87.安らぎが欲しい!
私たちは商会長に案内されて、大きな屋敷へとやってきた。用意されたのは、広くて落ち着いた一部屋。食事の時間までは、そこでしばらく休んでいてほしいとのことだった。
ベッドに身を投げ出して、ぐったりと天井を見上げる。ふかふかの布団の上に乗っているのに、まったく心が休まらない。
頭の中では、今日あったことがぐるぐると回り続けていた。
教会に集まっていた、どこか不穏な雰囲気の人々。スウェンの意味深な態度。そして、ランカの状態……。
一つひとつの出来事が重たくて、心が追いつかない。たった一日で、あまりにも多くのことを知りすぎた。
目を閉じても、落ち着かない。むしろ瞼の裏に、あの光景たちが鮮明によみがえってくる。
一体、これからどうすればいいんだろう。そんな問いが、知らず胸の奥に広がっていた。
「ユナ、大丈夫か?」
そんなふうに声をかけてきたのは、クロネだった。自分のベッドからすっと立ち上がると、私のベッドの端に腰を下ろす。
「なんか……難しいこと考えてる匂いがした」
「ふふっ、クロネにはお見通しだね。うん、今日あったことを思い返してたら、つい、ね」
教会のこと、スウェンのこと、そして何より、ランカのこと。整理しようとしても、どこかで心が引っかかってしまう。
「……あたしは、難しいことはよくわかんない。でも、ランカのことは……どうにかしてやりたい」
クロネの声は静かで、でもしっかりとした決意がこもっていた。
「うん、私も同じ気持ち。放っておけないよ。だから、ちゃんと考える。どうすれば助けられるか、何ができるのか……一緒に探そう」
「……うん」
クロネは、私の隣でそっと頷いた。言葉は少なくても、そのぬくもりが、胸の奥にじんわりと染みていく。
だけど、クロネの耳は少し伏せ気味で、元気がなさそうだった。しっぽも力なく垂れていて、いつもの張りが感じられない。
「……クロネこそ、どうしたの? なんだか元気ないよ?」
私が問いかけると、クロネは小さく肩をすくめて、視線を落とした。
「……何もできない自分が、歯がゆいんだ。うまくやれる方法を思いつけたら、ランカのためにもなるし……ユナの助けにもなれたのに」
その声には、悔しさが滲んでいた。
でも、私はすぐに首を振る。
「そんなことないよ。クロネは、すごく頼りになるよ。今だって、こうして一緒に考えてくれてる。私のそばにいてくれてる。それだけで、本当に心強いの」
そう言うと、クロネはきょとんとした顔でこちらを見た。けれど、すぐに目を逸らして、小さく呟くように言った。
「……そう、かな。でも……ユナ、困ってるじゃん。何か、力になりたくて……。あたしたち、友達だし」
その最後の一言は、ほんのかすかに聞こえるくらい小さな声だった。だけど、その言葉はまっすぐに胸に届いた。
「うん。友達、だよね」
私は自然と微笑んで、そっとクロネの手に触れた。その手を優しく握り、真っすぐに伝える。
「ありがとう。クロネがそう言ってくれるだけで、私は元気になれるよ」
クロネは恥ずかしそうに目をそらしながら、でも少しだけ、しっぽがふわっと揺れた。
私の気持ちは匂いでクロネに筒抜けだけど、クロネの気持ちは表情やしっぽの動きに出るから、私には丸わかりだ。お互いの気持ちが自然と伝わるこの関係は、とても心地いい。言葉が足りなくても、通じ合える安心感がある。
少し元気を取り戻したクロネは、いつもの調子に戻ってきたみたいだった。
「難しいことを考えるのは苦手だけど……ユナのことは応援できる。ユナがちゃんと考えられるようにするには、あたし、何をすればいい?」
「えっ……そうだなぁ」
応援されながら考えるって、ちょっと不思議な感じ。でも、なんだか楽しい。私は少しだけ考えるふりをして、ちらりとクロネの方を見た。
クロネは期待に満ちた目で私を見つめ、耳はぴんと立って、しっぽは上機嫌にふわふわと揺れている。
もう、その姿を見るだけで、元気なんて十分すぎるほどもらってるよ。
心の中でそう思いながら、ふと、くすぐったいような気持ちが芽生える。ちょっとだけ、いたずらしてみたくなった。
「うーん……良いことを思いつくには、気分が良くないとダメだと思うんだよね」
「気分?」
「そう。だから、クロネが私をいい気分にしてくれたら、きっと考えがまとまると思うんだ」
そう言うと、クロネは首を傾げながらも、真剣な表情で聞き返してきた。
「……いい気分にするって、どうやればいいんだ?」
その一生懸命さが愛しすぎて、胸が温かくなる。だから、私のいたずら心も膨らんでいった。
「そうだなぁ……クロネが、猫みたいにじゃれてくれたら、いい気分になるかも」
ふと思いついたことを口にすると、クロネは「ふーん?」という顔で、少しだけ考えるそぶりを見せた。
そして、次の瞬間――ベッドの上にごろんと仰向けに寝転がった。
「こう……か?」
両手を丸めて前に出し、猫の手みたいにして、首を小さくかしげる。その仕草に合わせて、耳がピクピクと動いて、しっぽがふわふわと揺れた。
あまりの可愛さに、胸がぎゅうっと締めつけられる。
なにこれ、可愛すぎる……!
十分すぎるくらい愛おしいその姿。でも、もっと見たい。もっとクロネの猫っぽさを見てみたい。そんな気持ちがむくむくと膨らんで、気がつけば、私は手の中に小さなねこじゃらしを作っていた。
「じゃあ……これに、猫みたいにじゃれてみて?」
そう言いながら、私はベッドの端でねこじゃらしをゆらゆらと揺らしてみせた。
クロネは最初、不思議そうにそれを見つめていたけど、すぐに目がきらりと光る。まるでスイッチが入ったみたいに、身体を起こして、前足――じゃなくて、手をふわりと伸ばした。
「……こうか?」
クロネは真剣な表情で、ねこじゃらしにじゃれつき始めた。小さな猫パンチを繰り出したり、丸めた手で器用に挟もうとしたり……そのたびに耳がぴくんと反応して、しっぽがご機嫌そうに揺れる。
可愛すぎて、もうダメ。私は笑いをこらえるのに必死だった。
「も、もう、クロネ……! 本物の猫さんでもそんなに可愛くないよ……!」
クロネは誇らしげに胸を張る。
「上手いもんだろう?」
その声にも、動きにも、全部にきゅんとさせられる。こんなに癒されるなんて、反則だよ……。私は顔が緩むのを隠しきれずに、そっとねこじゃらしを揺らし続けた。
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