第四章・第一話 銀河の詩
蔵の奥、ひんやりとした空気の中、手記を胸に抱きしめる小生。
漱石、芥川、太宰の影はまだ胸の奥でざわめき、文字の奔流の残像のように小生の心を押し広げていた。
だが、ページをめくった瞬間、空気は一変した。
柔らかな光が文字の上に落ち、文字自体が微かに震えて、銀色の粒子となって宙を舞う。
空気は湿りも冷たさもなく、手のひらに触れる風はまるで春の微風のように柔らかい。
蔵の闇は徐々に溶け、銀河のような光の粒が漂い始める。
ページを読む手が、自然と止まった。
小生は、胸の奥に不思議な安堵感と胸の高鳴りが混ざるのを感じた。
そのとき、視界の奥に、ひとりの青年が立っているのが見えた。
痩せているが、柔らかな光に包まれ、姿が透明に揺れる。
――宮沢賢治。
「ようこそ、ここへ」
声は澄み渡り、まるで遠くの星々から降り注ぐ旋律のように小生の胸に届いた。
その声に触れるだけで、これまで蔵の暗闇で感じていた重苦しい影が、一瞬和らぐ。
小生は息を呑む。胸の奥の影たちとは異質な、やわらかく温かな光――希望の色をそこに見た。
賢治は軽く頭を傾け、微笑むように手を差し伸べる。
手のひらからは、銀色の粒子が舞い、光の道を描いて空間に溶けていく。
「ここでは、絶望も悲しみも、恐れも、すべて形を変えることができる」
小生は言葉を失った。
文字の奔流がまるで生き物のように光を帯び、文字が波のように揺れ、読む者の心を浸す――。
小生の心に、これまで感じたことのない好奇と期待が芽生えた。
恐れは残るが、恐怖ではなく、未知を知りたいという衝動。
「君も、影の中で迷っているのだろう?」
賢治の瞳は深く澄み、光の粒子に反射して小生を見つめる。
「迷い、苦しみ、影に触れながらも、希望に手を伸ばす者――その光を、この世界で見せてほしい」
小生は手記を抱き、蔵の闇に沈む影たちを思い浮かべる。
漱石の鋭利、芥川の冷たさ、太宰の哀感……
そのすべてが、この銀色の光の中で溶け合い、やわらかく包まれる。
文字と影が共鳴する感覚――胸の奥が震える。
周囲の文字が光を帯び、ページをめくるたび、微かな音楽が聞こえる。
文字の隙間から、Kの影が一瞬、遠くで揺れ、微笑んだように見えた。
小生は気づく。
――文字と影は、絶望を希望に変える力を秘めている。
そしてこの世界では、書くこと、読むこと、感じること、すべてが光と影を紡ぐ行為になる。
小生は胸の奥で初めて確かな決意を覚えた。
――恐れずに文字に身を委ね、影の世界の一員として歩むこと。
創作の意志を胸に、光の奔流に触れることで、物語の中で自らの存在を確かめること。
蔵の闇に戻ったとき、小生は膝を抱えながらも、心の奥で変化を感じた。
漱石、芥川、太宰、そして賢治――すべての影が、静かに、しかし確かに胸に刻まれていた。
小生は悟る。
――物語は、ただ読むものではない。
触れ、巻き込まれ、影と向き合い、そして自らも物語の一部となることで初めて、文字は生きるのだ、と。
次に手記を開くとき、さらに深く、幻想的で複雑な影の世界が、小生を待ち受けているのを、胸の奥で感じていた。