122.楽しい修行日和(3)
「ハイオークか……。相手はBランクだな」
「強いの?」
「あたしに比べれば弱い」
「クロネ基準で言われても困るんだけど」
岩陰に身を潜めて奥を覗くと、そこに魔物の群れが見えた。
体長三メートルを超える巨体、ハイオーク。普通のオークが進化した姿で、鬣のような毛並みを持っているのが特徴だ。
違いはそれだけじゃない。オークのような脂肪に覆われた体つきではなく、無駄のない筋肉が盛り上がっている。鈍重なオークとは比べ物にならないほど厄介な相手だ。
「……数は二十。流石は山岳地帯だな。群れを成して動いている」
「そんな強い魔物があんなに? 戦うの、大変なんじゃ……」
「だが、それがいい」
「も〜、クロネは本当に……」
強敵を前にしても、クロネは目を輝かせていた。まるで子どもが遊びを前にした時みたいに、ワクワクが隠せない。
「こんな数のBランク魔物と戦うのは初めてだ。気を引き締めていかないと」
「ユナたちも初めて?」
「そうだね。Cランク以下なら万と相手にしたことはあるけど、Bランクだけで三十体なんてのは前代未聞だよ」
「そっか! ランカもワクワクしてきた!」
しまった。クロネの興奮が伝染したのか、ランカまで目を輝かせている。二人とも今にも飛び出していきそうで、私は冷や汗をかきながら群れを見つめた。
「ランカ、とにかく全力だ。力の出し惜しみはするな」
「分かった。全力だね」
「それから、周囲の確認も忘れるな。特に仲間の位置だ」
「攻撃を当てないように……気を付ける」
戦闘前にクロネが短く的確な助言を送る。ランカは真剣な瞳でそれを受け止め、その言葉を心に溶かし込んだ。
二人とも本気だ。油断さえしなければきっと大丈夫。私は息を整え、ハイオークの群れを射抜くように見据える。
「まずはユナの魔法で先制だ」
「頼んだよ、ユナ」
「任せて!」
二人の視線を受け、私は力強く頷いた。魔力を高め、解き放つ。溢れた魔力を一瞬で数十本の火矢に変え、さらに風の加護を宿すと一斉に射出した。
矢は赤い閃光となり、空気を切り裂きながら一直線に突き進む。――だが。
「ブオォォッ!」
ハイオークは気配を察し、武器を大きく振り抜いた。火矢は次々と叩き落とされ、爆ぜ散る。さすがBランク。反応の速さも力強さも、Cランクとは格が違う。
「後は任せろ!」
「行く!」
クロネとランカが同時に飛び出した。二人の姿が地を蹴った瞬間に掻き消え、目にも止まらぬ速さでハイオークの懐へ迫る。
「――斬り裂くッ!」
クロネの双剣が閃光のように走った。鋼を裂く音が空気を震わせ、ハイオークの分厚い皮膚に赤い線を刻む。二振りの剣が交差する度、火花が散り、巨体がのけぞる。
「ガァァッ!」
同時にランカが咆哮を上げる。その体が狼の血に呼応するように変じ、筋肉が膨れ上がった。鋭い爪が閃き、拳が大地を砕くほどの勢いで叩き込まれる。
「食らえぇ!」
狼の爪と拳を一体にした連撃が炸裂した。爪が肉を裂き、拳が骨を軋ませ、ハイオークが絶叫する。
三メートルを超す巨体が大きく揺らぎ、仲間たちの間で地響きが起こる。それでも倒れぬ怪物に対し、クロネとランカはさらに畳みかけるように動いた。
「まだだ、止まるな!」
「分かってる!」
二人の影が交錯し、双剣と爪拳の猛撃が嵐のように降り注ぐ。そして、ようやく対峙したハイオークが膝から崩れ落ちるように倒れた。
「やった、倒した!」
「気を抜くな、次だ!」
ようやく二体のハイオークを仕留めた。だが、まだ十八体も残っている。このままでは二人の体力が持たない。
だからこそ、私の援護が必要だ。クロネとランカが戦いやすい状況を整えなければ――。
狙うべきは、敵の動きを止めること。魔力で拘束することは可能だが、Bランクの魔物の抵抗は強烈で、私の集中が途切れればすぐに破られてしまう。もし不意に解けて、二人に攻撃が向かったら……考えるだけで冷や汗が出る。
もっと確実に、しかも私の手を離れても持続する術はないだろうか?
