやろな。ほら、いっつも、待て! ゆーてほったらかしてもーたりするからストレス溜まっとったんやろ。うるさいご主人様がおらへん、食い放題や、ひゃっほー! ってなったと思うんや」
「……正直な話、あなたが何を言いたいのかはわかりませんが、これ以上その狼を暴れさせることはないということでよろしいですか?」
被害は甚大だ。文句ならいくら言っても言い足りないぐらいだろう。
だが、リチャードはそれを飲み込んだ。事態の収拾を優先したのだ。
「せえへんよー。食べ放題ってあんた、そんな贅沢させてたら躾にならへんやん」
「ならば、立ち去っていただきたい」
「別に立ち去るんはええんやけどな。この子とうちがここに来たのには理由があるんや。ここでこの子に再会できたんは偶然とちゃうんやで」
「理由とは?」
「神の気配を感じたんや。そこにぶわーっとあふれてる肉がそれやね。この子はこれの気配に気付いてここに来たわけ。で、うちもここになんぞあるんかいなーって来てみたわけよ」
デイヴィッドは、この肉塊がどんな姿をしていたかを思い出した。
大司教の部屋から見た巨大なそれは、確かに女神と言っていいほどの美貌を誇っていた。
「で、これは探してた奴とはちゃうんやけどね。あ、一応訊いとこかな。うちら女神を探してるんよ。なんか心あたりはないかな?」
「女神……ヴァハナトという名なら聞いたことがありますが」
「へ? あいつ最近見かけへんなー思ってたら、こんなとこに来とったん!? まあ、そいつは別に探してなかったんやけどね。でも、教えてくれてありがとな」
女が軽く、狼の頭部を叩く。
すると、狼は瞬時にその場から消え去った。
凄まじい速さでこの場を離脱したのだ。
「助かった……ということでいいのかい?」
「今のところは。しかし、いつまでもここに留まっているのは危険だとわかりました。侵略者どもは、王都にあふれるあれを目指してやってくるようです」
そんな理由がなくとも、何もないここでいつまでもぼうっとしているわけにもいかない。
デイヴィッドたちは、近隣の街へと移動を開始した。




