112.汚染された川(3)
ヘドロスライムを斬り裂けば、その体は崩れ、酸を含む体液が四方に飛び散る。その一滴でさえ、木の葉は溶け、土は黒く焦げる。
本来なら、被害はまだ小さいはずだ。だが、ここに蠢くのは千匹もの群れ。もし全てを討伐すれば――溢れ出す体液は川を呑み、森を覆い尽くすだろう。
その時、この豊かな森は沈黙し、川は濁り続ける。村を救ったはずが、別の形で滅びを招くことになる。
どうにかして、自然への被害を最小限に抑えながら、この群れを倒さなければ……。何かいい考えはない?
「……問題は、この体液さえ何とかできれば」
体液そのものを別の物質に変えられればいい。そんな都合のいいことができれば苦労はない。魔力のように自在に性質を変えられるものじゃないのだから。
けれど、変えるという発想は悪くない。別の手段で……そうだ、乾燥だ。液体を蒸発させれば、酸の成分も固まりとなって残るはず。
固形化してしまえば、触れても溶かす力は失われる。森も川も、汚されずに済むかもしれない。
よし、この方法で行こう。
「二人とも、一旦下がって!」
「了解!」
私の声に、真っ先に反応したのはクロネだった。双剣を素早く鞘に収めると、まだ一心不乱に腕を振るい続けているランカのもとへ駆け寄る。
「ほら、撤退だ」
「わっ、ちょっと!?」
ランカのしっぽを掴み、半ば強引に引き下がらせるクロネ。
「何すんだよ!」
「ユナの声が聞こえなかったのか? 一度下がれって言ってただろ」
「えっ……そうなの? ……ごめん、夢中で全然聞こえてなかった」
ようやく状況を理解したランカは、肩を落として小さく謝った。
「いいんだよ。無事に下がってくれたなら」
優しくランカを慰めると、ランカは分かったように頷いてくれた。そして、私は二人に視線を向ける。
「それより、周りを見て。ヘドロスライムを切り刻むたびに体液が飛び散って、森が酸で焼けてる」
視線を巡らせれば、葉は焦げ落ち、木肌は爛れ、地面は黒く溶けていた。ヘドロスライムの体液のせいで、周辺の自然が壊されている。
「このままじゃ、この一帯の自然が全滅する。そうなれば村だって持たない」
「それは……絶対困る!」
「そんな状況だったとはな。でも、ヘドロスライムを放置するわけにもいかん」
「だから、まずはあの体液を無力化する」
「えっ、どうやって?」
「見てて」
私はヘドロスライムの丘に向けて手をかざし、魔力を一気に解き放った。淡い光が広がり、巨大な塊を丸ごと包み込む。
「こうやるんだ!」
魔力に乾燥の性質を織り込み、内部へと浸透させていく。すると、ドロドロだったスライムの体からじわじわと水分が抜け落ち、ぬめっていた表面がみるみるひび割れた。やがて動きが鈍り、カチンと音を立てて硬直した個体が、次々と地面に崩れ落ちていく。
「すごい……! 本当に固まっていく!」
「なるほど、こうすれば体液が飛び散らずに済むわけか」
「でも、まだ息はある。――二人とも、乾燥したやつを叩き割って」
「了解!」
「任せろ!」
私の指示が終わるや否や、二人は同時に地面を蹴った。乾ききってひび割れたヘドロスライムが、あちこちに転がっている。
クロネは無駄のない動きで双剣を振るい、硬化した表皮を軽々と断ち割る。乾いた破片が宙に舞い、本来の力を失い地面に落ちていく。
一方ランカは、豪快に拳や蹴りを叩き込み、まるで岩を砕くような勢いで粉砕していく。乾いたスライムが砕けるたび、鈍い音とともに細かな粉塵が舞い上がった。
「こんなの楽勝!」
「だが、まだいる!」
二人は呼吸を合わせるように前進し、次々と乾燥したスライムを仕留めていく。あの粘ついた脅威は、今やただの脆い塊に過ぎなかった。
私が乾燥の魔法を発動させ、二人がトドメを刺していく。作業のように順調に進み、ヘドロスライムの数はどんどん減っていき。
そして――。
「これで、終わり!」
ランカの拳が最後のヘドロスライムを粉砕し、乾いた欠片がぱらぱらと地面に散らばった。静けさが戻った森の中、腐臭の匂いはほとんど消え、風が葉を揺らす音だけが響く。
「……討伐完了だな」
周囲を見渡したクロネが、安堵の息を漏らす。
「やったー! 終わったー!」
ランカは満面の笑みで両手を突き上げ、尻尾をぶんぶん振り回していた。
「二人とも、本当にありがとう。おかげで、あんなにたくさんのヘドロスライムを、ほとんど被害なく倒せたよ」
「何を言っている。簡単に倒せたのはユナの知恵と魔法のおかげだ」
「そうそう! ユナがやり方を考えてくれたから、森も村も守れたんだよ!」
面と向かって褒められ、思わず頬が熱くなる。
「えへへ……そうかな」
照れ隠しに笑うと、二人が同時に私の肩を軽く叩き、にこっと笑い返してくれた。その瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「じゃあ、後始末をして村に戻ろうか」
「後始末って?」
「何かやる事があるのか?」
二人が同時に首を傾げる。その仕草が妙にそっくりで、思わず小さく笑ってしまう。
「粉砕されたヘドロスライムを放置したら、風で川に流れ込んでまた汚染されるかもしれないでしょ? だから、そうならないように土に埋めてあげるの」
「なるほど……確かに、このままじゃ危ないな」
「……そこまで考えてたなんて、正直びっくり」
私の説明に、二人は驚きと感心の入り混じった表情を見せた。
「ユナって、本当に細かいところまで見てる。あたしたち、戦うことばっか考えてた」
「うん。ユナがいてくれると、ただ勝つだけじゃなくて、ちゃんと守れるって感じがする」
二人のまっすぐな言葉が、胸にじんわりと染みてくる。思わず照れてしまう。
「そ、そんなに褒めたって、何も出ないよ」
「褒めてるんじゃない。事実を言ってるだけ」
「そうそう! ユナはランカたちの足りない部分を補ってくれてる」
そう言って、ランカは私の背中を軽くぽん、と叩く。クロネも静かに笑って、私の頭に手を置いて撫でた。
うぅ、急に褒められるとどうしていいか分からないよう。しばらく照れて動けないでいると、二人がもっと撫でて褒めてくれた。