第7話 高スペックイケメン野郎は、転生しても幸せな人生を送れるのか
後にダリアンと呼ばれる男は、天寿を全うした。
十全な人生だった。
裕福な家に生まれ、なに不自由することなく育ち、その立場に思い上がることなく勉学に励み、世界有数の大富豪となった。
その事業に後ろ暗いところはまるでなく、世界に貢献するべく様々な慈善事業も行っている。
熱愛の末に結婚し、愛すべき家族にも恵まれ、彼の死には大勢の人々が心の底から涙した。
その人生は幸せに満ちたものだった。
もちろんなんの後悔もなかったと言えば嘘になるのだろう。
だが、彼はやりたいことをやるために最善を尽くした。
富と美貌と名声と権力を兼ね備えた彼が、それでも実現できないのであれば、他の誰にもできないのだと諦めることができたのだ。
そんな、全てがうまくいきすぎた人生を男は過ごした。
「いっえーい! マルナリルナのマルナちゃんでっす!」
なので、死後に意識があろうと、元気よく少女が跳び出してこようと、男はそういうこともあるのだろうと受け入れた。
男は豪運の持ち主だった。都合よく奇妙なことが起こるのは、男にとって当たり前だったのだ。
「君は誰だい?」
身体はないのに、見聞きができて、喋ることもできた。
「神様だよ!」
「そうなんだ。どの宗教ともそれなりにはつきあってきたけど、こんな愛らしい少女が神様だなんて知らなかったよ」
「君の知ってる神様じゃないけどね。死んじゃった自覚はある?」
「あるよ。死後の世界があるなんて知らなかったから驚いたけどね」
「厳密には死後の世界なんてないけどね。意識と記憶、まあ大雑把に魂って言っちゃうけど、それが残るのは限られた人だけなんだ!」
ならば自分の魂が残るのは不思議ではないと男は考えた。限られた人間とはまさに自分のような者だと知っているからだ。
「それで、僕になんの用かな」
「転生させて、私の手駒にするね! 新しい身体と、便利な能力をいろいろ与えちゃうよ!」
「ははぁ。拒否権はないんですね」
「あったりまえじゃん。私、神様だよ?」
「それで、僕は何をすればいいんでしょう?」
「好きに生きてっ! 私たちは暇つぶしに観察するだけだから」
「私たち?」
「コンビを組んでる子がいて、そっちは、クズ野郎は転生してもクズ野郎なんじゃないの? ってコンセプトで駒を探してる」
「なるほど。僕も何かのコンセプトに沿って選ばれたのかな?」
「高スペックイケメン野郎は、転生しても幸せな人生を送れるのかってコンセプト?」
「王子と乞食みたいな話?」
「君が貧乏人の家から始まる人生かもしれないよー? どんなことになるのかは、やってみてのお楽しみかなー」
そして、少女の姿が消え、男は転生を果たした。
*****
ダリアンは、マニー王国の第二王子として生まれた。
これが偶然の結果だというなら、なんでも都合良くうまくいってしまう豪運はこの世界でも持続しているのだろう。
順風満帆だった。
神から与えられた力を使うまでもなく、ダリアンの人生は順調に滑りだしていた。
前世の知識と経験があれば、王家という特殊な環境においてもそつなく暮らしていくことができたのだ。
環境が変われども、ダリアンのしていることは特に変わりなかった。
気負わず当たり前に、できることを淡々とこなしていけば、それが最高の結果を生み出すのだ。
ダリアンは少々落胆した。
けっきょく、この世界でも人生というのは簡単なものらしい。
ならば、どうするか。
ダリアンは、人類を救うことにした。
いずれは王となってマニー王国を支配する。その程度のことはたいした努力もなしに実現が可能だろう。
だが、それではつまらない。先の見えていることをするのはうんざりだ。
ならば、もっと困難なことを。
誰もしたことがない、できそうもないことをするべきだと考えたのだ。
この世界において人類は吹けば飛ぶような存在だ。
古の魔神群、外世界の神、侵略者、賢者の一族など、様々な驚異が人類を脅かしている。
それらを全て排除し、人類による世界統一を果たす。
それはとても面白そうだとダリアンは考えた。
そして、そのためには神から与えられた力も最大限に活用する必要があるだろう。
神から与えられた力は二つあった。
一つは、死んでもやりなおせる力だ。
