100.対スウェン(3)
とうとう、ランカが正気に戻った!
私は抑えきれない気持ちのまま、一目散に彼女のもとへ駆け寄った。
「ランカ……! よかった、本当によかった……!」
「もう大丈夫なんだな。ちゃんと、戻ってきたんだな」
声をかけながら、自然と涙が滲んだ。隣に並ぶクロネの声も、わずかに震えていた。
そんな私たちの姿を見て、ランカが不安げに、それでも確かに小さく笑って、私たちの名前を呼ぶ。
「……ユナ。クロネ……」
その声があまりにも弱々しくて、胸が締め付けられた。ランカはそっと顔を伏せると、ぽつりと小さな声で呟いた。
「……怖かった……ずっと、闇の中にいるみたいで。体が勝手に動いて、止めたくても止められなくて……」
今にも泣きそうな声だ。その声を聞いて、胸がギュッと苦しくなる。
「……でも、二人の声が、どこかで聞こえてた。……だから、戻れて……嬉しい……」
短くて、消え入りそうな言葉。でも、そのひとつひとつが、ランカの心から零れ落ちた本音だと分かった。
きっと、あの間も、ずっと心の奥で抗っていたんだ。絶望の淵でも、諦めずに――。
私はもう、堪えきれなかった。そっと、ランカの体を抱きしめる。クロネも無言で腕を回した。
「……もう、大丈夫。絶対に、もう誰にも操らせたりしない」
「何があっても、あたしたちがそばにいる」
胸の奥からあふれた言葉は、誓いそのものだった。しばらくの沈黙のあと、ランカが震える指先で私たちを抱きしめ返してくれた。
「……二人とも……ありがとう」
その言葉は、かすかに震えていたけれど、たしかに温かかった。ぎゅっと結ばれたこのぬくもりが、もう決して離れないように――私はそっと目を閉じた。
「我々の洗脳を解くだなんて……お前たちは一体何者だ!」
そんな私たちの邪魔をする声が聞こえる。ランカからそっと腕を離して振り向くと、怒りの形相でこちらを睨みつけるスウェンがいた。
「……何者だ、お前たちは」
「ただの冒険者さ」
「普通の冒険者が、我らの魔法を打ち破る術を持つはずがない。まさか、お前たちはオルディア教の者か?」
「オルディア様とは、多少なり縁があるけどね」
その瞬間、空気が張り詰めた。
「ならば、生かして帰すわけにはいかんな」
スウェンの瞳に、禍々しい光が宿る。次の瞬間、彼の口が詠唱の言葉を紡ぎ始めた。低く、湿った声が響く。
足元に黒い渦がうごめき、地面を焼くような音と共に魔法陣が浮かび上がる。そこから――猿の魔物が、次々と這い出てきた。
眼が赤く光る。牙が唸りを上げる。動きに一片の鈍さもない。
「その力……放っておけば、この世界を濁らせる毒となる」
スウェンが、静かに、しかし確実に言い放つ。
「カリューネ教の繁栄を脅かす者は、即座に排除する」
スウェンの冷たい声が響いた瞬間、猿の魔物たちが凶暴な雄たけびを上げ、一斉にこちらへと襲いかかってきた。
クロネが前へと躍り出て、双剣を構える。私も魔力を集中し始めた、その時だった。
「待って。ランカも戦う」
ランカが私の横に並び、前を見据える。その顔に迷いはなかった。
「ランカ? でも……戦えるの?」
「操られていた時に、体が勝手に動くのを感じていた。動き方は、体が覚えてる。だから……少しでも力になりたいの」
真剣な眼差しだった。震えも、迷いも、もうそこにはない。その思いに、私は頷いた。
「……分かった。一緒に戦おう。スウェンを止めるために」
「ありがとう。足を引っ張らないよう、全力でやる」
言葉を交わすより先に、目の前の敵が迫ってくる。私たちは武器と魔力を手に、それを迎え撃った。
「ランカ、行くぞ!」
「ウオォォォンッ!!」
号令とともに、クロネとランカが地を蹴った。爆ぜるような踏み込み。弾丸のように誰よりも早く前線へと飛び出す。
地を裂く勢いで駆け、猿の魔物たちへ一気に肉薄したクロネが、鋭く叫ぶ。
「《月影舞》!!」
その瞬間、クロネの周囲に無数の刃が軌跡を描き、空気を裂きながら飛び交う。
光が走ったかと思えば、数体の猿の魔物が悲鳴も上げる間もなく斬り伏せられる。首が宙を舞い、胴体が崩れ落ち、鮮血が霧のように舞った。
「ウオォオンッ!!」
続けて、ランカが吠える。その巨体が消えた――否、見えないほどの速さで跳躍し、魔物の密集地帯に現れる。
鋼のような前肢が閃き、振り下ろされた。地響きと共に爪の先から衝撃波が走る。
爆風のような斬撃が広がり、巻き込まれた魔物がまとめて吹き飛ぶ。肉体を引き裂かれ、断末魔を上げる暇さえなく、土煙とともに地に叩きつけられた。
クロネとランカ――二つの影が戦場に嵐を巻き起こす。だが、その二人の足元に黒い渦が現れた。そして、飛び出してきた触手が二人に絡みつく。
「くっ……!」
「うぅっ!」
触手が二人の体を絡め取り、喉元を締め上げる。
即座に魔力を集中させ、火の矢を生成。風の魔法で加速させ、足元で渦巻く黒い魔力の中心へと撃ち込んだ。
火矢が命中し、小さな爆発が起きる。その爆風で触手は吹き飛び、二人の拘束が解かれた。
だが、まだ終わりではない。猿の魔物だけを見ていてはダメ――スウェンの動きにも注意を払わなければ。
私はすぐに視線をスウェンに向ける。彼は詠唱中だった。
ならば、そこを叩くしかない――!
宙に無数の火の矢を生み出し、風の力を付与して、射出する。空気を切り裂くように飛んでいった火の矢はスウェンの元に飛び――
ドォォンッ、ドガァァンッ、ドドォンッ!
無数の爆発を引き起こした。これで、詠唱は止められたはず!
「二人とも、今の内に!」
私の合図で二人は力を解放していった。
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