109.朝の一幕
「《迅雷双刃》!!」
クロネの叫びと共に、双剣が閃いた。瞬間、稲妻のような斬撃が空気を震わせる。爆発にも似た衝撃波が辺りに轟き、周囲の草木が風圧でざわめいた。
だが――その一撃は、真っ正面から受け止められていた。
灰色の毛並みが風になびく。猛獣の如き気迫を纏ったランカが、獣化した姿で立ちはだかっていた。鋭い爪でクロネの双剣を受け止め、その目は闘志で煌めいている。
ビリビリとした空気が止み、張りつめた静寂が訪れる。
「……くっ、ランカ……やるじゃない。あたしの《迅雷双刃》を止めるなんて」
「っぶなかったー……ほんと、クロネは容赦ないよっ!」
肩で息をしながらも、ランカは笑みを浮かべる。その瞳には、まだ闘志が燃えていた。
「なら、今度は――こっちの番だよ!!」
ランカの足元が一瞬にして沈み、爆発的な勢いで跳躍する。その身体がブレるほどの速度で、爪がクロネへと迫る。
「このスピードについてこれるかな!?」
「――言うじゃないか」
火花のように衝突するふたり。鋭い刃と獣の爪が空中で何度もぶつかり、周囲に火花を散らす。鋼の音と獣の咆哮が響き渡り、戦場は再び熱を帯びていく。
正直、二人の動きは目で追えなかった。
地面を抉る衝撃、空中で交差する閃光。ただ、それだけで二人の凄まじさは十分に伝わってくる。まるで目の前で稲妻がぶつかり合っているような迫力。これが本気の戦いなんだ、と息を呑んだ。
……だけど。
「ねぇ、そろそろ朝の修行、終わりにしない?」
ふたりが激しくぶつかり合うその横で、私はぽつりと声をかける。お腹が――限界だ。
ぐぅぅぅ~~~。
まるで抗議のように鳴るお腹の音。本人の意志とは関係なく、腹の虫が存在を主張してくる。
「私たち、まだ朝ごはん食べてないよ?」
戦場さながらの訓練の隣で、私は空腹という名の戦いを繰り広げていた。
◇
「もう、ふたりとも朝から元気すぎだよ〜……」
ホバーバイクを軽快に走らせながら、私は小さく文句を漏らす。まだ身体が完全に目覚めていないこの時間に、あのふたりは容赦なく全開なのだ。
とはいえ、これには理由がある。
今後、もしカリューネ教と対立するような事態になれば、戦闘は避けられない。だからこそ、まだ戦いに不慣れなランカのために、朝の修行を取り入れたのだった。
ランカ自身、「みんなの役に立ちたい」と言って、誰よりもやる気を見せている。毎朝、まだ日も昇りきらない時間に自ら起きて準備を始める姿は、正直ちょっと尊敬してしまう。
……が、問題はクロネだ。
ランカの獣化による身体能力が、並外れていると察したクロネの闘志に、見事に火がついてしまった。
「これは自分の修行にもなる」と言って、完全にスイッチが入ってしまったのである。
その結果、張り切る修行組がひとりからふたりに増え、朝から戦場のような騒がしさになってしまった。
……活気があるのはいい。とてもいい。でも、そのせいで旅がちっとも進まないのは――やっぱり困るんだよなぁ。
「遅れてるなら、もっとホバーバイクを飛ばせばいいさ。さすがユナ、操作も完璧だしな」
「ほんとほんと! ユナの運転、安定してて速いよね! これならランカたちの遅れもすぐ取り戻せそう!」
……困るんだよなぁ。
「ユナって、ほんと何でもそつなくこなすよな。運転も、判断も、落ち着いてて……頼りになる」
「うんうん、私たちが慌ててても、ユナがいるだけで安心しちゃうんだよね~」
……もう!
「仕方がないから、朝は少し修行の時間を取ってもいいよ」
「ユナは分かるヤツだと知っていた」
「流石、ユナ!」
二人の明るい声を聞くと、嬉しい気持ちが膨れ上がる。まぁ、仕方がない。遅れは私の操縦で取り戻せばいいんだし。
ホバーバイクの速度を上げて道を進んでいく。気持ちのいい風が吹き付けて、雑念が消えて、心が軽くなる。どこへでもいけそうな気持ちにさせてくれる。
その時――。
「……なんだ、この匂い」
「変な匂いがする。生臭いような……腐ったような……」
突然、クロネとランカが顔をしかめ、鼻を押さえた。私は特に何も感じなかったので、思わず聞き返す。
「へ? 匂い? 全然わからないけど……」
「ユナ、あっちの方角。道から逸れて向かってくれ。何か、ただ事じゃない気がする」
「うん……嫌な匂いがする。すごく濃いの」
「……わかった。気をつけて進むね」
二人の真剣な様子に、私はすぐ判断を切り替え、ホバーバイクの進路を変える。しばらく走ると、風の流れが変わったのか、私の鼻にもその異臭が届いてきた。
「……うっ、これは……確かに、ひどい匂い」
腐敗と薬品が混ざったような、鼻の奥を刺激する不快な臭気。原因を突き止めるため、バイクをさらに進めていくと、前方に一本の川が現れた。
だが、近づくにつれて、その川の異常さが目に飛び込んでくる。流れる水は赤茶色に濁り、表面はドロドロと泡立ち、川とは思えない不気味な様相を呈していた。
「……これ、ひどい……水じゃないよ、もう」
「腐ってる……いや、ただの腐敗じゃない。魔物の匂いが混じってる」
「えっ……魔物? じゃあ、これって……」
「うん、多分……川の上流かどこかに、魔物が潜んでるんだよ」
川を汚す魔物がいる?
「この先から、人の匂いもする」
「村があるんじゃないか?」
「あぁ、そうかも」
川上には村があって、魔物がいて……。これはただ事ではない。
「気になるから、行ってみない? もし、困っている人がいたら三人で助けようよ」
「そうだな、良いと思う」
「賛成!」
話は決まった。私たちはホバーバイクに乗り込み、川上に向かって走り出した。