死んだ場合に、最大で十日ほど過去に戻ることができる。
予め戻る日時を指定しておくことも可能だ。
破格の能力ではあるが、使用する度に死の苦痛を味わうことになる。
あくまで緊急避難のための力だろう。
もう一つが、この世界でギフトと呼ばれる力そのものに干渉する力だった。
この世界には戦詩という名のシステムが存在する。魔法やギフトといった超常の力はこのシステムが介在して具現化しているのだ。
そのシステムにおけるダリアンのクラス名は、SE。通常、発現することのないイレギュラーなクラスのようだ。
SEは、最強に至る可能性のあるギフトだが、それはあくまで可能性の話だ。
システムに干渉できるといっても、それには雑多な手続きと、複雑な指示が必要になる。
ほとんどの者にとってはわけがわからず、宝の持ち腐れとなるようなギフトだろう。
だが、ダリアンは天才だった。
不断の努力と研鑚により、徐々にその力を使いこなせるようになっていったのだ。
*****
ダリアンが十二歳になり、貴族の子弟が通う学園に入学した時のことだ。
「マルナリルナのリルナですっ!」
突然時が止まり、どこからともなく少女があらわれた。
「前に会った神様の仲間かな?」
「そう! あっちはマルナで私はリルナ!」
「なんの用だろう?」
「お願いがあるんだー。この学園にはジョルトって子がいて、笑えるぐらいに思い上がってるから、たぶん喧嘩売ってくると思うんだけど、殺さないであげてね」
それが話に聞いていた、クズのような人生を送っていた者なのだろう。
「観察するだけと聞いてたけど?」
「そうだけどさー。こんなとこで死なれても面白くないじゃない?」
「わかったよ。手加減すればいいんだね」
「ありがとー。お礼にこの時間を操る技を使えるようにしてあげるね」
そして、リルナは唐突に姿を消し、時は動きだした。
入学式の数日後、リルナの予言どおりになった。
ジョルトという上級生に呼び出されたのだ。
親睦がてら、手合わせをしようとのことで、格技場にはたくさんの生徒が詰めかけていた。
ジョルトは、中途半端な強さだった。
負けることはありえないが、予告がなければ、手加減できずにうっかり殺してしまったかもしれない。
だが、ダリアンはそつなくジョルトを圧倒し、支配下に置いた。
この件があってから、ダリアンは転生者に興味を抱いた。
彼らは特別なギフトを持っていることが多い。
それを解析すれば、ダリアンの能力を強化する役に立つし、システムに干渉する際の手がかりにもなるからだ。
意識して探してみれば、転生者や転移者はすぐに見つけることができた。
隠しているつもりらしいのだが、ほとんどが傲慢でおとなしくしていられない性格をしているので、すぐに露見するのだ。
ダリアンは、彼らを仲間にすることにした。
放置しておけば、そのうちに大それたことをしでかすかもしれない連中だ。一カ所に集めて管理しておいたほうが何かと都合がいいし、研究もしやすくなる。
そんなことをしているうちに、いつのまにやら無敵軍団などと呼ばれるようになっていた。
当然賢者たちに目をつけられたが、王族ということで賢者になることは免れた。
賢者になれるのならなっておいたほうが有利ではある。
だが賢者には、賢者を殺せない制限が課せられていた。
いずれ賢者も滅ぼすつもりのダリアンにとって、それは不都合なのだ。
それに賢者になったところで、システムの限界を超えることはできない。
ダリアンは、システムなどものともしない者たちがいることにも気付いていた。
最高峰のギフトを持つはずの賢者でも手に余る侵略者が存在しているのだ。
それらをも打倒するにはどうすればいいのか。
気付けばダリアンは、神の領域へと至る道を模索しはじめていた。
*****
学園を卒業し、ダリアンの行動範囲は広がった。
マニー王国全土を漫遊するようになったのだ。
もともと封印の力で各地を治めていた一族が王族の起源だ。王族はその力をもって、民に奉仕するという習わしなので、第二王子が国内をうろつきまわっていることはさほど問題はなかった。
国内を巡り、転生者を集め、封印を調査し、魔国からやってくる魔人を倒す。
それは全て己を強化するためだった。
人類を救うためには、まず絶対的な武力が必要なのだ。
