93.クロネを取り戻せ(2)
「鈴がっ!」
クロネを操っていた鈴が、砕け散った。私は男の手元からクロネへと視線を移す。
双剣を握っていたクロネは、ゆっくりと腕を下ろしていた。けれど、その表情にはまだ生気がない。魔法と薬の影響が、まだ残っているのだろう。
「オルディア様! クロネの魔法を解いて!」
『よしきた! オルディアフラーッシュッ!』
オルディア様が首飾りを取り出すと、そこからまばゆい光が放たれ、クロネを包み込んだ。部屋中が一瞬、白く染まる。
そして光が引くと、クロネの体がふらりと揺れる。脱力したように見えるのは、魔法の効果が切れた証拠。あとは薬の影響さえ抜ければ――
「クロネ!」
私は思わず駆け出していた。
「くそっ、鈴が無いなら――力づくで!」
男がナイフを抜いて突っ込んでくる。しかし、そんなもの怖くない。
私の魔力弾が男の額を撃ち抜き、彼は何の叫びもあげず、その場に崩れ落ちた。
これで、もう邪魔する者はいない。
今にも崩れ落ちそうなクロネの元へ駆け寄り、その体をしっかりと抱きとめた。
すぐに魔力を練り、彼女の全身を優しく包み込む。体内に残る薬の効果を打ち消すように、ゆっくりと、丁寧に。
――お願い、これで元に戻って。
心の中で強く願いながら、ひたすら魔力を送り込む。すると、ふっとクロネの体から力が抜けた。
その瞬間、私は支えきれず、彼女と一緒に床に倒れ込んでしまった。一瞬、焦ってしまう。慌ててクロネの体を起こし、その顔を確認した。
「うっ……」
クロネの眉がわずかに寄り、苦しげに顔を歪める。やがて、ゆっくりとまぶたが持ち上がり、その瞳にうっすらと光が宿った。
「クロネ……?」
私はそっと呼びかける。すると、その視線が私を捉えた。
「……ユナ?」
かすかに震える声。だけど、間違いなく、クロネの声だった。
「私のこと、分かる?」
一瞬の沈黙のあと、クロネは小さく頷く。
「……あぁ、分かる。ユナだ……」
その言葉に、胸が熱くなった。思わず、彼女をぎゅっと抱きしめる。
「良かった……本当に、良かった……!」
クロネの腕が、そっと私の背中に回る。ぬくもりが確かにそこにあった。彼女は戻ってきてくれたのだ。
もしクロネまで、あの人たちのように戻らなくなってしまったら。そんな想像が頭をよぎるたびに、胸が締めつけられて、息苦しくなりそうだった。
でも今、こうして私の腕の中にいる。ちゃんと自分の名前を呼んでくれた。その事実が、たまらなく嬉しくて、思わずクロネをぎゅっと強く抱きしめた。
すると、私の背中に回されたクロネの手も、ぎゅうっと力を込めてくる。まるで、「ここにいるよ」って、そう伝えてくれているみたいで胸が熱くなる。
あぁ、良かった。本当に、良かった……。クロネは、ちゃんと私のところへ帰ってきてくれたんだ。
「……ゴメン、迷惑をかけた」
クロネが俯き、小さな声で呟いた。
「ううん。いいの。……こうして戻ってきてくれたから、それだけで十分だよ」
私がそう返すと、クロネはそれでもまだ申し訳なさそうに目を伏せる。
「でも……私、あの時……」
言葉を途中で詰まらせ、クロネはそっと耳を畳んでしょんぼりと肩を落とした。
きっと、操られていた時の記憶が残っているのだろう。もしそうなら、自分の意思ではないとはいえ、苦しくて、辛くて、責めずにはいられなかったのかもしれない。
その痛みを思うと、私の胸まで締めつけられるように痛んだ。だから、私はできるだけ優しい声で、そっと気持ちを伝える。
「……大丈夫だよ。クロネは、悪くない。私は、ちゃんと分かってるから」
顔を上げたクロネと、静かに目が合う。その瞳の奥に揺れる後悔と安堵を見て、私は笑みを浮かべた。
私たちはお互いを思っている。ただ、それだけで――きっと十分なのだ。
「ここにいたら、また捕まっちゃう。どこかに逃げないと……」
「そうだな。今度こそ逃げ損ねたら、もっと厄介なことになる」
クロネも真剣な顔で頷いた。
「とにかく、この屋敷から出よう。でも……出口がどこか分からないし、そこまで行く間に誰かに見つかるかもしれない」
どうしようと考え込んでいると、クロネがふっと口元に笑みを浮かべる。
「だったら、良い手がある」
「良い手……?」
一体なにを考えているのかと首をかしげていると、クロネは迷いなく窓の方へと向かった。そして、窓を開けて外を見下ろす。
「三階か……問題ないな」
「えっ? ま、まさか……」
嫌な予感がして、思わず声を上げた。
「ここから飛び降りる」
「さ、三階から!? む、無理だよ! 死んじゃうよ!」
慌てふためく私の前に戻ってきたクロネは、ふわりと優しい笑みを浮かべた。
「ユナなら大丈夫。ちゃんと守るから」
そう言って、そっと私の体に手を回し、驚くほど軽々と抱き上げる。胸の中にすっぽりと収まると、彼女の体温がじんわりと伝わってきた。
「安心して。あたしがいる」
その声に、胸の奥がきゅっとなった。怖いはずなのに、不思議と怖くない――。だって、今のクロネは、いつもの頼れるクロネなんだもの。
「よし、行くぞ!」
そう言うと、クロネは迷いなく駆け出し、開いた窓から勢いよく跳び出した。
三階の高さから空へ舞い上がるように飛び出した瞬間、重力が体を引っ張り、思わず私はクロネにぎゅっとしがみついた。風が耳元を駆け抜けていく。心臓がどくんと高鳴る――でも、不思議と怖くなかった。
そして――ふわり、と。
まるで羽根のように、何の衝撃もなく、優しく地面に着地した。まるで夢の中にいるみたい。あまりの静かさに、私はきょとんとした顔をしてしまった。
「ね? 本当に大丈夫だっただろ?」
胸の中から顔を覗き込んできたクロネが、得意げに微笑む。その顔が、少しだけ誇らしげで、そしてすごく優しかった。
「う、うん……ありがとう、クロネ」
怖がっていた自分が恥ずかして、思わず顔が熱くなる。でも、今は何も言わなくても、ちゃんと気持ちは伝わっている気がした。
「よし、このまま少し距離を取ろう。安全なところまで離れるぞ」
そう言って、クロネは私を抱えたまま、軽やかに歩き出す。その腕の中はあたたかくて、心地よくて――どこまでも安心できる場所だった。
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