第10話 何かの拍子に死ぬこともあるのではないですか?
その扉の前に立つと、ヨウイチはいつも浮かない気分になる。
賢者と成りはてたシオンを前にして、どんな顔をすればいいのかがいまだによくわからないのだ。
彼女は本当に賢者になりたかったのだろうか。
俺たちを守るために犠牲になっただけなのでは。
今も俺たちを恨んでいるのではないか。
そんな詮無きことを考えてしまう。
洋一は頭を振った。
そんなことは今さらだ。洋一が今すべきことは賢者の従者としての仕事を全うすることだろう。
洋一は扉をノックした。
「どうぞ」
と、魔法による声が耳元で聞こえた。
扉を開ける。
そこは白とピンクで構成された部屋だった。
猫足のついた白い家具。ピンクの絨毯にカーテン。天蓋のついたベッドに、花をモチーフにした繊細なシャンデリア。
そんな乙女趣味にあふれた部屋の中で、賢者シオンは巨大なクッションに埋もれるように横たわっている。
ゆったりとしたネグリジェを着てくつろいでいる彼女は、来客のことなどまるで考えていないようだった。
「あら? ヨウイチくんではないですか。どうされたのですか?」
部屋に入ってきたヨウイチを見てシオンは少し驚いていた。
「状況報告に来いと言ったのはあなたでしょう?」
ヨウイチは呆れたが、この程度のことはいつものことだった。ヨウイチはシオンの側へと近づいた。
「ヨウイチくん。二人きりの場所でそんな喋り方はやめてください」
シオンが悲しげに眉を顰める。ヨウイチはため息をついた。
「ったく、わかったよ。シオン。けどな、普段からこうしてねーといつかボロが出ちまうんだよ」
「賢者の私がいいと言っているのですから、問題はないでしょう?」
「従者の俺がこんなんじゃ、他の奴らにしめしがつかねーだろうが」
「それで、どんな状況ですか?」
「まずは、侵略者についてだ。クラヤミはサンタロウ様が撃退したが、周辺の被害は甚大。アルタナ周辺は砂漠と化した。復興は無理だろう」
「撃退ということは倒してはいないのですか?」
「逃げられた。散々ボコったからもう来ないだろうぜ、とサンタロウ様はおっしゃってたが、あれに感情や知性があるのかは怪しいな」
「わかりました。続けてください」
その対応に納得はいっていないのだろう。少し不満げにシオンは言った。
「餓狼王はレイン様がこれも撃退」
「玲音についてはわかる気もしますね。ほら、彼女は動物が好きですから」
「ヘッジホッグの件はまずいことになっているな。ユメヒサ様が討伐に向かったが、返り討ちにあい死亡。今年で二人目だ。このままではいたずらに犠牲者を出すだけだろう。大賢者様に討伐をお願いすることはできないか?」
「駄目でしょうね。お爺さまは大変お忙しいですから」
何がお爺さまだとヨウイチは思う。
シオンと大賢者の間に血のつながりなどなく、大賢者の孫などというのはただの称号でしかない。大賢者による歪な家族ごっこの産物でしかなかった。
「なにしろお爺さまにとっては、奴隷といちゃつくのが何よりも大切なことらしいですし」
その言葉にはあからさまな揶揄が含まれている。大賢者の助力が期待できないのはヨウイチもわかっていた。一応言ってみたまでのことだ。
「ヘッジホッグについては私を含め、チームであたることにしましょう」
ヘッジホッグについてわかっているのは外見ぐらいだった。
細身の人型で全身が黒光りする金属に覆われている。
その行動形態から、おそらくは機械だろうと推測されていた。
身体の節々からは、針とも刃ともつかないものが飛び出していて、その見た目から針鼠と呼ばれている。
「以上は、どちらなのかわからないタイプだ。明確に天使であるタイプは二体。ザボラにあらわれた個体は、シロウ様が。エントにあらわれた個体はヨシフミ様がどちらも消滅させている。ただ天使については気になる点があってな。これまではほぼランダムだった出現位置が変わりつつある」
「気付かれたのでしょうか?」
「明確な位置までは把握していないようだが、徐々に絞り込んでいるようだな。いずれ特定されるだろう」
ただヨウイチもシオンも、天使たちが何を探しているのかまでは知らなかった。
つまり、なぜこの世界を狙ってやってくる者たちがいるのか、よくわかっていないのだ。
その真相は大賢者のみが知ると言われているが、ものぐさな大賢者がそれを下々の者に伝えることはなさそうだった。
「次は賢者候補たちについてだ」
「ああ! ドラゴンがなぜか死んだところまでは見ていたのでした。その後どうなりました?」
「あのな。ドラゴンがなぜか死んだ、という部分に疑問を持たないのかよ?」
「レベルが千ぐらいのドラゴンでしょう? 何かの拍子に死ぬこともあるのではないですか?」