そんなダリアンの行動は、世間的には世直しととられているようだった。
あえて否定すべきことでもないので、ダリアンはそのように振る舞った。
彼は己の強化を最優先にはしているが、困っている国民を助けることを疎かにはしていなかった。
人類を救うなどという大それたことの前に、今困窮している国民を救わなくてはならない。それは彼にとって当たり前の思考だった。
それに、評判がいいというのは情報収集の面では都合がいい面もある。
一見些細に思えるような事件の噂も届くようになるからだ。
「半魔か。あんな扱いづらい物を奪ってどうするつもりなんだろう」
とある街でダリアンは、半魔が奪われる事件が相次いでいると耳にした。
「魔術師のマーケットでは結構な値段でやりとりされているらしいが」
ジョルトが言う。
半魔は希少で、実用性もある。その価値を知っている者たちの間で流通しているとのことだった。
「でも、ただの強盗がわざわざ半魔を狙わないだろうね。金目のものは奪われていないということだし」
気になったダリアンは調査を進め、意外な事実を知ることになった。
犯人は半魔らしいのだ。
これは少々奇妙なことだった。
野生の半魔の数は少ない。個々は多少強くとも、人間の街を襲い仲間を奪還できるほどの勢力ではないのだ。
なので、半魔は囚われた仲間を助けにはこない。それがこれまでの常識だった。
だがこの事件では、そもそも暴力的なことは何も起こっていない。
半魔には従者型、監禁型、拘束型、封印型などのいくつかの利用形態がある。
だが、そのどれもが気付けばいなくなっていたという。
この事件に関心を持ったダリアンはさらに調査を進め、半魔の中に吸血鬼となった者がいるらしいと当たりを付けた。
吸血鬼の魅了能力で半魔の所有者を操り、奪っているのだ。
ダリアンは半魔を回収するべく動きだした。
不当に奪われた物を取り返す。それは当たり前のことだが、同時に吸血鬼にも多大な興味を抱いていた。
吸血鬼は戦詩のシステム上はクラスとして扱われているが、賢者があらわれる以前からこの世界に存在していたという噂もある。
ならば、研究すれば何かの役に立つかもしれないと、そう考えたのだった。
*****
「これは君がやったんだね?」
恐慌に陥る者たちを尻目に、ダリアンは平然とそう口にした。
少年のステータスは偽装されていたが、その偽装を看破した先にあったのは、ギフトを何一つ持っていないという事実だった。
つまり、この少年が何かをしたのなら、それは戦詩というシステムとは関係がないことになる。
「そうだよ。わかったなら帰ってくれ」
「それはできないよ」
「なんでだよ。半魔を取り返せないなら引き上げるしかないだろ」
「ふむ。説明する必要もないかと思っていたけど、君は半魔の用途がなんなのかを知っているかな?」
「……結界?」
少し考えて少年が言った。詳しくは知らずとも、なんらかの事情は知っていたのだろう。
「うん。思ってたよりも話が早いね。この世界には数多くの脅威がある。それらを封じるには結界が必要で、そのためには半魔が必要なんだ」
「だからなんなんだよ」
「人の命を数で考えるのはどうかとは思うけど、百万人を救うために百人が犠牲になるのは仕方がないと、そうは思えないかな? 事実、それをするのが国というものだろう?」
「言いたいことはわかるけど、俺には関係ないよな、その話」
「高遠くん! もうちょっとオブラートに包もうか!」
どうでもいいと言わんばかりの少年に、隣にいる少女がツッコんだ。
どうやら、少女のほうはまだまともな感性を持っているらしい。
「いいのかい? 君がその少数の半魔を助けることで、無関係の大勢が死ぬことになっても」
「あんた強いんだろ? 封印されてるなんだかわかんないのもあんたが倒せばいいんじゃないか?」
「何が出てくるかもよくわからないんだ。できるなら現状維持をしたいというところだね」
封印が解けたとして、倒せないことはないだろう。
だが、それがどんな戦いになるのか、その影響がどこまで及ぶかはわからない。それによって必要のない被害が出るかもしれないのだ。
人類を救うのが目的のダリアンがそれをするのは本末転倒というものだ。
「けどね。実は、もう半魔のことはどうでもいいんだ。危険度が高い封印に、残っている半魔を集中させるとか、やりようはあるからね」
