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105.ランカの気持ち

「二人とも、迷惑かけて……ごめん!」


 子爵の屋敷から戻り、ようやく落ち着いた宿屋の一室。その空気を破るように、ランカが勢いよく頭を下げた。


 あまりに突然のことに、私とクロネは思わず顔を見合わせる。


「ど、どうしたの……いきなり謝って?」

「別に、ランカが悪いことをしたわけじゃない」


 そう言っても、ランカは顔を上げようとしなかった。耳はぺたんと寝ていて、しっぽも元気なく垂れ下がっている。その姿は、見ていてこちらが胸を痛めるほどだった。


「ずっと……言いたかったんだ。あの時、二人の忠告をちゃんと聞いていれば、こんなことにはならなかった。だから、ごめん……」


 震える声でそう言うランカに、責める気持ちは湧いてこない。むしろ、そこまで思い詰めていたことに気づいてやれなかったことが悔しい。


「二人が、ランカのことを本気で心配して言ってくれたのに……ランカは、自分の気持ちばっかり優先しちゃって……」


 その言葉に、私はそっと問いかけた。


「あの時のランカ……どうして、あんなに意地になっていたの?」


 ずっと気になっていた。あの時、なぜあれほどまでに強引にスウェンを信じようとしたのか。私たちの声が届かないほどに、突き進もうとした理由が。


 できるだけ優しく聞くと、ランカはうつむいたまま、ぽつりと答えた。


「……ランカには、特別な力があるって言われて……それを引き出す方法があるって、スウェンに誘われたんだ。力が欲しくて、ついていってしまった」

「どうして、力が欲しかったの?」


 静かに重ねた私の問いに、ランカはほんの少し唇を噛んでから続けた。


「……スラムで、やられたでしょ? あの時、何もできなくて……すごく、悔しかった。力があれば、あんな惨めな思いをしなくてすんだ。仲間を、守れるって……そう思ったんだ」


 その言葉に私もクロネも、すぐには返事ができなかった。


 ランカが背負っていたもの。心の奥に押し込めていた悔しさや無力感。それを、ようやく言葉にしてくれたのだと気づいて、胸が痛くなった。


「ランカは、ずっと思ってたんだ……」


 ぽつり、と。今にも消えてしまいそうな声だった。


「何も持ってないランカは、スラムから出られない出来損ないなんだって。一生、このままだって……。泥水すすって、誰かの残り物を漁って、誰にも名前を呼ばれないまま死ぬんだって、ずっと思ってた」


 その声に、宿の部屋の空気がしんと静まる。


「だけど……力があるって言われて。スウェンに着いていけば、その力を引き出してくれるって言われて。……あの時は、もう黙ってなんかいられなかったんだ」


 ランカの目が、わずかに潤んでいた。けれど、涙はこぼれなかった。泣くことさえ、もう慣れてしまったのかもしれない。


「スラムでの暮らしは、毎日が戦いだったよ。生き残るだけで精一杯だった。冬の寒さに凍えながら、裸足で歩いた。誰かが落としたパンの欠片を奪い合って、仲間と喧嘩した。泣いても誰も助けてくれない。そんなの、普通だと思ってた」


 ランカは、遠くを見るような目で語る。


「ある日、仲間の一人が病気になって……助けてって言っても、大人たちは見向きもしなかった。薬なんて買えるはずがない。だから、目の前で……」


 言葉が詰まる。ランカはぎゅっと口をつぐんだ。だけど、私もクロネも、その続きを無理に聞こうとはしなかった。


 それが、どれほど辛く、どれほど無力な思いだったか。聞かずとも、痛いほど伝わってきた。


「だから、欲しかったんだ。力が。もう誰にも踏みにじられない、誰かを守れる力が……」


 その叫びは、ただの自己満足じゃない。自分自身の弱さと向き合い、どうしようもなかった過去から、必死にもがいて抜け出そうとした証だった。


「……ランカ」


 私はそっと、彼女の手を握った。その手は少し震えていたけれど、冷たくはなかった。


「ランカは、出来損ないなんかじゃないよ。今まで、誰よりも頑張って生きてきたんだ。それだけで、十分すごいと思う」


 隣でクロネも、静かに頷いた。


 すると、ランカは今にも泣き出しそうな顔で俯き、袖で何度も目元をぬぐった。


「……ありがとう。今の言葉、なんだか……ちゃんと認めてもらえた気がして、すごく嬉しかった」


 絞り出すような声だったけれど、その響きはまっすぐに心に届いた。


 そんなランカの姿を見て、私たちは顔を見合わせてふっと笑う。


「ふふっ。ちょっと意外だったかも。いつもすれてばかりのランカしか知らなかったから、こんな素直な返事をされると、新鮮だね」

「本当。前のままだったら、絶対そんな風に言わなかったと思う」


 私もつい調子に乗ってからかうように言うと、ランカは少し唇を尖らせた。


「……二人とも、意地悪」


 そう言いながらも、どこか照れくさそうに、そしてほんの少しだけ安心したように笑った。


 ようやく、心の底にあった重たいものが、少しだけ軽くなったのかもしれない。


 私たちはお互いに笑い合い、気持ちを一つに重ねていった。

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