第二章・第二話 短く鋭い影
小生は再び蔵の奥、埃に埋もれた『文豪転生録』を手に取った。
漱石の手記の余韻がまだ指先に残り、胸の奥にじんわりと温度を帯びている。
ページをめくると、文字が踊るように飛び込み、視界を揺らす。
気づけば、先ほどの灰色の空の下、細い光が蜘蛛の糸のように差し込む世界に立っていた。
影が蠢き、息をひそめる者たちが何かを探しているようだ。
その中央に、細身で冷ややかな目をした男が立っていた。
小生の心臓は高鳴る。
あの鋭利な視線――声の端に短い刃を潜ませる男。
「おや……また一人、迷い込んだのか。
それとも、君も語り部のひとりかね?」
芥川龍之介だ。
その声は鋭く、短く、刺すようだ。
しかし、奥底には人知れぬ孤独と、何か救われぬ哀れさが潜む。
小生は一歩前に出る。
「……あなたは、Kのことをご存じでしょうか」
その言葉に、芥川は微かに眉を寄せる。
「K……ああ、知っているとも。しかし、真実は人に語るためにあるのではない。物語の中で生きるためにあるのだよ」
その瞬間、周囲の光景が断片化する。
蜘蛛の糸が舞い、羅生門の影が伸び、地獄変の炎が微かに揺れる。
文字が生き物のように蠢き、小生を包み込もうとする。
小生は思わず手記を胸に抱き、息を整える。
「この人……文学そのものが、彼の身体の一部なのだ」
短く、鋭い言葉に触れた小生は、言葉が放つ光と影の力に圧倒される。
「さて、君は何を選ぶかね」
芥川の問いは、静かに胸の奥に突き刺さる。
真実を求めるのか、物語の中で生きるのか――
その刹那、文字の奔流が小生を再び蔵へと引き戻した。
小生は膝を抱えて座る。
胸の奥には、影の男の目と声が、鋭くも儚く焼き付いていた。
――この章の旅は、まだ始まったばかりだ。