102.救助
「うっ……あっ……これは……自由に、動けるのか?」
目の前の中年男性――ダランシェ子爵は、自分の手を信じられないように見つめていた。その手を何度も握っては開き、確かめるように感触を繰り返し確かめる。
「……ああ、私は……解放されたんだな。君たちが、助けてくれたんだね」
震える声でそう言いながら、彼は顔を上げた。その視線の先には、私たちが立っていた。
「ダランシェ子爵様、ご安心ください。洗脳は、もう完全に解かせていただきました」
私がそう伝えると、子爵の目に安堵の色が広がる。やがて、感極まったように小さく息を吐き、微笑んだ。
「……ようやく、ようやく自分の意思で動ける。この日を、どれほど待ち望んだことか。本当に……ありがとう」
彼の目には、じわりと涙が浮かんでいた。
「いえ、お気になさらず。それより、この屋敷で働いている皆さんの洗脳も、私の力で解いてよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。いや、こちらからお願いしたいくらいだよ。……どうか、皆を救ってくれ」
了承を得た私は、そっと首飾りに手を添え、それを高く掲げた。
「オルディア様、どうかお力を――!」
『任せなさい! オルディアフラーッシュッ!!』
オルディア様の力強い声とともに、首飾りから眩い光が解き放たれる。神聖な輝きが屋敷全体を包み込み、柔らかな光が隅々にまで広がっていった。
光が収束するのを待って、今度は私が魔力を集中させる。体内の魔力を変質させ、浄化の波動へと変え、それを屋敷全体に行き渡らせる。洗脳の根源である薬の効果を、ひとつひとつ丁寧に打ち消していくように。
やがて――。
「……これで、屋敷の皆さんは元に戻ったはずです」
「な、なんと……! 本当に? 見に行ってもいいか?」
「ええ、もちろんです」
そう言うと、子爵は抑えきれない思いに駆られたように、急いで部屋を飛び出していった。
しばらくして――足音と共に、子爵が家族を連れて戻ってきた。皆、正気の表情を取り戻し、互いに寄り添いながらも、どこか晴れやかな顔をしている。
「君たち……本当にありがとう。家族も、屋敷の者たちも、皆、元に戻っていた。なんと礼を言えばいいか……」
そう言いながら、子爵は深く頭を下げた。その顔には、確かな喜びと救いの色が宿っていた。
私は静かに頷きながら、次の課題へと言葉をつなぐ。
「屋敷の皆さんは無事戻せましたが、まだ――町の人々が残っています」
その言葉に、子爵の顔がハッと強張る。そして、すぐに苦い記憶を掘り起こすように、拳を握りしめた。
「……そうだ! この町では、カリューネ教によって洗脳された人々が溢れている……。私たちも、あの狂信に従うよう、崇拝を……強要されていた……!」
彼の声には、怒りと悔しさ、そしてかすかな恐怖が滲んでいた。洗脳中の記憶が、薄れながらも確かに残っているらしい。
「君のその力を――どうか、町の人々にも貸してほしい。彼らを救えるのは、君しかいないんだ」
切実な願いに、私は静かに頷いた。
「もちろんです。絶対に、この町の人たちも取り戻します」
子爵の目に、強い光が宿った。そのまなざしが、心の底からの感謝と、わずかな希望を宿していた。
「でも、その前に、一つだけお願いがあります」
私の言葉に、子爵は真剣な眼差しを向けてくる。
「ああ。言ってくれ。できることなら何でも力になる」
「今、私たちは……冤罪で警備隊に追われています。まずは、その誤解を解くための協力を、お願いできませんか?」
一瞬、子爵の目が見開かれる。だがすぐに頷き、低く力強い声で答えた。
「……もちろんだ。君たちに罪がないなら、すぐにでも名誉を回復させよう。今から警備隊へ向かうぞ」
「それともう一つ――」
私はわずかに言葉を詰まらせたあと、続ける。
「カリューネ教に協力していた商会の関係者たちの、逮捕をお願いします」
その名を出した途端、子爵の表情が険しくなる。
「……あの商会のことだな? あいつらのせいで、どれほど町が蝕まれたか……!」
拳をぎゅっと握りしめ、唇をかみしめるように言ったあと、彼は鋭い決意を瞳に宿して立ち上がった。
「よく知らせてくれた。すぐに行動に移す! 一人たりとも逃がさん!」
子爵はまるで戦場に向かうかのような足取りで部屋を出て行く。その背中には、かつての栄光を取り戻す気迫が漲っていた。
私たちも黙ってそれに続く。まだすべてが終わったわけじゃない。けれど、確かな一歩を踏み出せた気がした。
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