空気中の魔力。もしこれを糸状に変えて、周囲に固定化できれば……。
私は深く息を吸い、魔力を空気へと溶かし込む。自身の魔力と周囲の魔力を同調させ、糸のように編み上げていく。それをハイオークの四肢に巻き付け、さらに空気中の魔力と結合させて縫い止めた。
「ブオォッ!?」
「グッ……!」
「オオオッ!」
巨体が、まるで見えない縄で縛られたようにぎしりと硬直する。数体のハイオークが身動きを封じられ、苦悶の声を上げた。
「二人とも! 今、動きを止めた! この隙にトドメを!」
「分かった!」
「ユナ、やるじゃん!」
クロネとランカの瞳が一層鋭さを増し、縛られた獲物へと殺到する。
「はぁッ!」
クロネの双剣が閃光のように走り、拘束されたハイオークの胸を十字に裂いた。血飛沫が飛び散り、巨体がぐらりと揺れて膝をつく。
「ガァァッ!」
続けざまにランカが爪と拳を同時に叩き込む。鉄塊のような肉体が歪み、轟音を立てて大地に叩きつけられた。
拘束されたハイオークたちは抵抗する間もなく、次々と斬撃と獣撃の餌食になっていく。
「いいぞ、ランカ!」
「クロネも速い!」
二人は縛られた巨躯を片っ端から薙ぎ倒し、まるで嵐のような連撃で仕留めていった。
だが――。
「……ッ!」
背筋に悪寒が走った。私の方へと向かって、数体のハイオークが走り出していた。
目は血走り、唸り声を上げながら、巨体を揺らして一直線に迫ってくる。きっと私の魔法を危険視したのだろう。拘束された仲間を見て、真っ先に術者を狙ったのだ。
「「ユナ!」」
二人の叫びが響く。早く、ハイオークの動きを止めなくちゃ!
「来る……!」
私は咄嗟に両手を掲げ、次の魔法を発動させようとした――。
「《迅雷双刃》!」
クロネが地を蹴った瞬間、雷鳴のような衝撃が走った。双剣が光の残像を幾筋も描きながら空気を切り裂く。
その動きはまるで瞬間移動のよう――次の瞬間には、ハイオークの喉と胸を一閃で貫き、二撃目の刃で背後へ抜け去っていた。巨体が気づいたときには、すでに深々と切り裂かれている。
「ガロウクラッシュッ!」
同時に、ランカの拳と爪が残光を引きながら炸裂する。拳は大地を震わせ、爪は鋼鉄を裂くかのように振り抜かれる。
一撃ごとに獣の咆哮が重なり、ハイオークの胴をまとめて打ち砕いた。肉と骨が悲鳴をあげ、巨躯は耐えきれずに崩れ落ちる。
二人の必殺の斬撃と獣撃が交錯し、止めを刺されたハイオークたちは血煙の中で倒れ伏していった。
「ユナ、大丈夫か!?」
「怪我はしてない!?」
二人が駆け寄ってくる。私は息を整えながら、必死に笑みを作った。
「う、うん……二人のおかげで無事だよ。それにしても、ランカ……」
隣で拳を握りしめているランカに視線を向ける。
「今の……オリジナルのスキル技じゃなかった?」
「……うん。なんか、ユナを助けなきゃって思ったら、体の奥から力が湧いてきて……気づいたら、できてたんだ」
ランカは驚いたように自分の拳を見つめている。その指先には、まだ微かに残光が宿っていた。
「すごいじゃないか! ただ力任せに殴ったんじゃない。あれは、技として完成してた。お前の力が形になったんだ」
「本当にすごいよ、ランカ! 守りたいって気持ちが、技になったんだね。あの迫力、私もびっくりしたよ」
「えへへ……」
褒められたランカは、頬を赤く染めて照れ笑いを浮かべる。狼の耳がぴくぴくと揺れていて、その仕草が可愛く思えた。
「じゃあ、残りのハイオークも倒していくぞ!」
クロネが双剣を構え直し、鋭い視線を群れへと向けた。
「うん! また、スキル技を使う!」
ランカは狼の耳をピンと立て、拳を握りしめる。全身から闘志が溢れ出していた。
「私が動きを止めるよ!」
私は胸の奥で魔力を高め、指先に集中させる。さっきよりも上手くやれる気がする。
三人の声が重なり、岩陰を飛び出した。クロネの双剣が閃き、ランカの足音が地面を蹴り砕き、私の魔力が空気を震わせる。
ハイオークたちがこちらに気づき、咆哮を上げた。だが、恐怖はない。私たちはもう、同じ方向を見ている。
「行くぞッ!」
「おぉッ!」
「止まって!」
三人の力が交わり、次の激闘が幕を開けるのだった。