130.カリューネ教のレイナ
大きな狼耳をぴくりと動かし、ふさふさの尾を優雅に揺らしながら、カリューネ教の衣を纏った女性が近づいてくる。
「お、おい。今、話している最中だぞ。部屋で待っていてくれ、レイナ」
「バルドル様のお知り合いでしたら、私もご挨拶をすべきかと思いまして」
「その必要は……」
「私とバルドル様の仲ですもの。必要がありますわ」
涼やかな声でそう告げると、レイナはクロネの反対側に腰を下ろし、当然のようにバルドルへ身を寄せる。その頬は甘えるように彼の肩へ触れ、目線は自然と彼の手元へ。
「あら……これは、なんですの?」
「あっ、こ、こら!」
「内緒なんていけませんわ。見せてくださってもいいでしょう?」
「むぅ……」
バルドルの制止を軽やかに受け流し、レイナはするりと手紙を抜き取る。細い指が手紙を広げ、内容を読み取った途端、その口元に艶やかな笑みが浮かんだ。
「まぁ……こんなものを真に受けていらしたの?」
「し、しかし、同じ地方の同胞からの言葉を疑う訳には……」
「ふふっ」
レイナは小さく笑い、バルドルの胸元へ体を預ける。狼耳が彼の頬にかすめ、囁くように言葉を落とした。
「こんなに遠く離れた場所から届いた薄っぺらな言葉と、こんなに近くで、今こうしてあなたの胸に触れている私の言葉……どちらを信じるべきか、明らかではありませんか?」
レイナの吐息が耳をくすぐり、ピクリと動く狼耳がバルドルの肌を掠める。バルドルの手がわずかに震えた。
「いや……しかし……」
「バルドル様」
レイナは彼の胸元に指先を這わせ、猫のようにしなだれかかる。
「もし、この話を信じるようでしたら、私はここから離れてしまわなければいけませんのよ」
その声音は確信に満ち、誘惑の色を帯びていた。バルドルの心を縛るように、優しく、しかし決して逃がさない鎖のように。
バルドルは言葉を失い、視線を宙に泳がせる。手紙の文字よりも、腕の中に寄り添う体温の方が鮮やかに支配していくようだ。
そのレイナをクロネが睨みを効かせる。
「……お前、一体なんなんだ」
「私はバルドル様のお友達よ。それも深い仲のね」
「今、バルドル様とはあたしが話している。邪魔をするな」
「そっちこそ、私とバルドル様の時間を邪魔しているでしょ? 用が終わったら、この屋敷から出て欲しいわ」
二人はバルドルを挟みながら睨み合う。間に挟まれたバルドルは何と言おうか迷っているみたいだった。
……なるほど。これは思った以上に厄介な構図。
レイナは計算高い。甘い言葉と仕草で揺さぶりをかけ、バルドルの理性を溶かしていく。単なる色仕掛けではない。彼女は意識的に「選ばせている」。手紙を信じるのか、彼女を信じるのか――その二択を。
そして、肝心のバルドルは情は篤いけど、誘惑にも弱い。義理と誠実さの板挟みになれば、簡単に立ちすくんでしまう。今もその通り。手紙とレイナ、どちらを取るか、答えを出せずにいる。
ふさふさと尾を揺らすレイナの姿は、一見すると従順な恋人のよう。けれど、その目の奥には「獲物を逃がさない」という捕食者の鋭さがあった。
一方でクロネの瞳は正直だ。怒りと焦りがすべて透けて見える。その率直さは美点であるけれど、こういう場面では隙になりかねない。
あまり状況は良くない。バルドルの心がレイナに傾いているのが分かる。クロネの事を心配しながらも、レイナに惹かれている様子だ。
こんな状況で無理やり話を進める訳にはいかない。それに、カリューネ教の関係者がここにいる状況も良く分からない。
まずは状況を知ってから動かなければ、優位に話を進められない。だから、ここはバルドルに助け舟を出す。
「お忙しい中、会ってくださってありがとうございます。久しぶりにお二人が出会ったのですから、すぐにお別れするのも寂しいんじゃないですか?」
「ん? おぉ、その通りだ。もう少し、話していたいのぅ。それに、クロネと一緒にいるお前たちとも話してみたい」
そう言って、私たちの方に視線を向けた。だけど、バルドルの視線がやけにランカの方に向く。まだ、一言も喋っていないランカに興味がいくのはなぜ?
それに、この視線には覚えがある。既視感があるような……。
……まさか、このバルドルっていう前公爵、興味があるのはもふもふじゃない? だってその目、私が二人を見る目と似ている。
バルドルが大人の女性が好きだと思ったけど、そうじゃないみたい。だったら、私たちにも話を通すチャンスはある。
もふもふで惹きつけて、この状況の情報を手に入れて、尚且つ私たちの話を聞いてもらおう。




