117.ランカとクロネ
「あっ」
朝日を拝んでから部屋に戻ると、クロネがちょうど体を起こしていた。
「クロネ、おはよう!」
「……おはよ」
元気に声をかけたけれど、クロネはどこか不機嫌そう。頬をふくらませるような顔で、しっぽも落ち着かずにパタパタ揺れている。
「どうしたの? なんだか機嫌悪そうだけど……」
「……あたしを置いて、二人でどこに行ってきたんだ」
「えっ、あぁ。ちょっと早く目が覚めちゃったから、朝日を見に行ってただけだよ」
「……あたしも起こしてほしかった」
理由を聞けば、一人だけ残されたのが気に入らなかったらしい。普段は涼しい顔をしているのに、こんなふうに拗ねるところは年相応で寂しがり屋な一面が覗く。
耳も、しっぽも、普段とは違う落ち着かない動き。珍しいその姿が可愛くて、思わず笑みがこぼれた。
「残しちゃってごめんね。寂しかったよね」
「……別に、寂しくない」
「またまた、そんな事言って。寂しいって書いてあるよ」
「えっ、ど、どこに書いてあるんだ!?」
そう言うと、クロネが慌て出して自分の体を触り始めた。本当に書いてあると思ったらしい。その素直な反応は余計に可愛らしく感じた。
すると、やり取りを見ていたランカが笑う。
「クロネ、面白い!」
「な、なんでそうなるんだ! あたしは別に面白くなんてない!」
「そう? コロコロ態度が変わって、面白いよ」
「そ、そんな……」
楽しそうにいうランカの言葉にクロネはショックを受けたようだ。残念そうに項垂れて、耳もぺったっこでしっぽも元気がなくなる。今日の朝はクロネの色んな表情が見れて楽しい。
すると、クロネがふいに顔を上げた。その表情は驚きに揺れていて、思わず息をのむ。
「……ランカが、笑ってる」
「うん? そうだよ」
「……どうして? 昨日は……あんなに苦しそうだったのに」
クロネはランカの変化にすぐ気づいていた。ずっと彼女のことを案じていたからこそ、今日の笑顔に驚いているのだ。
「もしかして、昨日のランカのこと……気づいてた?」
「……それは」
問いかけると、クロネは言葉を探すように口を閉ざす。言いたいのに言えない、不器用さがにじむ。
耳が少し垂れて、肩も落ち、視線は迷子のように揺れる。心配していたのに、どう伝えればいいのか分からない。そんな葛藤が見え隠れしていた。
その姿を、ランカは黙って見つめていた。言葉よりも、クロネの気持ちが届くのを、静かに待つように。
クロネは手をギュッと握りしめ、勢いよく立ち上がった。
「……気づいてた。ランカが辛そうにしてるの、ずっと気づいてたんだ」
「うん、やっぱり。クロネなら匂いで分かっちゃうもんね」
「……だけど、声をかけられなかった。心配だったのに、どんな言葉をかければいいか分からなくて……本当は、聞きたかったのに」
絞り出すような言葉に、ランカは困ったように、けれど優しく微笑んだ。迷惑をかけた後ろめたさと、それ以上に心配してもらえた嬉しさが、入り混じった笑みだった。
一方でクロネは、自分を責めるように眉を寄せる。声をかけられなかった自分を情けなく思っているのだろう。
「どうして……あんなに辛そうだった?」
「……ヘドロスライムの時、思ったように動けなかったから。それで……役に立てないなら、ランカは要らないんじゃないかって」
か細い声に、クロネはすぐに首を横に振った。
「違う。ランカは役立たずなんかじゃない。一緒にいてくれるだけで、あたしは心強い」
「……本当に? ランカ、一緒にいてもいい?」
「当たり前だ。一緒にいてくれないと、あたしが困る」
「クロネ……」
その言葉に、ランカの瞳が潤んだ。その表情が緩み、温かな笑みが溢れた。クロネの不器用で真っ直ぐな想いが、ランカに届いたのだ。
ランカがふっと俯いた。大きな耳も、ふさふさのしっぽも力なく垂れてしまい、さっきまでの元気が消えたみたいだ。どうしたんだろう。そう思った瞬間、胸の奥に不安が広がっていく。
けれど、ゆっくりとランカが顔を上げたその時――そこに浮かんでいたのは、涙がこぼれそうなほど眩しい、満面の笑顔だった。
「クロネの気持ち、ちゃんと伝わったよ。二人が思ってくれてるって知れて……ランカの心は、すごく軽くなった。二人と一緒にいられて、本当に嬉しい」
心の底から溢れる安堵と喜びが、その表情のすべてに宿っていた。きっと、ここへ来るまでの道のりで抱えていた不安も、迷いも、その笑顔とともに溶けていったのだろう。
ランカのやわらかな笑顔は、あたしたちの胸にそっと触れて、あたたかく包み込んでくれる。まるで「ここにいていい」と肯定してくれるみたいに。
少しずつ、けれど確かに、三人の心は寄り添っていく。その尊さが胸を満たし、言葉にできないほど大切に思えた。
ランカがそっとクロネに近づき、鼻先を寄せるようにして匂いを嗅いだ。
「クロネの匂い……安心する。ランカを大事に思ってくれてる匂いだね。ずっと嗅いでいたいくらい」
しっぽをぱたぱた揺らしながら微笑むランカ。対してクロネは顔を真っ赤にして、慌ててそっぽを向く。
「……確認しないで」
その反応さえ面白がるように、ランカはさらにぐいっと距離を詰める。
「どうして? クロネだって匂いで確かめるでしょ? ならランカも同じだよ」
「……だ、ダメ」
「どうして? ユナはちゃんと嗅がせてくれたよ?」
「……ユナ……」
視線がこちらに向けられる。恨めしそうな目つきに、思わず苦笑してしまった。
「私はクロネで慣れてるからね。別になんてことないよ」
「だからって……そんな平然と匂い嗅がせるなんて……」
「恥ずかしいでしょ? クロネがもう匂いは嗅がないって約束してくれたら、助けてあげる」
「ぐっ……」
意地悪を言ってみれば、クロネは言葉を詰まらせて顔を歪める。その反応だけで、すぐに「約束できない」って伝わってきた。へー、そんな風に思っていたんだー。
「えへへ、クロネもほんとにいい匂い!」
「だから嗅ぐなってば!」
ランカが子犬のようにじゃれつくと、クロネは必死に押し返す。でも耳としっぽは気持ちを隠せずに揺れていて――その光景が、あまりにも愛おしい。
……もふもふ同士が仲良くじゃれ合う姿。尊くて、胸がぎゅっとなるくらい幸せだ。もっと、見ていたい……。