シオンは本気でそう言っていた。
レベルが一億を越えるシオンにとって、レベル千程度のドラゴンなど羽虫に等しいということなのだろう。
ヨウイチは複雑な気持ちになった。
シオンは自分が変わったなどと思ってもいないだろう。
だが、圧倒的な力は否が応にもそのありようを歪ませてしまう。どれほど己を律しようとしても、その傲慢さをにじみ出させるだった。
「まあいい、それについては後で話すこととも関係がある。まずファーストミッションはクリアされた。死者は四名だ」
「そうですか。順当なところですが、無能者四名はあっさりと見限ったわけですね。全員のインストールが成功することは希ですし、そのように仕組んでいるわけなんですけども」
「それなんだがな……死んだのは無能者が二名と、Sランク五名のうち二名だ」
今回召喚した者をシオンは便宜的に四つのランクに分けていた。
Sランク。この世界にやってくるのが初めてではなく、ギフトがすでにインストールされていて、十分な強さを持つ者たち。本命。
Aランク。優秀なスキルを持つため、成長次第ではSランクを凌駕する可能性のある者たち。対抗。
Bランク。平凡なスキルしか持たないため、普通は現地人程度の強さにしかならないが、希に異常な成長をする可能性もある者たち。穴。
Cランク。劣悪なスキルしか持たないため、よほどのことがない限り現地人以下の強さにしかならないが、ごくごく希に驚異的な成長を遂げる可能性があり、しかもその場合AランクやBランクの者の成長を凌駕する傾向がある者たち。大穴。
そして無能者は、賢者になる可能性がない者としてランク外という扱いになっていた。
「それは予想外ですね。彼らは今、どんな状況なのですか?」
「無能者四名を囮にして、それ以外の者は街へ向かった。その後、王都に移動するのはセカンドミッションのアドバイスどおりなんだが、どういうわけかSランクの三名がスタート地点に戻った。そして、なぜか二名が死に、一人は森に向かった」
「なぜか、なのですか?」
「そう、ドラゴンと同じだ。何の前触れもなく、突然死んだ。ドラゴンが死んだ時点で異常なんだが、同じ場所で立て続けに突然死ぬのは奇妙だろう? 彼らが死んだのは、バスに残っていた無能者と接触してすぐだ。当然無能者を疑いたくなるが、問題は無能者に何ができるのか、ということだ」
この世界はいわゆる剣と魔法の世界だ。
魔法でいくらでも不思議なことは行えるし、剣の一撃が山を断ちもする。
だが、それはギフトの恩恵を受けた上でのことだ。ギフトを得ていない無能者は、ひ弱な日本人でしかない。現地人以下の存在でしかないのだ。
「起こった現象だけを見ると、即死系魔法の効果のように思える……が、俺は元の世界、日本にいたころに魔法を使う奴になんかお目にかかったことはない。それはシオンも同じだろう?」
「それはどうでしょう? 私たちがいたころと今とでは日本の様子も大分変わっているのかもしれませんよ? もしかしたら、今の日本はずいぶんと様変わりしているのかも?」
「そんなわけあるかよ……まあ、それはいい。問題は即死魔法のようなことができるかもしれない奴が、今この世界にいるという事実だ。」
「心配するほどのことでもないでしょう。ヨウイチくんは即死魔法がそれほどポピュラーなものではない理由を知っていますか?」
「そりゃあ……非効率だからだろう?」
即死魔法は確かに存在する。だが、即死魔法の発動には莫大な魔力が必要となるため、普通の魔法を使ったほうがよほど効率的なのだ。それに格上にかけたところで抵抗されるだけだろう。
つまり、即死魔法が通用するのは、それ以外の手段でも簡単に殺せる格下の相手だけだった。
「そのとおりです。即死魔法なんてものが使い物になるなら誰でも使いますよ。だけどそうはなっていない。それは長い戦いの歴史の中で十分に検討され、対抗手段がいくつも見出されてきたからです。確実に効果を発揮する即死魔法など存在しえないというのが現在の常識ですよ」
「だが、注意は必要だろう。生き残った無能者二名だが、Cランクとして観察対象に含めるがいいか?」
「心配性ですね。ですが、それでヨウイチ君が納得できるなら好きにしてください」
シオンはどうでもいいと言わんばかりで、その態度はやはり化け物じみた実力から来るものなのだろう。
しかし、これは楽観視していいものなのか。
即死魔法は格下にしか通用しない。
ならばその無能力者は、とんでもないほどの格上という可能性があるのではないか。
――まさか、な。
ギフトもなしにそんなことはありえない。
だがヨウイチは、二人の無能者に不気味なものを感じはじめていた。