そう言いながら、ダリアンは馬を下りた。
「僕が引き下がれないのは、君のためだよ」
「仲間を殺したからか?」
「それもある。君の行為は我が国では殺人罪にあたる。因果関係が不明ではあるけど、自供もあるし、王族の僕が見ていたんだから罪は免れないよ」
「言っても無駄だろうけど、こっちはやり返しただけだ」
少年はダリアンの部下を殺したであろう瞬間、眉一つ動かしてはいなかった。
この世界はとても平和とは言いがたく、ダリアンも時には人を殺すことがある。
だが、人を殺す際に何も感じないわけではない。
相手がどんな悪人であったとしても、人を殺す際には抵抗を感じるものなのだ。
だが、少年は何を感じているようにも思えなかった。それが、ダリアンがこの少年を生かしてはおけないと思った理由の一つだ。
「君はまだ何もしていない僕の仲間を殺した。そこに罪悪感はないのかい?」
「黙って見てたらこっちが死ぬんだ。仕方がないだろ」
「そうかな。やりすぎなように思えるけどね。そんなもの、けっきょく君のさじ加減一つだ。客観的な証拠もなく、殺されそうな気がしたから殺したなど、言い訳にもなっていない」
「言い訳のつもりもないけど、あんたに納得してもらおうとも思わないよ。こっちの要求はさっさと帰ってくれってことだけだ」
少年は、多少苛ついてはいるようだ。
だが、無闇に殺そうとはしていない。しかし、そうは言ってもこちらから手出しをすれば、機械的に、何を思うこともなく淡々と殺すのだろう。
「君は任意の相手を殺すことができる。それには何らかのアクションは必要ない」
「そうだよ」
「そして、殺されそうな気がしたといって何かをしようとした相手を簡単に殺す。つまり君の気分次第というわけだ。ちょっとでも気に入らない相手を、そう思うだけで殺すことができる。君、自分が相当な危険人物だという自覚はあるのかな?」
「そりゃ、自覚ぐらいはあるよ」
そう言って、少年は眉を顰めた。
「そうか。だったら君は死ぬべきだ。生きていることが許されない存在だ」
「よく言われたよ、その手のことは」
「ちょっと! あなたにそんなこと言われる筋合いないと思うんだけど!」
少女が口を挟む。少年はなんとも思っていないようだが、少女は怒りに顔を歪ませていた。
「あるさ。生きとし生ける物全て、彼に殺されるかもしれない者全てに彼を批難する権利がある」
そう言われて少女は黙ったが、憤懣やるかたないという態度だ。反論はできないが、納得もできていないらしい。
「今さらなんだろうけど、一応訊いておこうか。自決するつもりは?」
「本当に今さらだな。そうするつもりならとっくにやってる」
「だろうね」
「一応言っておくけど、何もしてこないなら何もするつもりはないんだけど……まぁ、この流れで何もされなかったことがないからな……」
少年が困った顔をする。
呆れたような、うんざりとしたようなそんな表情で、そこに緊張感はない。
ダリアンが何をしてこようと対処できる自信があるのだろう。
「君をこれ以上生かしておくことはできない。それが僕の結論だ」
「まあ、そう思うのはわかるよ。俺だって、俺みたいな奴がいたら、生かしとくのはまずいと思うしね」
「余裕だね。自分が殺されることはないと、高をくくっているのかな」
「俺は自分が無敵の存在だとは思ってないよ。俺の力を上回れば殺せるんじゃないか?」
「そうか。なら僕が君と出会ったのは偶然じゃないのかもしれないね。君を止めろという天の配剤なのかもしれない」
少年は油断している。無敵の存在ではないと言いつつも、自分が負けることなど考えてもいないのだ。
ならば、どうにでもできるだろう。
ダリアンは勝利を確信した。
*****
ダリアンは時を止めた。
厳密に言えば違うのかもしれないが、ダリアンはこの現象をそのように認識している。
もちろんダリアンは動けるし、ダリアンの周囲の空気は流動していて呼吸も可能であり、ダリアンが触れることによって任意の物体を動かすことも可能だ。
任意の対象を即死させるというその力は脅威ではあるだろう。
だが、その発動が少年の意思によるものならば、対策は簡単だ。
発動させなければいい。
殺そうと思う前に、殺してしまえばいいのだ。
仲間たちは攻撃をしようとした段階で殺された。
攻撃を察知する能力があるのだろう。だが、それも時間を止めてしまえば関係ない。
ダリアンは、時間停止はたいていの問題を解決できる万能の能力だと自負していた。
しかし、便利な時間停止ではあるが、多少の弱点はある。
この時間停止中は他の魔法やスキルを使用することができないのだ。
そして物を投げた場合、自分の身体から少し離れた所で停止してしまう。
なので、時間停止を利用して敵を倒したいなら、接近して直接攻撃するしかなかった。
ダリアンは、少年の背後へと回った。
時間が停止しているので、少年にダリアンの姿は見えていないが、万が一のことを考えたのだ。
剣の届く距離まで来て、ダリアンは足を止めた。
ダリアンから見て、少年は完全に停止していた。
その脳内では、どんな精神活動も行われてはいないだろう。
つまり、ダリアンの殺意など感じ取れるはずもなく、ダリアンに殺されてもなんの反応もすることはできない。
――問題があるとするなら、僕の剣で斬れないほど頑丈だったらということだけど。
事前に確認した限りでは魔道具やスキルや魔法の使用形跡はなかった。
ただの人間であり、ダリアンの剣が触れればあっさりと両断できる。それは確実なはずだった。
何か見落としはないかと、ダリアンは詳細に確認した。
時間停止中は魔力を膨大に消費するとはいえ、一時間程度は停止を続けることができる。
焦る必要はないのだ。
十分に観察し、何も問題はないとダリアンは確信した。
そして、少しばかり考えた。
このまま本当に殺してしまってもいいのか? この力を利用すれば、あるいは研究すれば、人類を救う一助になるのではないか。
だが、その考えはすぐに切り捨てた。
この少年は人類の敵であり、生きているだけで人類を危険にさらし続けている。
一秒でも早く息の根を止める必要があると、ダリアンは覚悟を決めた。
頭部を一撃で破壊し、生命活動を停止させる。反撃の隙など微塵も与えない。即死能力があったところで、これで終わりだ。
まったく動かない相手となると普段とは勝手が違うため、若干のとまどいがあったが、すぐにイメージは湧いた。
頭部を右上から斜めに切断する。そのまま左上から斜めに。真一文字に斬り裂いて、最後に頭頂部から股間までを両断する。
最初の一撃で死ぬはずだが、念には念を入れたほうがいい。
ダリアンは剣を抜いた。
そして、目が合った。
「は?」
何の前触れもなくそれはあらわれたのだ。
瞳だった。
ダリアンと少年の間の空間。
閉じたまぶたが開くように、それはあらわれたのだ。
眼球そのものではない。まぶたを備えた切れ長の目がそこにあらわれていた。
ぞわり。
と、それは次々とあらわれてくる。
「ひっ」
知らず、ダリアンは悲鳴を漏らしていた。
瞬く間のことだった。
時間の停止しているこの空間で、それがどれほどの時間をさすのかはわからない。
だが。気付けば、目は数え切れないほどにあらわれ、空間を占めていた。
目。眼。瞳。
様々なそれらが、ダリアンを凝視していた。全ての眼が、ダリアンを見つめているのだ。
ダリアンの身体が恐怖に震えた。
眼がそれに合わせて小刻みに揺れる。眼は、ダリアンを見ていた。その一挙一動全てを具に観察しているのだ。
それでも、ダリアンは剣を振りかぶろうとした。眼が剣の切っ先を注視する。
ダリアンの動きは、完全に捉えられていた。
振り下ろせばどうなるのか。
それが、ただ見ているだけなどということはないだろう。
確実に反撃されるという予感があった。
ここが分水嶺なのだ。
ここから少しでも剣を少年に向けて動かせば、殺される。それは確信だった。
そして、この状況下で殺されるのは、ただ殺される以上の、おぞましい何かだ。
ダリアンは、この異常な状況を理解できてしまった。
それは眼だけで語る。理解を迫ってくる。
この状況を把握しろと、暴力的な視線で貫いてくる。
そして、気付く。
この少年の本質は、目の前にある肉体になどないのだと。
ここで少年の頭部を粉微塵に粉砕しようと、それは本質にかすりすらしないのだ。
それは、人ごときの理解の及ばない、立ち向かおうと考えることすらおこがましい、途方もないということしかわからない、真性の化物。
――なぜ、こんなものが人間の振りをしてこんな所にいる……!
それは触れてはならないものだった。
なのにそれは、触れるまでわからない。
悪質で、性質の悪い、何かの冗談のような存在だった。
こんなもの、どうしようもない。
ダリアンは、時間の凍結を解除した。
*****
背後で音がして、夜霧は振り向いた。
「え? なんで?」
『縮地……ではないな。壇ノ浦がそれを見逃すはずもない』
目前にいたはずのダリアンが、いつのまにか背後にいる。
その不思議に知千佳たちが驚いていた。
ダリアンは跪いていた。
足に力が入らないという様子で、項垂れている。
「ダリアン様!」
無敵軍団とやらも驚いていた。
どうやら誰にとっても、この状況は理解できないものらしい。
「もう一度言う。帰ってくれよ。こっちの要求はそれだけだ」
ダリアンがゆっくりと顔を上げる。
憔悴しきったその顔は、別人のようになっていた。
「……何者だ……お前は……」
「そう言われても、ただの高校生としか言いようがないよ」
「は……はははははっ!」
ダリアンが右手を上げ、人差し指をこめかみに当てる。
「おい、あんた」
嫌な予感がして夜霧は制止しようとした。
だが、そもそもどうやってそれを止めればいいのか。
破裂音とともに、ダリアンの頭部が消し飛ぶ。
ダリアンの身体はどさりと前のめりに倒れ、それを見た無敵軍団は一目散に逃げだした。
「なんで!? 意味わかんない!」
『うむ。お前のような高校生がいるか! という身体を張ったツッコミの可能性は……』
「ないな!」
「この結末は避けたかったな」
最良の結果とは言いがたい。
だが、とりあえずの目的は達成したことで良しとするしかなかった。
*****
死の衝撃でダリアンは混乱していた。
いつもこうだった。
頭の中をかき混ぜられたようになり、感覚が混濁する。
目の前が極彩色の絵の具をぶちまけたようになり、雑音が聴覚を塗りつぶした。
吐き気を催すような匂いが鼻腔に広がり、何かが全身を這い回り毛穴から侵入してくるような感触が皮膚を苛む。
わけのわからない空間の中で溺れたようになるこれは、時間遡行の副作用だった。
――なんだったんだ、あれは……。
わからない。
だが、そういう者がいるというのがわかったのなら、それはそれでいい。
次からは避ければいいだけの話だった。
あれは、人間が戦いを挑んでいいような存在ではない。
何度繰り返そうが勝てるわけがないというのが、ダリアンの率直な感想だった。
しだいに感覚の混乱が収まっていき、気付けばダリアンはベッドの中にいた。
就寝中だった。
過去に戻ってきた場合、この状況は都合がよかった。
朝までに前回の行動と状況を整理すれば混乱は少なくなり、周囲の者に気取られる恐れを最小限にできるからだ。
ダリアンは目覚めた。まずは今がいつなのかを知る必要がある。
そして、目が合った。
「うわああああああああ!」
恥も外聞もかなぐり捨てて、絶叫する。
逃れてきたはずなのに、無数の目がダリアンを見つめていたのだ。
「お、おかしいだろ! ここはあれに出会う前のはずだ!」
そして気付く。気付かされる。
確かに過去には戻っている。なのに目が存在する。
ならば答えは簡単だ。それは最初から、あらゆる空間に存在しているのだ。
それは呪いなのか、あるいは汚染なのか。
記憶を継承しての過去への移動では、それを認識してしまったという事実は二度と変えることができない。
いくら過去へと戻ろうと、それが存在していることをダリアンは知ってしまっているのだ。
もうどこにも逃げることはできない。
ダリアンが正気を保っていられたのは、それほど長い時間ではなかった。




